築地と文学2024 ~沢村貞子の献立と築地~ その3
私はここ数年、中央区区民カレッジで築地の歴史と食材について講義をしていて、例年何を主題にするか思案してきた。今秋、沢村貞子を取り上げようと考えたのは、彼女がはるか昔に築地警察に拘留されていたという過去の繋がりからではない。貞子の献立に登場する食材の多くが築地を支える多くの食材とオーバーラップし、彼女の視点から改めて食材を見直してみたいと考えたからだ。
初夏、「わたしの献立料理」沢村貞子著(中公文庫)のページをパラパラとめくっていると、かつおを主菜とした献立が目に留まる。ちょうど、築地魚河岸にもカツオが並び始めた頃だ。
昭和41年5月8日(日)かつお土佐づくり
5月13日(金)ふたたび、かつお土佐づくり
5月27日(金)かつおの煮つけ
6月1日(水)かつおの煮つけ(針しょうが)
その後、6月10日(水)・15日(水)・23日(木)と、かつおの煮つけが続けて登場した後、ぱったり途絶える。のぼりがつおが日本沿岸を北上して漁期が終了し、時季が過ぎたのだ。また翌年、初夏が来れば貞子の献立帖にかつおは登場する。ある日は茄子と一緒に煮つけたり、蒸して「なまり」にしたり。
私も今年はかつおをよく食べた。豊漁で近年になく手頃な価格だったのだ。昼のまかないは刺身、夜はニンニクをすりつけて炙りかつお三昧。ところが若いころと違って量を持て余す。余った塊が冷蔵庫に残る。
貞子のなまり作りを思い出して、小さな蒸し器に湯を煮立たせ、残りを蒸してみる。蒸したてをざっくりと切り分けて生姜醤油を垂らしてみると、なんとも瑞々しく爽やかな味わい。翌日は和え物、酢の物に。
「長い間生きていると、いつの間にか自分なりの暮らし方が身について、今日も明日も、つい同じことを繰り返してゆく。そのうちドンヨリと気持ちがよどみ、しまいには砂を嚙むような味気なさに気がめいってくる。もし、それに気がついたら、どんな小さなことでもいい、とにかく目先をかえることである。」(沢村貞子の著書より)
貞子のこの「目先をかえる」という言葉は、私自身の視点の変化へとつながっていく。(つづく)