カワウソみたいだったけど宇宙人かもしれなかった先生のこと
今まで出会った学校の先生の中で、最近何故かよく思い出す先生がいる。
小学4年の時に1年きりの担任だったS先生は、多分40代半ばくらいの男の先生で、なんというかどこか捉えどころの無い…と言ったら失礼だけれど、4年生の感覚だと「今までには無いタイプのちょっと変わった先生」としか言い様がない感じの、他の先生達とは明らかに異質な先生だった。
昭和40年代だから、イタズラっ子を威すための竹刀が黒板の脇に立て掛けてあったり、授業中ふざける子の頭を1メートルのものさしでコツンとしたり「廊下に立ってろ」とつまみ出す先生は普通にいたけど、それはそれで悪いことをしたから叱られるんだとわかり易かった。
でもS先生はちょっと違って、先が読めなかった。何を考えているのかわからない。熱血タイプでもスパルタ式でもなく、いつも無表情なカワウソみたいな顔をしていて(ほんとは当時カワウソの顔はよく知らなかったけど、先生を見ると何故かカワウソという名前が浮かんできて、それも謎だ。すみません…)ハッと気づくと自分が見られていたりして「な、なにかな??」と焦る。でも、特に何も言われない。あの一見ボーとした表情で、先生はいつもひとりひとり子供たちの顔を見ていたんだと思う。
私達も次は何があるんだろうと、いつも先生の顔を見ていた。別に怖いからじゃなくて、謎だったから。
こう書いていても、未だにS先生の何が謎だったのかよくわからないのだけど。
たとえば先生は、クラスのみんなに「国語算数理科社会」の4教科の教科書を毎日持って来いと言った。そして朝、授業を始める前にみんなに
「今日はセンカの時間ある?」
と聞く。
センカとは音楽や図工など専門科目のことだとあとからわかったが、私達は「センセイがカワルからセンカだね」などと理解した。
そして他の先生が担当する専科の時間が何時間目にあるか、あるいは今日は無いかを子供たちに確認してから、
「じゃ、1時間目は算数やります」とかボソッと言って、授業が始まる。その時の先生の気分…ではなくて各教科の進み具合を考えてのやり方だったのだと思うけど。
だからうちの4年3組は時間割があって無いようなもんだった。毎日、次に何があるかわからない。
何故うちのクラスだけこんななの?と思う先生のやり方も、慣れてくるとどうってことなかった。かえって3年生までの細かくきちっとしていた女の先生達とは明らかに違って、子供心に自由な感じがしたし、
「次は何かな?」と思って始まる授業が特にツラいとか大変だった記憶もない。逆に「うちの組ってこうなんだよ!」と隣のクラスの子達にちょっと自慢げに言ったりしてた。
これが良いのか良くないのかはわからないけど、まんまとS先生のペースに乗せられていたのかもしれない。
そして授業中に話を聞いていないと、チョークが飛んできた。
先生は怒る時、無言でチョークを飛ばす。
ある時は、ひとつのチョークが喋ってた2人の男子に命中した。
命中されたひとりU君は、そのコントロールの良さをのちに卒業文集に書いていた。忘れられない思い出だったらしい。
それから先生は空手だか少林寺拳法だか忘れてしまったけれど武道をやっていて「こう来たらこう避けてこう攻める」とか護身術みたいな型をよく見せてくれた。
そしてカバンの中にはいつも、いざという時の為だというロープが入っていた。どんな「いざ」かは知らないけど。
ボーと無表情な上にこのスキの無さは、先生のますます謎な雰囲気をかもし出した。
また、遠足の時にはS先生は女子に囲まれお弁当を食べて、深大寺植物園の広場でみんなと一緒に「あぶくたった煮えたった」をやって遊んでくれた、無邪気な一面もあった。
煮えた小豆をみんなが戸棚にしまって「さあ寝ましょう…」の段で、
鬼(先生)「トントン」
みんな「なんの音?」
鬼(先生)「波の音」
みんな「ああよかった…」
お約束ならここのやり取りで「風の音」と答えるところを先生はアドリブで「波の音」と言った。
私はこの「波の音」がとても気に入って、このあとよく真似して使っていた。とっても想定外で詩的である。
そして、なんと言ってもS先生の体育の授業は最も個性的だった。
ハツラツとしたスポーツマンタイプでも全然ないのだが、準備体操の時は必ず「中腰!」というのをやらされる。両手を後ろに組んで背筋を伸ばしたまま足を少し開き腰を少し落とす、空気イスみたいな格好でそのまま静止。
これを5分くらいやるだけでも足がカクカクになるのに、同級生のTさんのお兄さんがS先生のクラスだった時には体育の時間に全員が怒られて、この「中腰!」を45分間めいっぱいやったそうな(今だったら大問題になりそう)。
