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分かち合いは強者の特権

ツイッターを眺めていると「お金がないと家族なんて作れない」という叫びがバズっていて、とても不幸なことだなと思った。もちろん、僕自身も長年お金のない暮らしをしていて、しかも四季折々の病み方をしていたから、お金がないということが家族を作る、パートナーを得ることに対してとても不利だということはわかる。

その一方で、パートナーシップの本当の価値は「お金がない」ときにこそ生きて来る。二人で一つの生活を作り上げれば、そのコストパフォーマンスは本当に高い。特に東京みたいな地価の高いところだととんでもない差になってくる。僕は今、山手線駅から徒歩数分64平米という物件に暮らしているけれど、大抵の学生より安い家賃しか払っていない。こんなことは、一人暮らしではまず不可能だ。

僕は18歳のころからルームシェアをしていた。一人で暮らすとお金がかかる、というのが大きな理由だった。ワンルームの部屋に住むよりは、3人で3LDKに住んだ方が当然に住環境が良い。僕は根本的に、とてもクラシックな考え方の左翼で、「分かち合えるものは全部分かち合えばいいじゃないか」と考えるタイプだから、これは僕にとって最初の思想的実践だったと言えるかもしれない。

その結果がどうだったかというと、「若かったから楽しかったけれど、今あの生活はしたくないな」という感じになった。人が集まればトラブルが起きるし、3人集まれば政治が起きる。安定したシェア―分かち合いーというものは、非常に難しい。これが2名のパートナー制だと―少なくとも3人以上の共同生活よりは―大きく安定性を得ることができる。

「お金がないから家族が作れないのだ、配偶者を得られないのだ」という叫びには痛切さがある。しかし、それは最終的に「男性が資金を持ち生活を背負い、関係において優位に立つ」という考え方でもある。フェミニズムだと「ジェンダーロール」と表現したりする。性的な役割。あまり信用してもらえないけれど、僕はリベラルなのでこういったものには一切賛同しない。

でも、こういった思想的なものを抜きにして考えてもこういうことは間違いなく言える。

1.男性優位的な関係を望む女性はお金のない男性を選ばないということ。

2.相互扶助的なパートナーシップを望む女性は男性優位的な関係を望む男性を選ばないということ

こうして考えると、「お金がないから家族が作れない」と叫ぶ男性-男性優位的な関係を望みながらもそれを実行するお金のない人々ーの悲哀というのは本当に救いがないものになってくる。それは、勝ち目のない場所に向かって勝たせてくれと叫んでしまっているのだ。どう転んだってどうにもならない袋小路。そういうものは世界には発生する。時にはその袋小路をイケスみたいにしてお金を稼ごうとする人たちもいるかもしれない。

僕も些か年を取った。弱者同士の分かち合いこそが救いだ、というには僕もきっと汚れ過ぎた。何度もお金を持って逃げられた。人間はそんな風にして理想を失っていくし、小声でしかモノが言えなくなる。昔、先輩経営者がこんなことを言っていた。

「分かち合うというのは強者の特権なんだ、弱者は奪い合うことしかできない」

年齢を経るごとに重たくなっていく言葉ではある。それは大方の意味でその通りかもしれない。でも、障害者でマトモに稼げない時期が人生の大半で、いつ鬱で動けなくなるかわからない僕としてもこう言いたい。

じゃあ、分かちあおうよ。みんなで分かち合って強くなろうよ。もし、あなたが自分に無理のない範囲で、なにかをだれかと分かち合うことが出来るなら、あなたは強くなれるんじゃないか。

そんな風に考えている、僕自身強く信じることは出来ないにしても。

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