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エッセイで自分語りをする奴は痛々しい

まず怒り心頭でこの記事を開いた方には過激なタイトルを付けたことに非常に申し訳なく思う。

この言葉はエゴサーチをして見つけた「メンヘラ粘着ストーカーおじさんが漫画家気取りで自分語りエッセイを書いているの痛々しすぎるんだけど」という罵倒から付けたタイトルだ。

まとめると今回はその『自分語りエッセイ』という部分の罵倒についての話である。

タイトル詐欺に騙されて怒髪天衝のままの方も気分が乗れば軽く流し読みして頂ければありがたい。そのまま帰るよりは読み終えるときには些か気分が晴れることもあるかもしれない。


話を戻そう。

まず「メンヘラ粘着ストーカーおじさんが漫画家気取りで自分語りエッセイを書いているのが痛々しい」という罵倒をひとつずつ読み解いていく。

最初にある『メンヘラ』は鬱病でもあり発達障害でもありたまに躁病にもなる人間だから言われても仕方ない。それが社会的失墜に繋がるとも思わない。というより『週1の非常勤勤務の底辺子ども部屋おじさん』に社会的地位自体がないのでノーダメージだ。

次に『粘着ストーカー』について。
たしかに『他人からの何気ない言葉をどこまでも引きずる』粘着質な性格は自覚もしている。小学1年生のときに言われた「先生から友達になってくれと言われただけだから外では話しかけないで」という言葉を今でも根に持っているのだから粘着度は瞬間接着剤並である。

『ストーカー』については以前のアカウントで流出させた情報が莫大であることから、それが今でも私に執着している者たちから流出されるのを恐れて以前の関連アカウントを定期的に覗いていることを言っているのだと思う。正直これは悪癖との自覚もある。別に私の知らない場所で私の話をしていようが私の関与しない話だ。顔写真が流出しようが過去の私の恥部が晒されようが私が見ようとしなければ一切無関係。これは私が治せばいいだけの話でもあり、電話番号や本名などが流出して実害が及んだときだけ法的措置を取ればいいだけの話だ。それにしても前の界隈を離れたのは2年半も前の話だが、そんな腐ったネタを周りが飽き飽きしている中で今も擦り続ける粘着ストーカーとはいったいどこの誰のことを言っているのか。

閑話休題。次は『漫画家気取り』について。
別に資格がいるものでもあるまいし漫画家を気取ってもいいんじゃないか? むしろプロフィール文にも記載してもいい。絵を描いているなら堂々と『イラストレーター』を名乗ればいいし、こうやってエッセイを書いている我々も堂々と『エッセイスト』だと誇ってもいい。頭に『プロ』さえ付けなければ素人でも不利益にならないのなら大いに名乗ればいい。つまりこれもノーダメージだ。



それで本題の『自分語りエッセイ』という言葉である。正直二度見した。タイトルで自身の目を疑ったエッセイスト同志も多いだろう。私もだ。これはもう『ポエム詩』『夢見事ファンタジー小説』『非現実SF小説』という言葉に近い。つまりこれ『既存のジャンル』に『その既存のジャンルの蔑称』を付けた重語ということになる。

ただそこは問題ではない。
なぜ『自分語り』は『蔑称』となったのか? という話だ。

これについては私見だが、インターネットの普及によって『自分語りは自分勝手な人間の不快な行為である』という蔑称に変わったという説だ。

そもそも不快な自分語りもそれを話す人間も昔から存在はしていた。それは飲み会での上司の説教混じりの苦労話であり、多人数が集まって話す場面で自分のことばかり話す人間でもある。ぱっと思い浮かべられるようなものだから珍しい人種でもない。

ただこういった自己主張の激しい人間というものは行動力が"無駄に"ある故に社会的地位が半端に高い傾向にもある。非常に残念なことに。だから『不快ではあるが現実で表立って楯突くほどでもないもの』として許容されてきた。

それが社会的地位も関係ない匿名掲示板、SNSの匿名グループによって『本題に沿った話題から離れて自分のつまらないことだけを話す』という行為を公然と批判出来るようになったのがインターネットの功罪である。功は社会的になんとなく許されてきた『ネット上で話題を無視して自分のつまらないことばかり話す人間』を少しばかり淘汰出来たこと、罪は『自分のことを話す、言わば自分語りという行為そのものがイタい』という拡大解釈を生んだことである。

別に『自分語り』そのものは悪くはない。『話題に関係なく挟まれるつまらない自分語り』が迷惑なだけであり、『場面に沿った話題の自分語り』は歓迎されるべきものだ。少なくともnoteという『エッセイを読める場所』で『面白い話』を渇望している私含めたエッセイスト(もちろん堂々と名乗ってよろしい)はそう考えている。

居酒屋で聞ける自分の専門外の話題なんてものもたまらない。カウンターの隣に座った紳士が某酒蔵の杜氏であり、彼が酔いが回ったときに話した「この前ワイン酵母入れた日本酒作ったけど吃驚するぐらい不味かった」「俺は反対したんだけど社長が無理やり大々的に売り出して吃驚するぐらい売れなかった」という裏話には腹が捩れるほど笑った思い出もある。面白い自分語りは腹に抱え込まずに披露すべきだ。それを墓に持っていくには勿体ない。

ここまで書いたところでまだ読まれているということは『つまらない自分語り』という読者の一線からは少しは抜け出たものを書けたとは思っている。怒髪天は鎮まっただろうか。こんな駄文を読了したことは光栄でもあり、心より感謝を申し上げたい。

タイトルとは真逆だが改めて繰り返す。

自分語りは悪いことではない。
noteという場において自分を語れば収益がゼロであろうが立派なエッセイストだ。

エッセイストよ、大いに自分を語れ。

2024/07/07
社会不適合うさぎ

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