
築地と文学2024 ~沢村貞子の献立と築地~ その2
現在、NHKEテレで「365日の献立日記」が放映されている。原作は、女優沢村貞子が26年半もの長きにわたり綴り続けた献立日記である。日記といっても記述は毎日作る料理名が簡潔に記された献立帖である。
例えば‥
昭和41年5月2日(月)
・鯛塩焼き
・グリーンピースご飯
・竹輪、小松菜煮付け
・豆腐の味噌汁
献立日記は、大学ノートに縦横罫線を引いて、日付けと献立を書き込んだシンプルなもの。<せめてものお洒落ごごろ>で、ノートを古い民芸カレンダーでくるみ、二十数年経た頃には廊下の本棚の隅に積み重ねてあったそう。
日記のスタートは58歳、女優として多忙を極めていた頃だ。世間が想像する華やかな芸能一家の暮らしとはうらはらで、貞子の日常は堅実にして地道。文筆家の夫・大橋恭彦との食卓を何よりも大切に思い、同じおかずを繰り返さぬよう、また目先を変えて相手の喜ぶ顔を見たいがために、忘備録として始められた。綴ることによって、徐々に料理への関心や追求心を膨らませていったように見うけられる。年月を経るうちに、料理にとどまることなく暮らし方、生き方についての所感を文章にしたためるようになり、随筆家としての才能を開花させていった。その間も続けられた献立日記は全36冊に至り、貞子84歳のある冬の日に途切れる。間もなく「恭彦死亡」とのたった四文字を記述して日記は幕を下ろした。2年の後に貞子もひっそりとこの世を去った。
夫と二人、ときには親しい友人を招いて食卓を囲み、自分で作った食事がいちばんおいしいといえる幸せ。その心の在りようを丁寧に紡いいだ著書は、後年、多くの人々に影響を与えている。
フードスタイリストの飯島奈美もその一人である。現在放映されているEテレの番組「365日の献立日記」では貞子の献立の一行から飯島が着想を得て、毎回、一品の料理を仕上げている。
例えば、貞子の定番ともいえるグリーンピースご飯を、飯島は丁寧に土鍋で炊き上げる。私は飯島のレシピを参考にグリーンピースご飯を炊いてみる。飯島のレシピは、貞子の献立をその背景も理解した上で組み立てなおし、広く世に伝える良質なガイドである。
貞子は夫の好物である豌豆を毎年旬にさや付きで10キロ買い込み、茹でて小分けし一年分冷凍。季節に合わせて、青豆のうにあえ、卵とじ、ポタージュ、鶏ひきとのあんかけetc.折に触れて食卓に載せていたと著作で語っている。
私は台所に立ち、飯島がそうしたであろうように、貞子に話しかけてみる。
「貞子さん、うちの夫も豆ごはんが好きなんですよ」
貞子からの返答は‥
「献立などというのは、やっぱり、喜んでくれる人がいなければ、考えられるものではありませんよね。」(沢村貞子随筆より)
‥こんな一節を思い浮かべる。
私が子供の頃にテレビドラマで観た沢村貞子という女優は、時には商家の女将、時には下町の主婦また意地悪な姑と変幻自在で、小気味よい物言いが印象的な名脇役だった。
今、私は献立日記を綴っていた頃の貞子の齢に至り、ようやく彼女の言葉の端々が身に染みるようになった。そしてこの夏、むさぼるようにその著書を読んだ。
やがて「どんな小さなことでもいい、とにかく目先をかえることである」というフレーズに深く共感するようになる。(続く)