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[ウマ娘][後編]テイエムオペラオーをアニメ3期でもn期でも漫画でもいいから主人公にしてほしい、という話。[ストーリー編]

※この記事はウマ娘のアニメ、漫画シンデレラグレイ、アプリゲームの内容、そして史実に言及します。ネタバレをお嫌いになる方は注意してください。

(後記)アニメ決まりましたね。どうやらトップロードが主役のようですが、オペラオーにも焦点が当たってくれてうれしいです。現状クラシック期のみのようですが、2000年も映像化してくれることを祈っています。(もちろん漫画とかアプリでもいいですけどね。)

↓↓↓[前編]・[魅力編]↓↓↓

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[前編]の[魅力編]では主にウマ娘のテイエムオペラオーを中心に魅力を語ってきました。
今回の[後編]・[ストーリー編]では史実のレース結果やエピソードを基に、テイエムオペラオーがいかに主人公に相応しいか、そしてもしテイエムオペラオーが主人公のストーリーが作られる場合具体的にどのようなストーリーが見たいか、というのを話していきたいと思っております。
[前編]でも申し上げた通りこれにより1人でも「テイエムオペラオーが主人公のストーリー見てみたい。」と思ってくださるなら光栄です。よろしくお願いします。

最初にアニメ、漫画のどの媒体が最適かを考えていきたいと思います。まずテイエムオペラオーは生涯で26戦しており、これは競走馬の中ではわりと多い部類に入ります。特にテイエムオペラオーは芝の最高峰であるクラシック路線を1年間、古馬G1路線を2年間フルに戦っており尺は豊富に確保しなければならないと考えております。
その場合アニメよりも漫画のほうが最適なのではないかという考えに至ります。

オグリキャップが主人公の「ウマ娘 シンデレラグレイ」で考えてみます。オグリキャップは史実でも生涯で32戦しているスターホースですがシンデレラグレイの現状の刊行ペースから考えると最終的に少なくとも10巻以上、もしかしたら20巻近くまでいくのではないかと思います。
これはアニメ換算でいうと今までの「ウマ娘 プリティーダービー」1期&2期分の尺を優に超えます。

テイエムオペラオーもオグリキャップに迫るほどのレースを走っているため、やはり漫画媒体のほうが作品としても作りやすいのではないかと考えます。
もしくは尺を十分に確保した上でのアニメ、というのが理想です。

それでは具体的なストーリー展開を考えてみましょう。
はじめにテイエムオペラオーはエリートではありません。それに主戦を務めた和田竜二騎手も当時は20歳そこそこの新人騎手です。陣営もその当時はほぼ無名で強くなく、そこも含めて全体的に目立つところのない馬でした。
この辺りが上手く表現されていてほしいですね。
オグリキャップは地方から中央に殴り込み、栄光を掴み取りました。胸が熱くなるストーリーですが、テイエムオペラオーも「非エリート」という要素を鑑みれば、胸が熱くなるようなストーリーになるはずです。
(ちなみにテイエムオペラオーはアニメでは最強のエリート集団「リギル」に所属していますが、公式でアニメやゲーム、漫画の世界線は違うと明言されていますので、ここらへんはどうとでもなるかと思われます。私はテイエムオペラオーが「リギル」に所属していることには違和感を覚えました。)

そしてウマ娘世界ではトレーナーが重要ですが、これは和田竜二騎手をモデルとしたキャラクターしかないでしょう。
シンデレラグレイでは武豊騎手をモデルにしたと思われる奈瀬文乃というトレーナーが登場しています。
同じようにテイエムオペラオーのストーリーでも和田竜二騎手をモデルとしたキャラクターがトレーナーを務めるのがいいですね。ちなみにアニメで本人役で出演されている細江純子さんやオペラオーとも戦ったキングヘイローの主戦としても知られる福永祐一騎手は競馬学校で和田竜二騎手と同期だったりします。またライバルであるナリタトップロード主戦の渡辺薫彦元騎手や、メイショウドトウ主戦の安田康彦元騎手も当時は若く、トップクラスの馬に乗っていた騎手たちが軒並み若手という面白い時代でした。
このように騎手の関係だけで語れるほどのドラマ性があったのでできればウマ娘だけに焦点を当てるのではなく、鞍上要素についてもトレーナーやその他の形で表現してストーリーとして落とし込んでほしいですね。

そういう意味でもアニメではトレーナーが何人か登場するものの、あまりトレーナーのキャラクターを掘り下げるというシーンはありません。漫画であるシンデレラグレイではオグリキャップのトレーナーとして北原譲というキャラクターが登場し、もう1人の主人公じゃないかというくらいの存在感を放っています。
このことからもやはり漫画がいいんじゃないかと思います。

デビュー

デビューの前にまず簡単にテイエムオペラオーという競走馬を解説します。
テイエムオペラオーは1996年生まれの競走馬で父オペラハウス、母ワンスウエド、母父はブラッシンググルームという血統です。
父のオペラハウスは欧州の歴史的大種牡馬サドラーズウェルズの直仔として凱旋門賞と並んで世界最高峰のレースであるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスなどG1レースを3勝しています。
母父ブラッシンググルームは欧州で短距離中心にG1競走を5勝、種牡馬としては中長距離でも優秀な産駒を多数輩出し、母父としても大活躍しました。母父としての活躍を世界で見ればラムタラやゴルディコヴァなどの歴史的名馬を多数輩出、日本でもテイエムオペラオーをはじめ、マヤノトップガン、ヤマニンゼファーなどG1競走を制した多くの名馬を輩出しました。

これだけ見れば優秀な血統に見えます。実際世界的には十分優秀な部類に入るでしょう。しかし世界で評価されるからといって日本競馬で評価されるかは全くの別問題です。特に現代日本競馬では馬場の高速化が進んでおり、サドラーズウェルズ系特有の重くてスタミナ・パワーがあるステイヤータイプの競走馬は通用しにくい傾向にあります。
それもあってかセリ価格では比較的安価な1000万円という値段でした。競りかけてくる人は他にいなかったようです。
しかしオーナーの竹園正繼さんはかねてよりテイエムオペラオーに目をつけていたようで生産牧場である杵臼牧場を訪れた時点から購入を強く希望していました。

ちなみにこの杵臼牧場周りの人間関係もなかなか面白いです。杵臼牧場は家族中心の経営で比較的小さな牧場です。そんな杵臼牧場には恩人ともいえる人物がいて、そのうちの一人が布施正調教師という方でした。
布施調教師は縁を大切にされる方で、この出会いを契機に様々な取引に恵まれるようになったようです。
この布施正調教師、管理馬であるバンブーアトラスが1982年の日本ダービーを制しているのですが、主戦を務めたのは厩舎所属騎手であり弟子でもある岩元市三騎手でした。

岩元市三騎手は騎手を引退後、布施正調教師の後を継ぎ、調教師として活躍します。ここでとある人物を厩舎所属騎手として弟子に迎えるのですが、この騎手がほかでもない、後にテイエムオペラオーの全てのレースにおいて手綱を取ることになる和田竜二騎手でした。

