the sound of my girl
私という女は御年19である。
正直この年まで生きてきて、私という女は構築されてしまっている感がある。ただし私の見た目は実年齢より幼く見えてしまうらしく、たまに中学生に勘違いされしまうのです。見た目の話をするとこの時代小学生なのに高校生くらいに見えてしまう子達もたくさんいるのであてにできないのですが。それに私より年上の人に言わせると”人生の半分にも届いてないぞ。調子にのるな”と大声で罵られてしまうかもしれない。女の構築といってもうまくいえないのだが。一般的に女を構築するというのは私的な感覚がおおきいのだ。ある人が女は経験でできるのだ、というならば私はとっくに5年前には女になっている。ある人が女は子供をなすことや結婚することで女になるというならば私はまだまだ子供のままで女というものになる準備は自分の身体しかできていない。だからこの話は私の主観的な話になっているのだ。
だから、
今年も終わりなので、少しずつこんな風に思う理由を書いていこうと思う。
現時点で一番書くべきはジェンダーについてだと思うので書こうと思う。
私のジェンダーは現時点で女だ。まぁ女の構成とか言い出しているのでわかりきっているのだけど。私は自分の身体を憎いとおもうことはあれど性別を変えたいほど自分の身体を嫌いではない。実際スカートもパンツもはくしピンクも青も好き。ドラマをみていて好きになるのは女優より男性俳優が好きな割合が多く女優は反対にすきになるというよりあこがれるほうが多い。そしてなにより女の子とキスをすることはできないということだ。
はっきりいえる。女の子の肉感に私は性的興奮を覚えることは無い。これからどうなるかはわからないけど。
なぜなら私の周りには自分のジェンダーがわからない子がいる。そのこを見ていると、世界中にジェンダーが散らばってしまった子が世の中にはたくさんいるのだなぁと思う。きっとほとんどの人のジェンダーは自分の中でシートベルトをはめておとなしくしているのだ。でもきっとその中でもいたずらっこみたいなジェンダーはおとなしくしていないか、椅子のすわり心地が悪くて飛び出してしまったのだろう。ジェンダーの世界はひろくてよくわからないけど私はこの自分の中で収まっている女という性を愛してさえいる。
やはり同姓より異性が活躍する場が好きだし、自分が男になろうとか言う考えを持つことは不可能だ。
好きになることは不可能じゃないけど、私は未来が無い恋愛ができないのは現時点でわかることである。