カバーソングは如何せん
声優が演じるキャラクターが歌うカバーソングはどういう立ち位置にいるのだろうか、と考えている。無論、これは水瀬伊織のカナリア諸島にてを聴きながら考えている。このまま釘宮理恵のボイスを聴き続けると、思考が溶けてしまい銀紙の海の一部となる未来が待っている。いおりん、助けてくれ。
話を戻すと、カバーって心の底から楽しめない側面を持っています。世の中にはすごいカバーソングがあるのも確かですが、どうしても原曲に勝らないなと、脳のどこかで思い込んでしまう。それが立ち位置不明のアニメキャラクターがカバーとなると、カバーなの?アニソンなの?と困惑がプラスされる。
この状況は放っておいてもいいんだけど、別の解釈で向き合えば改善できるでは?と思い、カバーやアニソンという解釈ではなく、キャラクターソングの解釈として向き合うのはどうだろうか。先のもので例えると『水瀬伊織/カナリア諸島にて(楽曲提供:大瀧詠一)』になるわけである。す、すごい。特に悪いことをしているわけではないけど、歴史修正主義者になったような気分だ。ガハハ。
という冗談はさておき、アニメキャラのカバーソングをキャラソンと捉えることで、カバーにある原曲との優劣は解消されるのではないだろうか。立ち位置をキャラソンとしてチューニングすることで、そのキャラクターをイメージする音楽はこれなんだなという納得と解釈も広がるのではないだろうか。僕はこの解釈で自分の機嫌を取ることができると考えている。だが、いおりんはどう思うかな。