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意識の変化について
先日、勤務先でもそもそと働いていると、とある来訪客があった。誰ぞが来たと入口付近に視線をやると、そこには高校時代からの友人が佇んでいた。ばっちしと目が合った。ヒュッと、息が短く漏れるような声が僕が座るデスクわまりに響いた。
今までのことを思い出してみれば、親しい人物に働いている姿など見せた記憶がないし、見せたら見せたで「こいつマジで働いていたんだ」と思わせるような気恥ずかしさが湧き上がる。要するに、かなり動揺したということだ。
僕は以前から、「仕事」「私生活」「日記」で意識を切り分けていると書いている。意識を3つに分けることで自我を出すタイミングを調整して、自意識に狂いを起こさないようにしている。それが僕自身の考え方であり、普段の生活を過ごすための術として成立させている。そのため、職場では「仕事」という意識の中で過ごしているし、「私生活」「日記」という意識はおくびにも出すことはないようバランスを取っている。
しかしながら、出たのだ。出てしまったのだと言い換えたほうがいい。「仕事」が支配している意識の領域中に、「私生活」という意識が突如噴出したのだ。そのおかげで、意識のバランスは突如として瓦解し方向性を失い、「仕事」と「私生活」が混在する全くもって訳のわからない意識が生成されてしまったのだ。
これがまたバランスを取り直すのにかなり苦労した。僕のデスクすぐ真後ろでは、友人が働いているわけであるし、僕に関してなにかを言及する可能性すらある。僕は職場では仕事以上のことを話さない性格が故に、職場で私生活に関わるなにかが漏れることを結構恐れている。しかし、友人がなにかを話すことはないだろうと思っていた。現に、僕自身が「高校時代からの友人」ということ以外言及していないからだ。きっと、友人に関してもそれ以上のことについて言及することは無いだろう。多分。おそらく。Maybe。
友人が職場から去った後にやってきた昼休憩中、無意味に深々とタバコを吸いながら先程の出来事について思い返していた。なかなかに奇妙な経験だったなと思う。
僕が持つ「仕事」「私生活」「日記」の3つの意識は、それぞれの用途に合わせて使い分けているものであると考えていたのだが、いつしかそれぞれの独立した意識となっていき、不可侵領域すら持つまでに変化しているということがわかった。それぞれの意識は独立して領域を持っているが故に、別の意識が入り込むと動揺・混乱といったとてつもないバグを引き起こす。友人が職場にやってくるまで、それなりに集中して作業に取り組んでいたのだが、来訪以来、なにをしていいのか全くわからなくなったし、なにをしていたかを今でも思い出すことができない。やるべき業務を全無視して、コミックDAYSを巡回していないことだけは確かなのだが。
ここで1つ思うことは、「仕事」と「私生活」の意識領域が曖昧な人はどうやって業務を遂行して、意識のバランスを取っているのだろうかということ。例えば、飲食店のスタッフがそれに当たるだろう。飲食店であれば飯だけではなく、個人の友人づてで来店する事もあるだろう。仕事で友人に会うという機会も、僕と比べると段違いに多いだろうし意識の切り替えをどうやってしているのか気になるところだ。
とは言え、こういった突発的な出来事は御免被りたいなという気持ちもある。意識の変化について気づくことができたのは良いのだが、如何せん、業務に力を入れることができずなぁなぁのまま遂行してしまったが為、普段話をしない別部署の上司からお叱りの内線がかかってくることになるので。
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