テイエムオペラオーに関しても布施正調教師の後を継いだ岩元市三調教師が同牧場を訪れた際、同行した竹園正繼さんの目に留まったということで、テイエムオペラオーと和田竜二騎手の名コンビも当時の杵臼牧場と布施調教師の時代から続く人の縁が繋いだ産物であるといえるでしょう。

さて、そろそろデビューへと向かいましょう。
トレーナーとの出会いの部分からやってほしいので新馬戦(デビュー戦)を描くことになるのですが、史実のテイエムオペラオーはこの新馬戦の後で骨折をしていることが判明します。新馬戦は2着に破れ、そこから約5ヶ月の休養を余儀なくされます。
いきなり骨折というとアニメ2期のトウカイテイオーを思い浮かべますが、トウカイテイオーは新馬戦を快勝しデビューから無敗の4連勝後の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)を勝ち2冠を達成した上での骨折ですが、テイエムオペラオーは1番最初のデビューでいきなり骨折しているので、また違った雰囲気のストーリーになり、トウカイテイオーと被ることもないのではないかと思われます。
テイエムオペラオーは休養明け、ダート未勝利戦を4着、さらに1ヶ月後のダート未勝利戦でようやく勝利します。そこから芝へ再度方向転換し、条件戦のゆきやなぎ賞、毎日杯(G3)と三連勝し、クラシック1冠目である皐月賞へと歩みを進めます。

皐月賞

ここでひとつドラマがあります。テイエムオペラオーは当初、クラシックの登録をしていなかったため、追加料金を支払いクラシックレースである皐月賞に出走したという背景があります。しかしこの「クラシック追加登録制度」はもともと存在しておらず、ある馬をきっかけに誕生することになります。
その馬こそ歴史的名馬オグリキャップです。
この経緯については漫画シンデレラグレイのほうで詳しく再現されています。その過程でテイエムオペラオーと思われるキャラクターがシンデレラグレイの一コマに登場しています。
そしてテイエムオペラオーはこのクラシック追加登録制度で出走した馬で、初めて勝利した馬です。
このこともあり、シンデレラグレイに登場したのでしょう。
ウマ娘のコンテンツですでにこの追加登録制度のことを詳しくやっているのでテイエムオペラオーを主人公としたストーリーが作られるときにもこのことに触れれば熱いですね。

ちなみにテイエムオペラオーの追加登録の経緯としては当時の岩元市三調教師が参戦に反対する竹園正繼オーナーに対して、「自分が(登録料)を支払ってもいい」と言って説得したというものです。そのとき岩元市三調教師にテイエムオペラオーのクラシック参戦を勧めたのがテイエムオペラオーとは関わりのない瀬戸口勉調教師でした。そしてこの瀬戸口調教師はオグリキャップを管理した方でもありました。
テイエムオペラオーのクラシック参戦を勧めたのがオグリキャップのクラシックで悔しい思いをした瀬戸口調教師なのですからなかなか面白い縁だと思います。
ウマ娘でもしこの皐月賞を扱うならオグリキャップの登場も期待できます。
そういった意味ではテイエムオペラオーのシンデレラグレイ登場は一種の伏線かもしれませんね。

そしてテイエムオペラオーは追加出走した皐月賞で鬼のような末脚を炸裂させ勝利します。レースを見てもらえれば分かりますが、1頭だけ倍速再生しているんじゃないかというくらい衝撃のレースでした。ちなみに3着がナリタトップロード、6着がアドマイヤベガですが、この2頭はこの先テイエムオペラオーと戦っていくこととなります。アドマイヤベガはウマ娘化されていますが、ナリタトップロードは今のところされていません。テイエムオペラオーのストーリーには不可欠な存在なのでどこかのタイミングで実装されることを強く願っています。(追記:されましたね!)

ちなみにこの時のオペラオーは5番人気でした。というのもクラシックが始まる前は前哨戦の弥生賞(G2)などでクラシック有力候補が見定められます。しかしオペラオーは新馬戦で怪我をして休養したこともあり、あまり注目を集めていませんでした。
この皐月賞のとき特に注目されていたのはナリタトップロードとアドマイヤベガです。
ナリタトップロードは父親が人気絶大だったサッカーボーイ、アドマイヤベガは父サンデーサイレンスで母ベガという超優良血統ということもあり、完全にオペラオーは伏兵でした。
この2頭が1999年のクラシック主役候補筆頭であり、オペラオーは毎日杯(G3)でものすごく強い勝ち方をしたものの主役とまでは呼べない存在でした。
それもあってか実況は最終直線までオペラオーの名前は呼ばず、ほとんどゴールと同時にようやくオペラオーの名前を呼びました。

つまり、オペラオーは彗星のように現れたスターなわけです。このオペラオーの勝利により1999年のクラシックはアドマイヤベガ、ナリタトップロード、テイエムオペラオーという三強の構図が出来上がりました。
この辺りを上手く表現すると皐月賞の勝利が痛快なものになると思います。

東京優駿(日本ダービー)

日本ダービーではテイエムオペラオー・ナリタトップロード・アドマイヤベガの3頭で上位を争うことになります。
結果は1着がアドマイヤベガ、2着がナリタトップロード、3着がテイエムオペラオーでした。ちなみにこの時アドマイヤベガの鞍上は武豊騎手でした。シンデレラグレイには武豊騎手をモデルにしたと思われる奈瀬文乃が登場していることから、ここでも登場する可能性がありますね。
それからこの日本ダービーは騎手の差が出たレースとして語られています。シンデレラグレイ世界線での奈瀬文乃はスーパークリークを担当していますが、史実で武豊騎手も同馬を担当していました。このときの武豊騎手の年齢はなんと19歳で武豊騎手にとって初めてのG1勝利でした。シンデレラグレイでもそこから経験を重ねた奈瀬文乃が日本ダービーで貫禄を見せるのは燃えます。

さらにゲームをプレイされている方はご存知かもしれませんが、アドマイヤベガはかなり重い事情を背負っていることを察することができます。これには元ネタがあり実はアドマイヤベガは双子だったのです。しかし双子は競走馬として能力的に難しいという判断で母であるベガの胎内で葬られ、アドマイヤベガの兄弟はその人生を始める事さえ許されませんでした。
ウマ娘のアドマイヤベガはたびたび宿命が、使命がと言っていますがウマ娘世界でも姉妹か兄弟を亡くしていると考えられ、亡くなった自分の半身のために走っていると考えられます。 
この辺りもストーリーとして上手く落とし込んでほしいですね。

ちなみにこのアドマイヤベガ、父はもはや説明不要の大種牡馬サンデーサイレンス、母は二冠牝馬のベガ、母父は凱旋門賞馬で日本で種牡馬としても大活躍したトニービンという超が付くほどの良血馬でしたが、母ベガは繁殖牝馬としても大活躍し、初仔アドマイヤベガの他に重賞馬でG1でも好走したアドマイヤボス、芝ダートのG1で7勝を挙げたアドマイヤドン、2014年の桜花賞(G1)を勝ち凱旋門賞でも好走したハープスターの母であるヒストリックスターなどの活躍馬を輩出しています。