無邪気に「あぶくたった」をする先生とはギャップがあり過ぎる一面を知りちょっとびびったけど、私達の頃は準備体操の一環として足腰の鍛錬みたいなノリだったので、せいぜい5分くらい。でも毎回必ずある。
先生がボソッと「中腰!」と言うとみんな「またかよー、やれやれ…」と思いながらも「45分やられたら堪らない」と、黙って腰を落とす沈黙の行であった。
それが終わると、サッカーやキックボール(フットベースボール)など先生はみんなと一緒になって本気でやるので、中腰以外の体育はとても楽しかった。
ある時、先生が若い頃の赴任先での話をしてくれたことがあった。
家庭訪問で訪ねたある子供の家はひどく貧しいあばら家だったと言う。それでもその子のお母さんは先生を歓待してカラカラに乾燥して実がいくらもついていないトウモロコシを出してくれて、子供もそれをおやつだと喜んでひとつ貰い外へ遊びに行ったと。
先生はこの子の家庭環境を知るうちに涙がいっぱいになって、帰る時には持っていた自分のお金を電車賃だけ残してあとは全部置いてきたと言った。何なら歩いて帰ろうかとも思ったと。
無表情な先生が目を真っ赤にしながらするその話を聞いて、小4の私は大変に心を動かされた。
今の私だと多分雑念が多いので、自尊心とか慈善とかややこしい言葉が浮かんで「これはどうなん…?」とややこしく考えてしまうかもしれない。
あるいは「それはいつの時代…?」と、天保の大飢饉の農村など思い浮かべてしまうのかもしれない。
でも、その時は純粋無垢な気持ちで思った。
「S先生はとても心が美しい。
正義のヒーローみたいだ。」
私はしばらくその話を思い返すたびに何だか鼻の奥がツーンとした。
S先生の謎は深まるばかりで、私の妄想も広がっていった。
ある日、校庭で体育が終わったあと解散してみんなが教室に向かう時に、私は校庭にひとり残っていた先生がトレパンのポケットに手を入れて歩き出すのを見ていた。
いつものようにボーと歩いている先生がポケットから手を出した時に、何か水色の小さくて丸四角い物が落ちるのをみつけた。遠くから見て1センチ角くらいの何か部品?みたいなものが校庭の砂の上に転がった。
先生は気づかずどんどん職員室の方へ行ってしまうので、私はチャンスとばかり(何のチャンスだ?)その謎の物体を確かめに走って行った。校庭には他にもう誰もいない。
私の頭の中のイメージは、水色のプラスチックのようなもので出来たマイクロカプセル(よくわかっていない)みたいな物体で小さな窓がついていてそこに何か数字が書いてある物だった。
まさかS先生は地球の物質ではない何かで宇宙と交信でもしてたんじゃ…?
(その頃「ウルトラセブン」の本放送はすでに終わっていて再放送も多分まだ無くてそれほど影響は受けていなかったんだけど…)
それを拾ったら私は何か先生の秘密を知ることになるのか…!
などと小4は本気で思った。
先生が「カプセル」を落とした場所に着くと確かに水色のブツはあったが、、私は一瞬でガッカリした。
それは噛み終えたガムを丸めたものだった。
なーんだ。
ガッカリと同時に1人で笑ってしまった。自分の空想し過ぎと、先生でもガムを噛んで丸めてポケットに入れたりする(子供みたいじゃん!しかも校庭に捨てた⁈)ことがわかって。
ものすごい記憶力だと自分でも呆れるけど、私しか知らないこれも実話。
「卒業アルバムに先生の顔が無いのが淋しいです。」
授業中にお喋りをしてS先生にチョークを投げられたU君は、6年の卒業前、まだアルバムも貰っていないうちから文集にこんなことも書いていた。
先生は私達が5年になる時に転出してしまったので、写真は載らないだろうとU君は思ってたのかもしれない。
でもアルバムには、貴重なS先生の深大寺植物園でのスナップがちゃんと載っていた。
U君は卒業後、それを見て懐かしむことがあったかなぁ。
彼の短い作文には、先生の理科の授業は天国のようだった(どんなんだっけ?)ことや、先生はよく自分の先輩の話をしていたことなど、私には記憶のないことが綴られていた。卒業生の中で唯一S先生の思い出を書いたU君にとっても、忘れられない先生だったんだろうね。
U君は今どこにいるか知らないけど、もしいつか会えたら、たった1年間だった先生との思い出話をしてみたい。果たして覚えているかしらん。
飛んできたチョークに体育の中腰、鞄の中にはロープ、家庭訪問で号泣した話、「あぶくたった」の波の音。それから私だけが知っているガムの話。笑
そして今、
これを書いていた数日間は、少なくとも私ひとりがS先生のことをうんと考えていたということが、この世界にS先生がいらしたことのひとつの証になるとしたら嬉しい。
だとしたら、私がこの世からいなくなるまでは確かに消えない。なーんてすごくおこがましいけれど。
先生は今、どこにいますか?
たった1年間のことが私の中ではやっぱり今でも謎いっぱいのままです。