父が急逝した時の出来事:心が救われたメッセージの話
6月上旬、父が急逝した。
前日まで何も変わらず仕事をしていたというのに。当日の朝も田んぼの水を見に行っていたというのに。
亡くなった日の朝、母から「父が肺炎で苦しそう。入院する。」と連絡が来た。「大丈夫?」と返信すると検査中とのこと。
その後、母から電話がかかってきた。
「状態はよくわからないけど、〇〇の数値が**って言ってる」と報告を受ける。
「あっ、これはもう父はダメかもしれない…」と嫌な予感しかない中、せめても早く父の元に向かおうと思って、急いで準備し自宅を飛び出た。
どれだけ急いでも5時間程度かかる道のり。僕にできることは何もない。もし、できることがあるとするならば、天に祈りを捧げることくらいだった。
道中、大阪にいる姉から連絡が来た。
「お父さん、間に合わんかった。」
母からは何も聞いていなかったのだが、僕が移動中に焦らないように姉に連絡を入れていたようだ。
その時、僕はまだ大阪に向かう新幹線の中。何もできなかったことへの虚しさと命の脆さを痛感。
病院に着く頃には、普通に入院している父を見て「焦って飛び出て損したわ!大事じゃなくてよかったわ。」と言えることを願っていたのに、その願いは叶わず。まさかこんなに早く逝ってしまうとは。
「こんなこともあるのか…」と落胆しながら病院への道のりを急ぐ。病院側の配慮なのか姉と僕の到着を待ち死亡診断が行われた。ただ寝ているようにしか見えない父がもうこの世にいないなんて。
身近な人の死を初めて体感した。
そこからお通夜、葬儀はあっという間。
そして、今はもう日常に戻ってきている。
あまりにも唐突の出来事で心の準備ができていなかったこともあっての衝撃と喪失感はかなり強かったが、仕事が立て込んでいたこともあり普通の日常を送ることができている。
葬儀が終わるまでの間、仕事の関係者の方々に報告とスケジュール変更の依頼をしていた時のこと
みなさまそれぞれ、労りと温かい言葉をかけてくださったのだが、ある方からいただいたメッセージがとても印象的だった。
そうか、そうなのか。
父は魂だけになったのか。
このメッセージには本当に心が救われた。
改めて読み返しても、心が救われる言葉である。
死=悲しみ、不幸ごと、触れづらいものというタブーがある中で、このメッセージを下さった方は「おめでとう」「ありがとう」「幸せ」という言葉をかけてくださったのである。
本当にその通りだと思う。
現実世界の肉体を持った命という時間には終わりが来たが、魂、エネルギーという観点では、父の存在が消えた訳ではない。
晩年、太っていた父からすると、重たい体を抜け出せて身軽になれたのはとても喜ばしいことだと思う。めちゃくちゃ楽に動けるし。
また、出かけるのが好きで、地元の和歌山県内の観光地はほぼほぼ訪れ、僕が住む横浜や姉が住む大阪にも行きたいと言っていた父。家業の農業のこともあって、なかなか遠出ができない人生を送っていたが、肉体を脱ぎ捨てて身軽になった今ならどこにでも行ける。
肉体を通しての感動や衝撃は得られないだろうし、いつも隣にいた母と一緒にその景色を見て分かち合うこともできないが、今までできなかったことが思う存分できるのだ。
仏教の世界では四十九日という修行期間があるようだが、それが無事に終えれば極楽浄土とやらにいけるらしい。その後にでも、極楽浄土から一時外出許可をもらって、この世界で行きたかったけど行き損ねたところがあったら思う存分堪能すればいいんじゃないか。うっかり化けて出てしまって人を驚かすことだけはやめてほしいところだが。
こんなことを考えられるくらいには、このメッセージをいただいて、心が軽くなった。
それに、物質世界で僕を見守ってくれている人は一人減ったが、見えない世界から僕を見守ってくれる人が一人増えたという観点も持てるようになった。
死は悲しいし喪失感もあるし、辛い出来事であるのは間違いない。
だが、少し見方を変えれば、亡くなった本人にとっても残された家族にとっても、決して悪い出来事ではないんだと思った。
今回の父の死で感じたことはとても多い。
死はタブー視されがちなものだが、誰にでも平等に訪れるもので本来はタブー視するのがおかしいくらいに当たり前のものである。
だからこそ、父の死を僕の人生の重要な出来事の一つと捉えて、感じたことを素直に発信していこう。
いろんな角度で気づいたことがあったので、また記事を書くことにします。
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