テイエムオペラオーはダービー後、同世代ではなく京都大賞典(G2)で古馬との戦いに挑み3着と結果を残した後に、クラシック最終戦である菊花賞へと進みます。

菊花賞

菊花賞でもお馴染みの3頭が出走しますが、結果は1着がナリタトップロード、2着がテイエムオペラオー、アドマイヤベガは6着でした。
ここで1着となったナリタトップロードですがとても人気のある馬でした。馬自体の見た目もイケメンで、鞍上の渡辺薫彦騎手とのコンビで絶大な人気を博しました。ちなみに渡辺騎手もとてもイケメンです。
この渡辺薫彦騎手も当時若く、重賞(G1.G2.G3)初制覇がこのナリタトップロードのきさらぎ賞(G3)でした。2着に敗れた日本ダービーでは涙を流すほど悔しいものだったので、G1初制覇となった菊花賞の勝利は格別でしょう。

ちなみにナリタトップロードの父親はサッカーボーイという馬で、シンデレラグレイで登場するディクタストライカというキャラクターの元ネタと考えられています(父親がディクタスで「サッカー」から「ストライカ」なのでしょう。ほんとは「ディクタストライカー」としたかったのでしょうが、規定で9文字以内と決まってるんですよね)。

6着となったアドマイヤベガは休養に入るのですが、左脚に繋靭帯炎が見つかり引退することになりました。この繋靭帯炎、アニメ2期を見られた方は聞き覚えがあると思いますが、メジロマックイーンが発症したものと同じ病気でした。
史実のメジロマックイーンはこれにより引退していますが、史実のアドマイヤベガも同じく引退しています。
ウマ娘でのメジロマックイーンは最後復帰し、トウカイテイオーと走っていますが、ウマ娘でのアドマイヤベガはどうでしょう?
個人的な考えとしては引退するというのも、不謹慎ですが物語的には面白いかなと思っていたりします。というのも2期のメジロマックイーンの復帰の前に、アニメ1期でもサイレンススズカが怪我から復活しているんですよね。
同じ展開がいつも続くというのも物語的にどうなんだという話ですので、引退という展開もまた一興かなと考える次第です。

そしてテイエムオペラオーにも菊花賞でひとつエピソードがあります。それはこの菊花賞で鞍上を務めた和田竜二騎手の騎乗がテイエムオペラオーのオーナーである竹園正繼さんの怒りを買い、乗り替わりを命令されたというエピソードです。
和田竜二騎手は後年、このときの菊花賞のことを「悪夢の菊花賞」と称して度々思い返していたほど勝たなければいけないレースであり、本来であれば勝っていたレースでした。
和田竜二騎手は乗り替わりの危機に陥り、和田騎手本人も仕方ないと諦めていたそうですが、テイエムオペラオーが所属していた岩元厩舎のトップであり、和田竜二騎手の師匠でもある岩元市三調教師の説得により竹園オーナーは折れ、和田竜二騎手の続投が決まります。
この経緯も上手く物語に落とし込んでほしいです。
ちなみに岩元市三調教師と竹園正繼オーナーはお二方とも鹿児島出身で幼なじみ的な関係なのだそうです。学年は竹園正繼さんのほうが2つ上ですが、一緒に過ごしていた時間も多いとか。竹園正繼さんはもともと実業家なのですが、馬主になろうとしたきっかけが誰あろう岩元市三さんなのだそうです。
なんでも社会人として働いていたはずの岩元市三さんが騎手としてバンブーアトラスに騎乗し、日本ダービーを制している場面をたまたま偶然テレビで目撃し、馬主になろうと決意したそうです。
そこから調教師と馬主として再会し、共に頂点を目指すのですからこのお二方の関係性もとてもドラマチックですよね。
もしテイエムオペラオーをストーリー化するときは岩元さんと竹園さんも何らかの形で登場してほしいですね。
特に岩元市三さんは和田竜二騎手の師匠で、後年の和田竜二騎手が「(岩元)先生がいなければ今の自分はいない」と語るなど如何に岩本市三さんが和田竜二騎手の中で大きな存在なのかは理解することができます。
もしもウマ娘で登場するなら師匠・先輩トレーナーという立ち位置でしょうか。ウマ娘でも師匠ポジションで岩元市三さんらしき人物が登場するかもしれません。
それから馬主というのをウマ娘で表現するのは難しいですが、URA職員というのはどうでしょうか?
URAというのはその語呂からも分かるようにJRAのウマ娘バージョンだと言えます。
幼なじみがトレーナーとして活躍しているのを見て自分もウマ娘に関わりたいと思い、URAの一員としてウマ娘の活躍に携わるというのもいいかなと思います。
ともかく岩元市三さんと竹園正繼さんの関係性もテイエムオペラオーを語る上で外せないので、ストーリーとして上手く再現してほしいですね。

和田竜二騎手の続投で挑んだ残りの秋でしたが、ステイヤーズステークス(G2)では2着、年末の有馬記念ではスペシャルウィークとグラスワンダーの前に敗れ3着となり、クラシック期を終えました。
有馬記念では敗れたものの、2400Mの京都大賞典(G2)→3000Mの菊花賞→3600MのステイヤーズS(G2)→2500Mの有馬記念という中長距離の非常に厳しいローテーションであのスペシャルウィークとグラスワンダーに僅差で迫ったことから、来年の古馬としてテイエムオペラオーは期待されました。

ちなみにナリタトップロードは7着でした。

この年のクラシックはテイエムオペラオー・ナリタトップロード・アドマイヤベガの三強がそれぞれ分け合い、非常に白熱した年でした。

ハルウララ

ここで寄り道します。
[前編]で話しましたが、テイエムオペラオーとハルウララは同い年です。同じ年に生まれながらテイエムオペラオーは勝ち続けて妬まれる、ハルウララは負け続けて人気になるというなんとも数奇な2頭です。この対比はなかなか面白く、2期のライスシャワーを思わせます。
テイエムオペラオーはそれでも普通に人気はありましたが、トウカイテイオーやオグリキャップ、キタサンブラック、ウマ娘には出ていませんがディープインパクトやオルフェーヴルなどのいわゆるスターホースとは言い難いです。競馬関係者からの支持は厚いですが、競馬をあまり見ない一般の人たちでの間では認知度は低いでしょう。
逆にハルウララは負け続けたことで注目を浴びました。負けて負けて負け続けて、ついには社会現象とも呼べるブームを生み出し、当時所属していた高知競馬場にも多くの利益を与え、全国の人々を笑顔にしました。
アニメ2期のライスシャワーではまさにこの部分を詳しく描きました。
勝つことで自分も他人も幸せになるはずなのに、自分が勝つことで多くの人を不幸にしてしまう。このジレンマがライスシャワーを苦しめました。
オペラオーでも同じような葛藤が描けるはずです。オペラオーは自分の圧倒的な美しさと強さで世界に勇気と笑顔を与えたい。しかし思うようにはいきません。ウマ娘のオペラオーはシナリオ内で途中から悪役(ヒール)も引き受ける、というようなことを言っておりそれに対しての本音は相変わらず不明ですが、本心はどうだったのでしょう。
和田竜二騎手もオペラオーが勝っても注目を浴びない、人気が出ないことに悩んでいたようです。

