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【釈正輪メルマガ6月4日号】日々是好日

【布施は何よりも尊い善行】
芒種の候。「芒(のぎ)」とは、イネ科植物の穂の先端にある、針のように尖った部分のことです。穀物の種まきや田植え、麦の刈り入れなどに適した時期とされました。そろそろ梅雨入りの報も届く頃です。

季の花に「紫陽花」があります。花の多くは、太陽の光がその美しさを際だたせますが、紫陽花は例外です。しっとりと雨に濡れた紫陽花は、より鮮やかさを増して、梅雨時の滅入りがちな気分を明るくしてくれます。一般的に花といわれる部分は装飾花で、萼が大きく発達したもの。赤紫から青紫色の花が寄り集まって咲き、花の色が変わっていくので、「七変化」ともいわれます。

私の両親の出身地である、モネの池で一躍有名になった岐阜県関市板取には、紫陽花ロードと呼ばれる県道が24キロに走っており、凡そ7万本の紫陽花が彩りを添えています。

合掌

あぢさゐの 青の深きに 梅雨注ぎ
昨夜(よべ)より寒き 昼間と思う

宮柊 二

幸せの種をまくと、幸せの花が咲くといわれています。善の中でもお釈迦さまは、「布施」を勧めています。「六波羅蜜」の一番最初にあげられるのも布施です。今回はお釈迦さまの時代、インドに伝わるエピソードを紹介しましょう。

赤い夕日が、山の向こうに沈む頃になると、少女サーヤの胸には、寂しい思いが込み上げてきます。友達は皆、親が待つ家に帰って行きますが、サーヤには笑顔で迎えてくれる両親がいません。幼い時に亡くなったのです。孤児となったサーヤは、インドの大富豪であった給孤独(ぎっこどく)長者の屋敷に引き取られて働いていました。赤ん坊の世話と食器を洗うのが毎日の仕事でした。

サーヤは温かく抱きしめてくれる母がもうこの世にはいないと思うと、切なくて涙が溢れてきます。一緒に遊んだ友達が帰ってしまうと、道端に座り込んで、いつしか大きな声で泣いてしまいました。まだ十歳の子供なのです。そこへ、釈迦の弟子が通りかかり、「お嬢ちゃんどうしたの。ほら、夕日があんなにきれいだよ」と声をかけてくれました。

サーヤが泣き止むと、弟子はにっこり微笑んで、泣いていた訳を尋ねました。「死んだお父さん、お母さんのことを思い出すと、また会いたいと思って涙が出てくるの…」「そうか、独りぼっちなのか。お前には難しいかもしれないが、お釈迦さまは、人間は皆、独りぼっちだと教えておられるんだよ」「私だけじゃないの?どうしたら、この寂しい心がなくなるの…私もお釈迦さまのお話が聞きたい!」サーヤは、たたみかけるように言います。「そうか、誰でもお話を聞かせていただけるんだよ。いつでもおいで」喜んだサーヤは、給孤独長者の許しを得て、釈迦の説法を聴きに行くようになったのです。

ある日のこと。夕食を終えた長者が、庭を散歩していると、サーヤが大きな桶を持ってやってきます。「何をするつもりだろう」と見ていると、「ほら、ご飯だよ。ゆっくりおあがり。ほら、お茶だよ…」と話しかけながら、桶の水を草にかけ始めたのです。「はてな?ご飯?お茶?何を言っているのだろう」長者は、サーヤを呼んで聞いてみました。「はい、お茶碗を洗った水を、草や虫たちに施しておりました」「そうだったのか。だが、施すなどという難しい言葉を、誰に教わったのかな」「お釈迦さまです。『毎日、少しでも善いことをするように心掛けなさい、悪いことをしてはいけませんよ』と教えていただきました。善の中でも、一番大切なのは『布施』だそうです。

貧しい人や、困っている人を助けるために、お金や物を施したり、お釈迦さまの教えを多くの人に伝えるために、努力したりすることをいいます。私は何も持っていませんから、ご飯粒のついたお茶碗をよく洗って、せめてその水を草や虫たちにやろうと思ったのです」「サーヤはそんな善いお話を聞いてきたのか、よろしい。お釈迦さまのご説法がある日は、仕事をしなくてもいいから、朝から行って、よく聞いてきなさい」「本当ですか。嬉しい!ありがとうございます」
禅宗の修行道場(僧堂)では、自分たちが食事を戴く前に必ず「生飯(さば)の偈」
「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食偏十方 一切鬼神供」
(じてんきじんしゅう ごきんすじきゅう すじへんじほう いしきじんきゅう)を唱え、三、四粒のご飯を餓鬼に施します。この偈文の意味は、「我は今から、この世界の一切の鬼神や供養されない亡者(餓鬼)に、自分の食事を施す」という意味です。

その後その生飯は池や田畑に撒き、サーヤの施しのように、「生きとし生けるもの」のために施しを致します。サーヤの心優しい布施の行為は、やがて大輪の花を咲かせるのです。
次回をお楽しみに。

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