周利槃特(しゅりはんどく/チューラパンタカ)の話
今回は、みんな大好き、周利槃特(しゅりはんどく)のお話です。
『天才バガン』のレレレのおじさん(いつもホウキで道を掃いています)のモデルが周利槃特だ、なんて噂もありますね。
昔、高校生の頃に高野山できいた周利槃特の話は、ずっと心に残っています。
仏弟子になったはいいが頭が悪くて偈文の一つも覚えられない周利槃特さん。
仏教団をやめようと思っていたとき、お釈迦さんが掃除の仕事をしなさいと言い、ほうきとちりとりを渡して言いました。
「ちりを払い心の垢を除こう、ととなえつづけなさい」
周利槃特はその通りにして、ある日ふと気づきました。どんなに掃除をしてもホコリは出る。煩悩もまた同じ。完全に消し去ってしまうことなどできないのだ。いくら掃除してもホコリが尽きないように、煩悩もまた人の身である限りついて回る。日々コツコツと煩悩を制御をすればいいのだ。
お釈迦さんにその話をすると、よく悟りましたね、と認めて下さったそうです。そして、周利槃特は悟りを得て立派な高僧になりました。
「人は煩悩を完全に消し去ることはできません。が、日々つとめて心を清く保とうとすることは出来ます。そして、その日々が修行なのです」
……そういうお話でした。
これは中国・北宗禅の神秀(西暦606年~706年)の悟りにも通じます。
身是菩提樹 (身はこれ菩提樹)
心如明鏡台 (心は明鏡の台のごとし)
時時勤払拭 (時々勤めて払拭せよ)
勿使惹塵埃 (塵埃をしてつかしむることなかれ)
身体は、菩提樹下で釈尊が悟りを得たときの日陰を作った菩提樹と同じく悟りの環境を整える物です。
心は「澄みきった鏡」を支える台のようなものです。心は常に澄み切っているわけではなく、本来の澄んだ心(仏性)は、普段は煩悩におおわれています。
日々、心の垢をぬぐって、本来の澄んだ心に、煩悩というホコリを着かせないようにしましょう。
神秀が説いたのは、正統派仏教の修行法であり、悟りの道でした。
周利槃特が亡くなった後、そのお墓には茗荷が生えました。茗荷を食べると物忘れをする、バカになる、なんて迷信がありますが、これは周利槃特のようになる、という話です。周利槃特は、自分の名前もまともに言えなかったと言われていますが、発話の障害があったのかもしれません。
さて。
以上述べた周利槃特のお話。
いまだに出典を特定できていません。
私にわかったのは、以下の伝説です。
・周利槃特が、一偈も唱えられなくとも 持戒の故に阿羅漢になった(『賢愚経』巻第五)
・世典バラモンが議論をしようとして、舎利弗が神通力で入れ替わって周利槃特の代わりに議論をした(『増壹阿含経』巻第八)
・『説一切有部律薬事』のアナヴァプタ湖のほとりでの話。皆が上手に過去世を語る中、うながされた周利槃特が語った前世は豚飼いで、川の真ん中でころび豚たちを死なせてしまって自らは仙人たちに救われた、そこから出家して指導者なしに無想定に入り、天界に入り、人となり仏教団に入った。
・周利槃特は、三ヶ月の間一つの偈に没頭し「四つの単語からなる一つの詩脚を理解したことによって、欲望を完全にとりのぞいた」。(『説一切有部律薬事』)
・昔、どなたかの論文で読んだ読んだ話。尼僧院の監督者になって尼僧達に馬鹿にされたが、最後には立派な説法をして尊敬をされるようになったという南伝のお経がある。
周利槃特は長年の間、皆の心の中でその人の悟りを反映する偶像として機能してきたのかもしれません。