ウマ娘でのオペラオーはメンタルが限界突破して何事にも動じないように見えますが、本当にそうなのでしょうか?
[前編]でも話しましたが彼女は普段は道化を演じていて、本音トークは苦手とのことです。
我々ゲームをプレイしている人には絶対に見せることのない隠れた1面もあるのではないでしょうか?
テイエムオペラオーというウマ娘はもっと掘り下げるべきキャラクターだと思います。
彼女のキャラクター性によっては勝ち続けることによる葛藤、王者ならではのプレッシャーや苦悩など深いストーリーが描けるはずです。勝つことと負けることによる対比、なかなか面白いと思います。

話を戻しますがウマ娘でもこの2人は絡みがあって、[前編]でも取り上げました。
同い年ということでハルウララのエピソードも一気にやっちゃえるんじゃないか、と思うわけです。
ハルウララはウマ娘ではあのようなお気楽なキャラクターですが、負けて悔しがるという1面もあります。またハルウララはその生涯で1度も勝利したことはありませんが、彼女だって勝ちたいし、負けたら悔しくて泣くのです。これらの要素をエピソードとして掘り起こす場合、ハルウララを励まし、勇気を与えるキャラクターが必要です。
これにテイエムオペラオーが最適なのではないかと考えています。実際[前編]でも語った通りすでにゲーム内ではそのようなシーンがあるんですよね。
もしテイエムオペラオーを主人公としたストーリーを作るならハルウララも是非登場させてほしいものです。

それでは寄り道も終えたところで、テイエムオペラオーの話へ戻します。



2000年 世紀末覇王

世紀末を迎えた2000年、テイエムオペラオーは伝説になります。
竹園オーナーからは「今年は全勝しろ」と命じられていたそうです。
簡単に言いますが、年間通して全勝など考えられません。それは少しでも競馬に詳しかったら容易に理解できることです。

当時の現役最強馬であるキタサンブラックが年内無敗で春古馬三冠制覇をかけて挑戦した宝塚記念で大惨敗したとき、騎乗していた日本を代表する名手である武豊騎手は「(なぜ負けたのか)よく分からない」と言い、非常に困惑していました。そして「全部勝つって難しいですね。」とも。
年間通して1つも取りこぼさず勝つとは、競馬とはそういうものです。

陣営の緊張は最高潮。和田竜二騎手は後年この時のことを語っていますが、プレッシャーで押しつぶされ廃人も同然に追い込まれていたそうです。
もう絶対に負けることは許されない。
並々ならぬ決意のもと2000年のレースに挑みます。

年明けの初戦は京都記念(G2)で1着(ナリタトップロードは2着)、天皇賞・春の前哨戦となる阪神大賞典(G2)でも1着(2着はラスカルスズカ、ナリタトップロードは3着)でした。

2着に入ったラスカルスズカですが、この馬はサイレンススズカの半弟でもあります。デビュー3連勝後に神戸新聞杯(G2)を3着、菊花賞を3着、ジャパンカップを5着と長い距離で安定感を誇る活躍をしていました。

あのサイレンスズカの兄弟で実力も備えており、また鞍上も兄と同じ武豊騎手であることから彼に寄せられた期待は並大抵のものではありませんでした。

満を持して天皇賞・春...とその前にここで是非やって欲しいエピソードがあります。
それは...



高松宮記念

えっ?オペラオー出てないって?
そうですね、ここでの主役はキングヘイローです。
キングヘイローといえばスペシャルウィーク・グラスワンダー・エルコンドルパサー・セイウンスカイらと共に最強世代と呼ばれた98年世代を象徴する馬の1頭です。
特にキングヘイローはその超優良血統から期待されていました。しかしデビューから3連勝したものの、その後はマイル・中距離・長距離のG1レースに出走し、ことごとく敗戦します。G2やG3での勝利はありますが、G1だけどうしても勝てません(重賞は出場するだけでもすごいんですけどね)。
ウマ娘でのキングヘイローはエリートとして頂点に立てないことを深く悩むキャラクターです。
そんなキングヘイローがようやく、悲願のG1勝利を果たしたのがこの2000年の高松宮記念です。
時系列的には完璧ですからテイエムオペラオーを主人公にしたときはこの高松宮記念でキングヘイローが勝利をもぎ取るところを描写してほしいですね。

天皇賞・春

そして天皇賞・春です。
結果としては1着がテイエムオペラオー、2着がラスカルスズカ、3着がナリタトップロードでした。
「またお前らか!!」
そう聞こえてきそうなレース結果でしたが、ここでもテイエムオペラオーが1着。
古馬G1の1つ目を勝ち春の盾を手にします。

宝塚記念

春のグランプリ、宝塚記念です。
ここでは前年の覇者、「怪物」グラスワンダーとの対決が期待されました。
しかしテイエムオペラオーが1着、5着にラスカルスズカ、グラスワンダーは6着でした。
グラスワンダーはこの宝塚記念を最後に引退することになります。

また5着に入ったラスカルスズカもこの後は怪我にも苦しんだことでパッとせず、ついにG1のタイトルには届きませんでした。

そしてテイエムオペラオーはこの宝塚記念で、永遠のライバルと出会います。
2着に入ったメイショウドトウです。
ここから何度も何度もテイエムオペラオーと激戦を繰り広げていくことになります。
もっともメイショウドトウにとっては悲劇だったかもしれません。

京都大賞典(G2)を勝利(ナリタトップロードは2着)したテイエムオペラオーは秋古馬三冠ローテへと挑みます。

天皇賞・秋

この天皇賞・秋でもテイエムオペラオーは1番人気に支持されますが、オッズは高くなっていました。それにはある理由があります。
この天皇賞・秋にはそれまでジンクスがあったのです。
曰く「1番人気の馬は勝てない」、と。

1965年にシンザンが優勝して以降18年間勝ちがありませんでしたが1984年にミスターシービーがこのジンクスを克服。しかし翌年、圧倒的な1番人気に支持された「皇帝」シンボリルドルフさえこのジンクスの前に崩れました。
1987年にニッポーテイオーが勝ち、ようやくジンクスもなくなるかと思われましたがそこから12年間、またしても1番人気で勝つ馬が現れませんでした。
あのオグリキャップも、メジロマックイーンも、トウカイテイオーも、ビワハヤヒデも、ナリタブライアンも、セイウンスカイもこのジンクスの前に為す術がありませんでした。そして極めつけは悲劇の名馬、サイレンススズカです。

もう呪われているとかしか思えないこのジンクス、果たしてオペラオーはどうだったのかと言うと、あっけなく粉砕しました。
2着のメイショウドトウに約2馬身差の圧勝。
ちなみにナリタトップロードは5着でした。
これでテイエムオペラオーは天皇賞春秋連覇を果たします。同一年度での達成はタマモクロス、スペシャルウィーク以来史上3頭目でした。現在でも秋春順での達成(スーパークリーク)も含めたら史上6頭しか存在しません(残りはメイショウサムソンとキタサンブラック)。 
ちなみにテイエムオペラオーとメイショウサムソンの父親は同じオペラハウスです。
メイショウサムソンもウマ娘に出ないでしょうか?(涙目)

