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「オニは外」かく言う我こそ鬼ならめ
もうすぐ春ですね
明日はいよいよ立春。
そんな本日は冬と春との節分であります。
各地で大豆を撒く方や巻き寿司をお召しになる方も見受けられます。
鬼を払い福を招くわけですが、浄土真宗の寺では鬼追い行事はありません。
鏡の前の鬼
では鬼とは何であろうか。
答えは鏡の前にたてば見えてきます。
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大きな口、耳は控えめ、角が生える。そう、この私こそ鬼でありました。
鬼の心の私
鬼を追い払っている私こそがその心はまさに鬼のよう。
鬼を払い福を招く。
どうも私たちは鬼に限らず都合の悪いものは「はい、さようなら」と排除し、好都合のものは限度なく欲しがるようです。
我が心の内を斬ってみてみると、その心はまさに鬼のように恥ずかしく痛ましいものでした。
御教えの鏡
自ら慚愧(ざんき)できればまだいいのですが、鏡を見ることなく私の姿をはっきりと見ることはできません。
私たちはお経という仏様の教の鏡を通して、私のあり様に目覚めさせていただくのです。
無条件の救い
さて、仏様はどうでしょうか。
阿弥陀如来さまは私達の都合主義のようなありさまではなく、誰一人取り残すことのない仏様です。
仏様の無条件のお救いにあづかり、慚愧と歓喜、恥と喜びの生活が浄土真宗のたしなみと言えましょう。