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私のウィキペディア(自己紹介)

将来誰かが私のウィキペディアを作ってくれる時の為に、仮ペディアを作ってみよう。(随時更新予定)

本庄


本庄(ほんじょう 1997年〈平成9年〉8月19日-)は、日本の諧謔家かいぎゃくか。本庄の名は本名とは関係なくスタジオジブリ作品の中から拝借したもの。身長180㎝。血液型B型。

2歳頃の写真。姉のおさがりで女児用の水着を着せられている。
2歳頃の写真
ご覧の通りの愛くるしさである。

来歴


三重県出身。幼少期は食欲が旺盛で太っており、使っていた哺乳瓶は吸引力が強すぎるあまり吸い口が裂けていた。
また素朴な見た目から「三重の鈴木福くん」と呼ばれていた。
毎晩、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークを聴かされていた。
小学校にあがると歴史に興味を持ちはじめ、8歳にして縄文人をこころざす。
9歳頃から縄文人と侍の両立を目指し始め、「縄文クラブ」という部活を創設する。(竪穴式住居建設中にケガ人が出たため1年で廃部)
卒業文集の将来の夢は刀鍛冶。

中学時代は漫画「修羅のとき」や李小龍ブルースリーの影響で武術、格闘技に興味を持ち独学で功夫カンフー修行に明け暮れる。

高校1年生の際、功夫カンフーと同時期に裏山で始めた忍術修行の様子がNHKで放送され、担任の教師がホームルームで告知したことをきっかけに高校3年間「忍者」と呼ばれる。
また部活はレスリング部に所属。新人戦で優勝し(同階級の出場は4人)、三重県の代表になるが東海大会の日程が修学旅行と被ったため辞退している。

高校卒業後は専門学校で野外教育やイベント運営を学ぶ。

その後は自然ガイド、アクティビティインストラクター、忍術講師などの仕事をする。
2022年 絵を描くのが趣味と自称しているにも関わらず作品と呼べる物が何もない事に気づき、脳内や思想を形にすべく絵や映像作品を作り始める。
2023年 フリーランスとして開業。
アクリル画やデジタル画の製作、えびみりんアート、イベント企画など様々な創作活動のかたわら専門学校の非常勤講師やスノーボードのインストラクターなどもしている。

人物


見た目の特徴はつむじが2つあり、えくぼも2つある。通常の歯と別に上顎から1本歯が生えており、耳が小さい。変な形の口髭を貯えている。胃下垂で健啖家。

性格は明るく素直ピュアで楽天家、お調子者で目立ちたがりと同時に無口、天邪鬼あまのじゃく人見知りシャイも共存する稀有けうな性格である。好きなタイプは負けず嫌いで喜び上手な変な人。

特技は早食い、物忘れ、ステルスあくび、ひまわりの種の早食い、説得、手裏剣、寸勁すんけい、鯖折り。
趣味は絵を描くこと、ドライブ、ツーリング、手芸、落語を聞くこと、コント作り、中華料理、神社参拝、博物館巡り、B級スポット巡り、ミニシアター、怪談、都々逸、カセットテープ集め、砂金堀り、献血。

好きな食べ物は回鍋肉、サバの味噌煮、桜でんぶ。
デザートはバナナ、ラムネ菓子、駄菓子、菊練り、ウエハースサンド、フローレット、ゴーフレット、ダックワーズを好む。

好きな匂いは、トンネル内の匂い、スーパーのアイス売り場の冷凍庫内の匂い、指に巻いた絆創膏を数日ぶりに剥がした時の匂い、映画館の匂い、旧車の内装の匂い、風呂場の網戸の匂い、消毒用アルコールの匂い。

B級の邦画とアニメ映画を好み、特にスタジオジブリ、マッドハウスの作品を好む。好きなジブリキャラはドナルド・カーチス。初恋はナウシカ。

漫才よりコント派で自身でコントも作っている為、相方さえ見つかれば賞レースも狙っているが交友関係が乏しい為難航。好きなコンビはラーメンズ、うしろシティ、キングオブコメディ、やさしいズ。

好きな音楽は80~90年代の物が多く、好きなアーティストは浜田省吾、シャネルズ、バービーボーイズ、高中正義、ブルーハーツ、タイマーズ、久保田利伸、大瀧詠一、本田美奈子、斉藤和義、ほか多数。

好きな落語家は金原亭馬生きんげんていばしょう、隅田川馬石、三遊亭遊馬、滝川鯉昇たきがわりしょう

影響を受けた画家、イラストレーターはカジミール・マレーヴィチ、和田誠、月岡芳年よしとし

座右の銘は「細工さいく流々仕上りゅうりゅうしあげを御覧ごろうじろ」。好きな四字熟語は「質実剛健」。

自身の人生を一つのコント作品へ仕上げることを目標にしており物事を「後に面白く話せるかどうか」で判断している。

エピソード


はやみねかおる、和田竜の小説が好きで15歳の時に当時好きだった能年玲奈と自分を主人公に和田竜の小説「忍びの国」の映画を撮ってくれ、綾瀬はるかでもいい。と和田本人に脅迫文を送っている。和田竜からは「今まで読んだファンレターで一番笑った。」と返信をもらっている。

高校2年時から「疾風伝説特攻の拓」や「ビーバップハイスクール」などの不良漫画に傾倒し始めた。
生徒会役員でありながら、袖を伸ばすことで相対的に着丈を短く見せたニセ短ランや、スリータックのドカンの裾をミシンで加工したオリジナルボンタンを着用していた。

当時のボンタン
ツータックのボンタンは既に校内の不良が履いていたためスリータックの物をネットで探し、違いを見せつけていた。

高校3年の時に学ランの裏地に「硬派」と自分で刺繍し始めるが卒業の段階で硬の字も完成していなかった。
この時期は自分の腹の立たない温厚さと後先をちゃんと考えてしまう利口さを恨んだという。喧嘩は0戦無敗。

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