ちなみに和田竜二騎手、東京競馬場での純然たる初勝利がこの天皇賞・秋でした。なんじゃそりゃ(笑)。

また皐月賞、天皇賞・春、宝塚記念、そしてこの天皇賞・秋の勝利により史上初のG1レースにおける中央主要4大競馬場(東京・中山・阪神・京都)を完全制覇しました。
これは現在でも達成してる馬はかなり少ないです。
ナリタトップロードが中山(2500M)が苦手、ウオッカが東京が得意、マツリダゴッホが中山が得意、ジャングルポケットが東京が得意、ライスシャワーが京都が得意というように競馬場にも適正はあります。

ですのでどんな競馬場でも勝てる馬は少なく、4大競馬場完全制覇はテイエムオペラオーやジェンティルドンナ、オルフェーヴル、キタサンブラックなど、ほんのわずかな馬しか達成できていません。
他にもオペラオーは競馬場、右回り・左回り、馬場、展開、天候、距離(2000〜3200)など弱点らしい弱点がない馬でした。ジンクスも相当数粉砕しています。
また個人的にはオペラオーならダートや障害でもそこそこ走れたと思っています。血統的に重い馬場は問題ないでしょうし、雨の日や重馬場のレースだと他の馬では相手になりませんでした。また数少ない産駒も障害をメインに活躍した馬が多いです。

おそらく世界最高峰のレース、凱旋門賞でも好勝負できたのではないかと思います。
ウマ娘のアニメ一期で出てきたブロワイエのモチーフはモンジューという馬ですが、父がサドラーズウェルズです。ちなみに同レースで2着に着けたエルコンドルパサーは母父がサドラーズウェルズで、他にも凱旋門賞を勝っている馬はサドラーズウェルズ系がたくさんいます。
今年(2021年)の凱旋門賞を勝ったトルカータータッソもサドラーズウェルズ系でした。
オペラオーも父父がサドラーズウェルズで、サドラーズウェルズ系が日本で適合できた数少ない例なので、私は歴代の馬で最も凱旋門賞に夢を見た馬はテイエムオペラオーです。

まさに完全無欠、彼の覇道を阻む者はもはや存在しませんでした。

ジャパンカップ

ここでも当然のようにオペラオーは1番人気に支持されますが、このレースでは海外からファンタスティックライトが参戦していました。そして鞍上が世界ナンバーワン騎手と名高いランフランコ・デットーリです。
レース結果はというと、1着がテイエムオペラオー、2着がメイショウドトウ、3着がファンタスティックライトでした。
終盤先頭に出たテイエムオペラオーをメイショウドトウ、ファンタスティックが猛追撃するがどうしても抜かせない。差は少ししかないはずなのに、あとちょっとなのに抜くことができませんでした。
ゴール直後、ファンタスティック鞍上のデットーリはハイタッチで和田竜二騎手とテイエムオペラオーを称えました。さらに「クレイジーストロング!」とテイエムオペラオーについて言い残したそうです。

和田竜二騎手は後年テイエムオペラオーについて、先頭に出るとソラを使う(気を抜く)癖はあるが、何があっても先頭は捉える馬だ、そして抜かされることはない、と評価しています。
よくテイエムオペラオーは僅差勝ちばかりで強いとは思わないと言われることもありますが、これを踏まえると僅差になるのは必然でしょう。なぜなら(最後は)手を抜いて勝っているのですから。
和田竜二騎手は「突き放してほしかった」と毎回ヒヤヒヤしていたらしいですが...。
オペラオーの能力的には着差を付けることもできるらしいのですが、ただ着差を付けることはそれほど重要だとは思いません。
それよりは毎回毎回、無事に走って僅差でもいいから確実に勝つことが重要だと思います。
ファンからしたら着差が大きいほうが熱狂も大きくなる傾向にありますが、騎手や調教師など、現場の人間の中ではあまり着差をつけずに勝つのが理想的だという考え方を持っている人たちも少なくないようです。

ちなみにこのジャパンカップも14年連続で1番人気の勝ち馬がいませんでした。
他にもクラシック追加登録によって出走して勝利した競走馬はいないというジンクスを破るなど、テイエムオペラオーはジンクスブレイカーでもありましたね。

有馬記念

そして年末のグランプリ、有馬記念です。
テイエムオペラオーはこの年、ここまでG14勝を含む7戦7勝。この有馬記念に勝てば天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念という古馬の中長距離王道路線を1年で完全制覇するという前代未聞の偉業を達成することになります。
ちなみにこれまではタマモクロス、そしてスペシャルウィークが前年に記録した完全連対(1着:3回、2着:2回)が最高でした。
今でこそ負担や適性を考慮して年間にこれほどのレースに出ることは珍しくなりましたが、この時代の競走馬は開催されるG1競争には当たり前のようにほとんど全て出走していた時代ですので、出走するG1を全て勝つことの価値はとても高いものがあります。

ちなみにこのレース前、オペラオーは何らかのアクシデントで馬房に顔をぶつけていたようです。片目が腫れ上がり、ほぼ見えなかった状態だとか...。馬によってはやる気を喪失していても何らおかしくありません。

レース開始直後オペラオーは後方でスタート。馬群に飲まれて身動きが取れませんでした。これまでの戦績により他陣営からのマークが強くなるのは理解できますが、想像以上に強いマークでした。
依然馬群に飲まれて後方に位置したまま4コーナー、最後の直線へと進みます。
しかしまだ馬群が開きません。
直線が短いことで有名な中山競馬場です。
実況の「残り310mしかありません!」という言葉がより悲壮感を表しています。
もう絶対絶命だと思われた次の瞬間、わずかに空いた隙間を縫って馬群の真ん中からテイエムオペラオーが抜け出してきます。
実況は「テイエム来た!テイエム来た!」と興奮気味。
先頭はメイショウドトウ。
中山の短い直線で他馬をごぼう抜き、メイショウドトウをハナ差捉えてゴールしました。

世紀末を締めくくるに相応しいレースとなりました。
これによりテイエムオペラオーは古馬王道中長距離路線完全制覇、年間獲得賞金10億越え(ちなみに歴代の通算最高賞金額で考えても前年にスペシャルウィークが記録した10億9000万円ちょっとなのでオペラオーはたったこの1年で歴代の最高賞金額を塗り替え、この時点で賞金王となりました。)、天皇賞春秋連覇、秋古馬三冠、グランプリ春秋連覇と途方もない成績を残して2000年シーズンを終えます。
テイエムオペラオーは2000年という世紀末に王のような圧倒的な強さを見せつけたことから「世紀末覇王」と称えられました。
ちなみにナリタトップロードは9着、4着にキングヘイローが入りました。
キングヘイローはこの有馬記念を最後にターフを去ることになりました。




七冠とシンボリルドルフ(記録と記憶)

