釈正輪老師武道礼法4月18日、講話会5月7日東京開催
釈正輪老師講話会
4月18日(木)東京開催、武道礼法&呼吸法
5月7日(火)東京開催、講話会
武道礼法について
鎌倉幕府から江戸時代にかけて上に立つ地位の武士に求められたであろう「人間性」(倫理道徳)
それを刀剣から生まれた武道という事で学ぶことが出来
相手の動きや心理の洞察、それを踏まえた様々な駆け引きなど
刀1つとっても、背景の部分に焦点を当てると
・相手の心を読む
・精神統一する
・武士道を様々な角度から見てみる
禅や茶道、華道は主に自分自身を見つめ心を落ち着かせる事が中心だと思いますが
相手がいて、相手を洞察しながら自分の心を落ち着かせ、体を動かす
自分だけでなく相手もいるというのは武道に見られる所だと思い
極論だとやるかやられるかのギリギリの精神状態で
どう自分の恐怖心に勝ち、相手に勝つかで学んでいたと思うので
相手を倒すは学ばなくとも、自分の心に打ち勝つというのは学べる価値ありかなと。
個人的に興味深いのは、幕末の志士が様々な流派の剣術を学んでいる事が
その人の思想につながる所だったのか?どのくらい影響を与えていたのか?
が興味あるところです。
宮本武蔵『五輪書』から
武士たるものの此両腰を持つ事、こまかに書著はすに及ばず。
我朝におゐて、しるもしらぬも腰におぶ事、武士の道也。
武士たる者が腰に両刀をさすことなどはいまさら書くほどのことでもないが、
我が国では知るも知らぬも刀をさすことは武士の道である。
松浦静山『剣攷』から
剣は内に有て利剣と云ふ。神仏の剣を持給ふは、人を殺すに有らず。心の邪気を切払つて、悪念を亡し給ふ剣也。是を心の利剣と云ふ。
力、技としての強さはもちろん刀の徳による人間形成
そして示現流の久保七兵衛紀之英が著した『示現流聞書喫緊録』
「太刀は敵を斬り殺すものであるが、敵を殺すより先に自分の心の中にある三毒を殺して、心を強明正光にしてから太刀をとり、敵を殺しなさい」
「三毒」というのは、仏教でいう煩悩のことで、貪(むさぼること、欲深いこと)・嗔(怒り)・痴(おろかなこと)
刀をもって斬るべき対象は、敵以前に自分の内面にある邪念であり、これを斬らなくてはならない
その様な相手と対峙する前に自分を律する道徳観があったからこそ、人の上に立つ武士が尊敬され続けてきた文化があり
道徳観が無く統治のみの場合だとするならば、尊敬されず歴史的にも悪しきものとして扱われてきたかもしれない
という事で
心身を鍛える事の身についてを釈先生からは剣術、華道、茶道と幅広く実践を間近に見る事が出来ます。