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杉谷拳士はなぜ愛されキャラに甘んじたんだろう。

杉谷拳士が引退した。その喪失感は今も続いている。愛されキャラが前面に押し出された報道が多いが、走攻守バランスの取れたいい選手だった。彼が引退を決断するに当たっては、フィジカルな面から満足のいく成績が残せなかったからであろう。

若い頃から打撃・守備・走塁に大きな欠点がなく、特に広角に打ち分ける打撃技術は、将来の首位打者!とファンの一人として大きな期待をしていたが、結果的にはユーティリティ選手で終わってしまった。記憶には残ったが、記録を残すことができなかった。仮定の話になるが、もし彼が強靱なメンタルを持っていたら、首位打者を獲得するような凄い選手になっていたのではないかと、今でも思う。

いやいや、杉谷はメンタル強いでしょ。あれだけ周りから茶化されてもすべてを笑いに変える。誰よりもベンチで声を出す。不振になっても嫌な感情を外に出さない。断然メンタル強いでしょ。誰もが反論するかもしれない。む~違うのだ。僕が考える強靱なメンタルというのは、アスリートとしてのそれというより、人間として備えるべき心の強さ、レジリアンスのようなものだ。相手になめられない戦略が彼には欠如していた。そんな気がするのだ。

現役時代、杉谷は、当時の同僚の中田らに悪戯を仕掛けられ、ホームランを打ってもベンチからはサイレントトリートメントなる「無視」で対応され、バラエティではとんねるずから笑いのネタとされる。そしてこれらがバラエティやyoutubeで配信され、杉谷は「愛されキャラ」という一言で片付けられる。

これらの経緯を見ていた首脳陣はどう考えたのだろうか。大人の戯れと解釈したのだろうか。一般社会で見たら、これらの行為は明らかな「いじめ」に該当するnではないのか。僕は彼らとの戯れを、素直に笑うことができないのだ。摩擦を好まない彼の性格から、それを愛情・友情と解釈して、自ら道化の役を引き受けた。そうせざるを得なかったのではないか。

もちろん、杉谷はそれを承知で受け入れ、自分のキャラ設定に十二分に活用し、それで人気を博したことは皆知るところであろう。しかし、しかし、本当にこのような予定調和でよかったのだろうか。僕はそうは思わない。

杉谷がもし「中田さん、僕を茶化すのは金輪際やめてもらえませんか。」と強く反論していたら・・・。サイレントには「それが俺を出迎える態度か。」と激高したら・・・。他者に対して、真剣に自分の意思を伝える強い態度、あるいは確固とした意志を彼らに示していたら、彼の成績は今とは異なるものとなっていたのではないか。彼に足りないのは、怒りの感情を出す勇気だったと思う。

もし彼が強靱な心を持って野球に取り組んだら、どうなっていたか。茶化す第三者がいない分、練習に集中することができたかもしれない。投手も容易に内角を攻めてこないかもしれない。それが好成績に繋がれば、杉谷を揶揄する人間もいなくなる。フィジカル面でなめられた若い頃のイチローは、強い意志でノーを第三者に突きつけた。そうなのだ、このレジリアンスが杉谷にあったら、彼の成績は今とは全く違う次元になっていたのではないか。

私見なので、賛否はあるとは思う。しかし、彼の引退を「愛されキャラ」だけで片付けるのは、どうも本質的ではないような気がしたのだ。今年、松本剛が首位打者を獲得したが、未来が違えば、あの位置に杉谷が燦然と君臨していたかもしれない。そんな夢想をする年の瀬である。

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