テイエムオペラオーは有馬記念の勝利により、G1レースの6勝目を手にしました。1年に生まれるサラブレッドの数を考えれば、これはとてつもない大偉業です。そもそも大方の馬がデビュー戦で勝てずに消えていく中、その後条件戦、OP戦、そして重賞(G3,G2,G1)への階段を上がっていく馬はほんの一握りです。重賞を勝つだけでその生涯に輝かしい経歴を刻み込むのに、G1レースを何度も勝つなどもはや神域です。

現在の日本競馬でのG1最多勝利数はアーモンドアイが保持する9勝ですが、長らく日本競馬ではG17勝というのがひとつ大きな「記録」としてありました。G17勝馬はディープインパクトやキタサンブラックなど歴史上でも何頭かいますが、ここで注目したいのはシンボリルドルフです。日本競馬における最初の無敗での三冠馬、そして最初のG17勝馬として、他の追随を許さない圧倒的な強さを誇りました。シンボリルドルフを登場させることによってテイエムオペラオーの物語は一段と深いものになるでしょう。

単にルドルフが残したG17勝という記録にオペラオーが挑む、というだけでも面白いです。個人的に今までのウマ娘のアニメやゲームでは「記録」についてあまり言及していない印象があります。アニメ2期では「三冠」という一番華やかな「記録」を扱いましたが、そのほかにも「グランプリ連覇」や「天皇賞春秋連覇」、「春秋マイル連覇」、「春秋スプリント連覇」、「秋古馬三冠」、「春古馬三冠」、「春秋ダート連覇」など数々の「記録」が存在します。アニメ1期ではスペシャルウィークが天皇賞春秋連覇、グラスワンダーがグランプリ連覇、セイウンスカイが皐月賞と菊花賞の2冠を取っていますが、まったく競馬の知識を知らない人の中には「それってどんくらいすごいの?」って状態の人も多かったと思います。

テイエムオペラオーは(Wikipediaを見てもらえればわかりますが)数々の「記録」を残して、今なお破られていない「記録」も多くあります。個人的に「記録」といえばオペラオーというくらい圧倒的な実績を誇ります。
ウマ娘でももう少し「記録」について触れてもらいたいですね。そうするとオペラオーが主人公となったとき、彼が残した偉業がどれほどすごいのか、多くの人が目の当たりにすることになると思います。

そしてシンボリルドルフの登場によって「記録」の面だけ掘り下げられるわけではないと思います。オペラオーとルドルフの両者にはG17勝という繋がりがありますが、他にも共通点はいくつかあります。

それは「記録」ではなく「記憶」のことです。シンボリルドルフとテイエムオペラオーは競馬史に華々しい1ページを刻み込みましたが、彼らの活躍している最中で熱狂的な雰囲気もあった一方、暗いような重いような雰囲気も確かにありました。

「勝ち続けると全ての馬が敵になる」

これはテイエムオペラオーが出演した競馬のCM中での1フレーズですが、私はこれを少しいじって、

「勝ち続けると全ての者が敵になる」

としたいと思います。この2頭を表現したフレーズになったかと思います。なにも競馬だけではありません。大方の民衆は「勝者」より「敗者」に、「強者」より「弱者」に、「勝ち組」より「負け組」に親しみを覚えるものです。いわゆる判官びいきというやつですね。

つまり「強者」は疎まれるのです。この2頭がまさにそうでした。「強すぎてつまらない」、「勝ちすぎてつまらない」といったような意見が当時は多く見られました。ハルウララの項目でも触れましたが、「強者」が讃えられることもあるでしょうが「弱者」も同じく讃えられることもあるでしょう。もしかすると「強者」より「敗者」のほうが民衆に受け入れられ、より多くの賞賛を集める可能性だってあります。テイエムオペラオーとハルウララがまさにそうです。知名度の比較でもハルウララがダントツでしょう。

このような対比はテイエムオペラオーとハルウララ、そしてシンボリルドルフと絡めて深い物語にすることができると思います。それはメイショウドトウやナリタトップロードでも同じです。おそらくこの世代の人気で言えばハルウララを除けばナリタトップロードが1番ではないかと思います。

「常に勝っているのはボクなのに、注目を集めるのはいつも彼女だ。」

もしウマ娘時空でオペラオーの物語をやると、オペラオーはこのような考えを抱くのではないでしょうか。
実際、主戦を務めた和田竜二騎手もこのように感じていたようです。

無論、このような考えはフィクション仕立てにするために若干誇張しているというのもありますが、しかしマイナス思考やそのような思想を抱く人の声にはかなり大きいものがあります。

そして2頭は時代も悪かったのです。シンボリルドルフの一つ上に19年ぶりの三冠を達成したミスターシービーがいました。すぐ翌年にシンボリルドルフが三冠を達成するというのはまだいいです。しかしそうなると2年連続で三冠馬が出たわけですから、人々は「どっちの三冠馬が強いんだ?」とワクワクするのです。しかし対戦成績は3戦3勝でルドルフが一方的に勝ちました。これにはシラケた人も多く、ルドルフを非難する声も多かったでしょう。そもそもミスターシービーが19年ぶりの三冠を達成した時点でシービーの知名度と人気はとても大きかったはずです。
そんな多くの人に愛されたシービーはルドルフの前に歯が立たなかったのですから、シービーを応援していた人にとっては悲しさを超えて、憎しみまで生まれていたでしょう。

テイエムオペラオーに関してもそうです。前年は言うまでもなく「黄金世代」が賑わせた時代でした。超優良血統のキングヘイロー、あまり注目を集めなかったセイウンスカイが前評判を覆して2冠、ダービーを取ったのはサンデーサイレンス産駒&日本競馬で連綿と受け継がれてきた伝統の牝系というエリートであり鞍上もエリート武豊騎乗のスペシャルウィーク、時代に恵まれずとも多くの人々に衝撃を与えたマルゼンスキーの息子として怪物ぶりを発揮したグラスワンダー、凱旋門賞で世界と対等に渡り合ったエルコンドルパサー、そしてその凱旋門賞でエルコンドルパサーを破ったモンジューをスペシャルウィークが日本で迎え撃って勝利、そのスペシャルウィークを死闘を演じたグラスワンダーとこれだけでも「黄金世代」の群雄割拠ぶりがわかると思います。
スペシャルウィークは古馬王道完全連対、そして歴代の賞金王に輝き、多くの人が熱狂しました。

しかし翌年はまさに1強でした。テイエムオペラオーは古馬王道完全制覇、そしてぶっちぎりの賞金王となり、前年にスペシャルウィークが残した「記録」をわずか1年であっさり塗り替えたのです。スペシャルウィークのファン以外にも多くの人がオペラオーを憎み、嫉妬しました。しかも鞍上は若手で、他の有力騎手にとってはつけ入るすきもない。和田竜二騎手にとっては同業者にも面白く思わない人が少なからずいたと思います。つまり、

「勝ち続けると全ての者が敵になる」

のです。シンボリルドルフとテイエムオペラオーにはこのような共通点があります。強者ならではの悩み、という点でもシンボリルドルフを登場させれば深く掘り下げられると思います。

