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HIPHOPの成り立ちから再度はじめましょう!
みなさん今日もお疲れ様です。
台風がいよいよ近づいて来ています。
くれぐれもです!
さて再度OLD SCHOOLからの流れを記しておきたいなと
ふっと思いまして、今夜はそれからリスタートしますね!
またお付き合いくださいな。
見出し
序章: HIPHOPの誕生
若者たちが生み出した新しいカルチャーの誕生
ブロンクスでのブロック・パーティとその影響
オールドスクール: ラップミュージックの原型
グランドマスター・フラッシュとシュガーヒル・ギャングの登場
ブレイクダンスとグラフィティ: HIPHOP文化の広がり
以上の見出しをもとに描いて行きます!
宜しくどうぞ!
まずこれから!
序章: HIPHOPの誕生
1970年代のニューヨーク市ブロンクス地区。
この地域に住む若者たちは、経済的困難と社会的孤立感に直面していました。
彼らは、困難な環境の中で自己表現とコミュニティの結束を求め、新たな文化を生み出しました。
それが、現在「HIPHOP」として知られるカルチャーの始まりです。
その原点に位置するのが、ジャマイカ出身のDJ、クール・ハーク(Kool Herc)のブロック・パーティです。
1973年、彼がブロンクスで行ったパーティでは、彼の独自のDJスタイルが注目を集めました。
レコードを繋ぎ合わせることで、音楽に新たな生命を吹き込み、リズムやビートを強調する「ブレイクビーツ」が生まれました。
この音楽スタイルは、踊るための新たな空間を提供し、ブレイクダンスの誕生にもつながりました。
クール・ハークのパーティは、音楽だけでなく、ダンスやグラフィティ、さらにはラップという新しい言語芸術をも融合させました。
これらの要素が一体となり、後に世界中で愛されるHIPHOPカルチャーの基盤が築かれたのです。
それが今もなお我々の心を鷲掴みにする文化となりました!
オールドスクール: ラップミュージックの原型
1970年代後半から1980年代前半にかけて、HIPHOPはブロンクスを超えて、ニューヨーク全体、そしてアメリカ全土に広がり始めました。
この時期は、ラップミュージックの原型が形作られた重要な時期です。
特に、グランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)やシュガーヒル・ギャング(The Sugarhill Gang)といったアーティストが登場し、ラップが初めて商業的に成功を収めることとなりました。
1982年にリリースされたグランドマスター・フラッシュの「The Message」は、ラップミュージックが単なるパーティ音楽ではなく、社会問題を訴える手段であることを示しました。
この曲は、貧困や犯罪、差別といった現実の問題をテーマにしており、HIPHOPが持つ社会的メッセージ性を明確に打ち出しました。
また、シュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight」(1979年)は、HIPHOPがメインストリームの音楽シーンに進出するきっかけとなった重要な楽曲です。
この曲は、ラップミュージックが大衆に受け入れられる可能性を証明し、HIPHOPの商業的成功への道を切り開きました。
この時代には、ブレイクダンス(Breakin')やグラフィティもHIPHOP文化の重要な要素として確立されました。
街の至る所で若者たちがスプレー缶を手に取り、壁に自己表現を刻み込み、ダンスフロアでは驚異的な身体能力を披露するブレイカーたちが登場しました。
これらの要素が融合し、HIPHOPは単なる音楽ジャンルを超えて、強力な文化運動へと成長していったのです。
このブログ記事では、HIPHOPの誕生からオールドスクール期に至るまでの歴史を紹介しました。
HIPHOPは、困難な状況にある若者たちが自らの声を上げ、新たな自己表現の手段を作り出すことで生まれた文化です。
彼らの創造性とエネルギーが、今日でも続く世界的なカルチャーを形成しました。
このブログ記事を読んだ人が、HIPHOPの起源と初期の発展について理解を深め、文化の持つ力と魅力を再認識できるようわかりやすくしあげました。
今夜はこの辺で締めさせて頂きます。
明日はこの続編を書きます!
明日もいい日や!
なまんだぶ。合掌
1LOW
釋一承 HIPHOP寺館長