ちなみに2頭は誕生日も一緒です。

そろそろ話を戻しましょう。

翌年テイエムオペラオーは初戦で産経大阪杯(G2)を4着でした。
どうやら大雪で調整が大幅に遅れ、岩元調教師も「ダメかな」と思っていたそうですが、しかしこのような運も含めて実力のうちでしょう。
そしてシンボリルドルフが保持するG1最多7勝目に向けて、天皇賞・春へと進みます。

天皇賞・春

前走で連勝記録が止まったテイエムオペラオーですが、まだまだ王座は譲れない。
結果はテイエムオペラオー1着、メイショウドトウ2着、ナリタトップロード3着でした。
またこの3頭です。

ナリタトップロードは前哨戦の阪神大賞典(G2)で2着に8馬身差の圧勝、世界レコードを叩きだし万全の体制でいざテイエムオペラオー打倒へ、となっていましたがまたしてもナリタトップロードの前にはテイエムオペラオーが立ちはだかりました。

ちなみにこのレースでは約1年半ぶりのレースとなるセイウンスカイが出走しましたが、最下位の12着に終わり、セイウンスカイはこの天皇賞・春を最後に引退しました。

私がテイエムオペラオーを主人公にしてほしい理由のひとつに最強世代の最後を見られるというのがあります。スペシャルウィークとエルコンドルパサーはテイエムオペラオーが年間無敗を達成した2000年の前年に引退していましたが2000年、2001年とテイエムオペラオーが走っている期間にグラスワンダー、キングヘイロー、セイウンスカイといった98年世代が引退しています。
ウマ娘の引退の概念がよく分かりませんが、トゥウィンクルシリーズとドリームトロフィーシリーズという2つのシリーズがあるらしく、おそらく前者がアマチュアで後者がプロのようなものだと思います。後者では賞金も出るらしく熱い戦いをしたいなら前者、プロとして活躍したいなら後者ということなのでしょうかね。
またトゥインクルシリーズ引退後には普通の生活を送るウマ娘もいることが確認されています。
どっちみちシンデレラグレイでオグリキャップ引退の場面が描かれることになるでしょうから、間違いなく引退というのはウマ娘の物語において大きな区切りの1つだと思います。
ともかく98年世代が最後まで走り切るところを私は見たいのでテイエムオペラオーにはその見届け人的な立ち位置に座ってほしいわけです。

話が飛びましたがテイエムオペラオーは天皇賞・春の勝利によりもう誰も届かないと思われていたシンボリルドルフが持つG1最多勝記録に並びます。
天皇賞でいえばメジロマックイーン以来史上2頭目の天皇賞・春連覇を達成(現在はフェノーメノ、キタサンブラック、フィエールマンを含めた5頭)。
春秋通じた天皇賞の3勝目は史上初で天皇賞最多勝記録になりました(現在はキタサンブラックと並んでトップ)。

この絶対王政はいつまでも続き、G1記録の更新も時間の問題かと思われました。

宝塚記念

このレースでも前年の覇者テイエムオペラオーとメイショウドトウのワンツーフィニッシュかと思われましたが、テイエムオペラオーは致命的な不利を受けます。
不利を受けるも何とか抜け出して上がり最速でメイショウドトウを猛追します。
届くか、と思われましたがメイショウドトウがわずかにリードし先頭でゴール。
メイショウドトウにとっては前年の宝塚記念で初めてオペラオーに敗戦し、そこから丸1年間ずーっとオペラオーの2着、1年後の宝塚記念でようやくオペラオーに先着し、念願のG1初制覇でした。
しかもオペラオーに負け続けた1年間、オペラオー以外にはただの1度も負けてないっていうのもすごいです。

次走の京都大賞典(G2)はステイゴールドの失格によりオペラオーは繰り上げ1着でした。
ステイゴールドはウマ娘ではキンイロリョテイの名で登場していますね。ゴールドシップの父親ということもあって面白い馬です。
このレースではそのステイゴールドの接触により、ナリタトップロード鞍上の渡辺薫彦騎手が結構な勢いで落馬するのですが無事でした。

天皇賞・秋

ここで勝てば史上初の2年連続天皇賞春秋連覇の偉業です。(もう書いてるだけで「なにそれ…?」って感じですが)
しかし結果はウマ娘にも出ているアグネスデジタルの1着、テイエムオペラオーは2着、メイショウドトウが3着でした。

これはアグネスデジタルの陣営がすごかったです。オペラオーは競り合いには強いが強襲には弱いと踏んでいたのでしょう。
事前に「観客席に向かって走れ」との指示があったそうですが、その指示通り大外を爆走し、テイエムオペラオーとメイショウドトウをまとめて差し切って快勝。
テイエムオペラオーのG1最多勝記録の更新はなりませんでした。

アグネスデジタルはウマ娘では「どうしてああなった?」状態ですが史実では「勇者」とか「変態」とか呼ばれている名馬です。
「変態」の因子が強く受け継がれてしまったんでしょうね(白目)。
競馬場、距離、芝・ダートなど適性を問わずあらゆる条件のG1レースを勝利していることから「究極のオールラウンダー」とされています。

この辺りでオペラオーについて何らかの描写を入れて欲しいですね。
はっきり言いますと、衰えについてです。
和田竜二騎手は京都大賞典後にオペラオーの衰えを感じていました。傍から見ていると「そうだろうか?」と思われるかも知れませんが、しかし精神的な衰えは必ずあったはずです。馬も生き物ですから。
ましてやオペラオーのローテは自分で試練を課しているのかというほどの過酷なローテ。
あのローテ、そして周りからの強力なマークによる激戦があって衰えがないというのは考えにくいでしょう。

落日は近いのか、本当に訪れてしまうのか。

ジャパンカップ

途中で勝ちを確信していました。
オペラオーは終盤完全に抜け出しますが、しかし最後の最後にジャングルポケットの強襲により交わされ2着、ナリタトップロードが3着、メイショウドトウは5着でした。
またもや記録の更新はなりませんでした。

そして何気に4着に挟まっているステイゴールドさん、さすがです。
ホントどこにでもいるなこの馬。

テイエムオペラオーといえばメイショウドトウですが、実は一番多く対戦しているのはこのステイゴールドだったりします。これほど多く対戦してオペラオーにフルボッコにされてもメイショウドトウやナリタトップロードと比べてそれほど悲壮感がないというのもこの馬のキャラクターゆえでしょうか。

ちなみに次走、香港ヴァーズにて彼の長い長い黄金の旅は完結します。

有馬記念

あの有馬記念から1年です。
オペラオーは1番人気に支持され、G1最多勝記録の更新も期待されました。

しかし自己最低の5着でした。
どんな時でも先頭を捉えてくれたオペラオーも、このときばかりは届きませんでした。

オペラオーはG1競走に14回出走していますが、1度も先頭に立てなかったのは菊花賞、2001年宝塚記念、そしてこの有馬記念の3回でした。菊花賞は仕掛遅れ、宝塚記念は不利があったからまだ分かるものの、今回の有馬記念はまさに完全燃焼という感じ。

誰の目にも衰えは明らかでした。

1着はウマ娘にも出ているマンハッタンカフェ、メイショウドトウは意地を見せ4着、ナリタトップロードは10着でした。

「世代交代を証明しました!」
この実況がどこか物悲しくて個人的には儚くも好きですね。

引退

そして、この有馬記念を最後にテイエムオペラオーとメイショウドトウはターフを去ることになりました。

ちなみにナリタトップロードはというと翌年も現役を続けます。
京都記念(G2)を勝ち、阪神大賞典(G2)を勝ち、京都大賞典(G2)を勝ちました。
G1勝利はなかったものの新世代として圧倒的な強さを見せつけたシンボリクリスエスやオペラオーが敗れたマンハッタンカフェ・ジャングルポケットと対等に渡り合い(ジャングルポケットには勝ってましたね。)上位に食い込むなどオペラオー世代として意地を見せてくれました。
天皇賞・春は3年連続3着と、ナイスネイチャの有馬記念3年連続3着という記録にも負けず劣らずの珍記録を残しました。ちなみに通算3着数8回もナイスネイチャと同じです。

2002年の年明け、テイエムオペラオーはなんとあのメイショウドトウと合同の引退式を行いました。
生涯26戦全てのレースで鞍上を務めた和田竜二騎手は引退式で、
「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい。」と語りました。




宝塚記念

あれ?引退したのになぜ宝塚記念?
そうです。私がテイエムオペラオーを主人公にするうえで、イチオシのエピソードがこの2018年宝塚記念なんです。
これを最終回に持ってこられたら号泣確定です。
和田竜二騎手はテイエムオペラオーの引退後も着実に勝利を積み重ねていきました。
2014年には史上16人目のJRA通算13000回騎乗、2016年には中央競馬史上30人目の1000勝を達成し、名実ともにトップ騎手へと上り詰めます。

しかし、どうしても中央のG1レースだけが勝てませんでした。
そんな中、2018年5月17日に悲報が届きます。
テイエムオペラオーが心臓麻痺でこの世を去ります。22歳でした。

この悲報は和田竜二騎手のもとにも届き、Twitterで悲痛な胸の内を明かしています。
そのときはお酒を飲んで、泣きながらの作業だったらしいです。

ついにテイエムオペラオーの存命中にG1を勝利することができませんでした。
また、G1を勝ったらテイエムオペラオーに会いに行くという約束をしており、その約束も果たすことできませんでした。(本当は少なくとも1回会いに行っているらしいのですが噛みつかれたため、もう行かんようにしようと思ったらしいです。)
ただG1を勝ってオペラオーに認められたい、という思いはずっと心中に抱えていたようです。その思いだけは生存中には叶いませんでした。


しかしこのような出来事があっては競馬の神様は本当にいるんじゃないかと思ってしまいます。
それはテイエムオペラオーの訃報からわずか1ヶ月後、そして和田竜二騎手の誕生日翌日の宝塚記念でした。

和田竜二騎手はミッキーロケットに騎乗し、直線で抜け出すと香港から参戦したワーザーの猛追を振り切ってそのまま先頭でゴールイン。
テイエムオペラオーを思わせる僅差での勝利でした。
ちなみにこのときの4番枠は、テイエムオペラオーがメイショウドトウに敗れた2001年の宝塚記念と同じで、開催日も17年前と同じ6月24日でした。
奇しくもG1連勝記録が止まったのも宝塚記念であり、しかも勝ちタイムもメイショウドトウに敗れた宝塚記念よりコンマ1秒早いタイムでした。

これにより和田竜二騎手にとっては実に17年振りの中央G1制覇となりました。
勝利後のインタビューでは声を震わせながら、
「オペラオーが後押ししてくれたと思う」
と、亡き相棒テイエムオペラオーへの感謝を述べていました。

そして和田竜二騎手はようやくG1勝利をしてテイエムオペラオーに会いに行きました。もちろんテイエムオペラオーは亡くなっているためお墓参りという形にはなりましたが墓前で再会し、勝利報告をしたようです。

このような最終回が私の理想です。

ここまで史実を踏まえながらテイエムオペラオーが主人公になった場合のストーリーについて考えてみましたがいかがでしたでしょうか?
といってもほとんど史実解説みたいになってしまいました。
これに関しては私に脚本の資質がなかったということで、ご容赦ください。

メイショウドトウ、アドマイヤベガ、ハルウララはウマ娘化されていますし、アグネスデジタルやマンハッタンカフェもいます。
あと個人的にナリタトップロードは熱望、ラスカルスズカ、ジャングルポケットといった辺りが来てくれれば嬉しいですね。
わりと豊富にキャラクターがいますし、シンデレラグレイではオリジナルキャラクターも多数登場していますから、尺や登場させられないキャラクターがいるなどの不都合に関してはどうにでもなる印象です。

テイエムオペラオー、とても魅力的でドラマチックな馬だと個人的には考えています。
トウカイテイオーは1年越しの復活劇を演じ、多くの感動を与えました。
オグリキャップも最後に劇的な復活を果たし伝説となります。
スペシャルウィークは最後有馬記念で負けていますが、アニメでの扱い方がほとんどギャグだったので実質ジャパンカップを勝って終わり扱いだと思っています。
最後は勝って終わる、というのはある意味主人公としては必須レベルなのかもしれませんが私個人としては違う考えで、全盛期を過ぎた存在がだんだんと衰えていくのも哀愁漂っていいものだと思うのです。
特にテイエムオペラオーは全盛期を過ぎても出走数を減らさず、第一線で下の時代の馬と最後まで対等に戦い続けました。
そのだんだんと衰えを見せて、下の時代に胸を貸し、華麗に散っていく様は美しささえ感じるほどでした。

他にもオーナーである竹園正繼さんと調教師である岩元市三さんが幼なじみ、岩元市三さんと和田竜二騎手の師弟関係と周りの人間関係もドラマ性に溢れています。
テイエムオペラオーが亡くなったのもその岩元市三調教師が調教師を引退したわずか3か月後のことで、しかも長らく保持していた賞金王の座をキタサンブラックに譲ったあとのことでした。
そしてテイエムオペラオーが亡くなったわずか1ヶ月にテイエムオペラオー以来のG1勝利を和田竜二騎手が成し遂げるのですから、本当に運命に愛されたというか、この馬を中心に様々なドラマが紡ぎ出されている印象です。
最後は勝って終わる云々の話をしましたが、この宝塚記念も含めてテイエムオペラオーの馬生と考えてもおかしくないと思っています。
テイエムオペラオーの物語は和田竜二騎手など周りの方々も含めたものですからね。

新人トレーナーと歩む覇王への道、三強で分け合ったクラシック、圧倒的な強さを見せつけ王座に君臨した世紀末、強さを見せつけつつ成し遂げた世代交代、17年越しの約束。

いつか見たいものです。
最初にも申し上げましたが、この記事を読んで1人でもオペラオーのストーリーが見たい、と思っていただけたならこれほど嬉しいことはありません。

それでは最後はこの曲を紹介して失礼させていただこうと思います。
2013年JRAの有馬記念CM、そのテイエムオペラオー版にも使われた曲です。

                      そう 君がくれた今日を
                        
                     次は僕が君の為の明日へ
               
                             I'm by your side.

                                      Dragon Ash 「Lily」より

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