「なぜ、“ひらく”のか」への考察
漢字で書ける語句をひらがなで書くことを「ひらく」、その逆に、ひらがなの語句を漢字で書くことを「とじる」(=ひらかない)、これらを総称して「(漢字の)閉じ開き」といいます。
この「閉じ開き」は、テキストの読みやすさ、伝わりやすさ、さらに、誤読を避ける気づかいなどに直結します。
デザイン制作物だけでなく、メールやSNSなど、文字ベースでのコミュニケーションが多く行われている現在では、ビジネススキルのひとつと言えるでしょう。
ルールがあるの?
さて、この「閉じ開き」にはルールがあるのでしょうか?
新聞や書籍・雑誌を発行する出版社は『記者ハンドブック』や『用語の手引き』のように表記ルールをまとめたものを書籍として発行していることがあります。
一方、ウェブサイト制作を行う際には、表記についてのガイドラインを用意するのが一般的です。
もちろん、出版社ごとにルールや解釈は異なりますし、同じウェブサイトでも業種や会社規模などによって“落としどころ”は異なります。
お店であれば、接客担当の言葉の使い方や物腰が、ブランドによって異なるように、ニュースレター、ウェブサイト、問い合わせへの返信など、顧客との接点となるタイミングでブランドらしさが求められます。その際、閉じ開きは、ブランドや商品の世界観や価値観を伝える際に、そのトーンを左右する要素のひとつです。
重要なのは、伝える主体のパーソナリティやカルチャーに合致しているか、その先にいるクライアントやファンがそれを好ましいと思うか、共感できるかです。
つまり、ルールやガイドラインは、世界観やテイストの表現を統一するためのものであり、絶対的なものではありません。
文字コミュニケーションでの配慮
コピーライターの中村 圭さんが著書『説明は速さで決まる』のなかで「相手の脳に負担をかけない。それが、情報にあふれた時代のおもてなし。」と語っています(この本、オススメです!)。
違和感やひっかかりなど読者の負担を減らすことで、集中力が削がれることなく読みやすくなります。「誤読させない、考えさせない、躊躇させない」ことで読むスピードが上がり、内容に没頭しやすい状況を生み出せます。
この考え方は、ライティングだけでなく、プレゼンスライドの文言など、すべての文字コミュニケーションの根底に存在する配慮です。
最近ではウェブサイトやアプリ、プロダクトのUI(ユーザーインターフェイス)での表記を「UXライティング」と呼ぶそうです。
表記・表現は、利用者の利便性という次元でなく、(フォームの完成・送信を代表とする)コンバージョンや、サイトの継続的な利用を大きく左右する要因として深刻度が高く受け止められています。
漢字は表語文字
さて、「ひらがな」と「カタカナ」は表音文字ですが、「漢字」は意味だけでなく、発音も同時に表している“表語文字”でもあるという特長があります。
また、日本語には「漢字←→ひらがな」だけでなく、表音文字であるカタカナにしたり、外来語にするという選択肢もあります。
さらに、閉じ開きの“中間”として「調べる」「調査する」のように、和語/漢語、音読み/訓読みのようなバリエーションもあります。
なぜ、「ひらく」のか?
表記によってニュアンスが変わることはおわかりになると思います。
しかし、なぜ、ひらくのか?と聞いても「そういうもの」「そうした方がよい」と言われるだけで、実際のところ、説明されないまま押し付けられます。
そこで、私なりの回答をまとめてみたのが、このnoteです。
次のねらいで書いていますので、誤解のないようにお願いします!
このnoteをたたき台に議論を深めたり、ガイドライン作りに役立てていただけると嬉しいです。
ひらく理由(1)
その漢字が持つ“音の印象”が強いから
複数の読み方ができる漢字の場合「この漢字といえばこの読み方」のように印象の強い読み方があります(当然、個人差はあります)。
1秒にも満たない時間ですが、ひらくことで読み替える時間を節約できます。
訳(やく) → わけ
方(かた) → ほう
(人とサイドの両方の意味があり、誤読を避けることにもつながる)他(た) → ほか
中(ちゅう) → なか
上(じょう) → うえ
〜の様に(さま) → 〜のように
毎(まい) → ごと
良い/良く(りょう) → よい/よく
内(ない) → うち
後(ご) → あと
無い(む) → ない
全て(ぜん) → すべて
下さい(した) → ください
上手く(じょうず) → うまく
「頭の中で音読しながら読むタイプの人」ほど、この読み替え時間がかかります。(2021年現在、まだまだ精度の低い)読み上げ機能対策という一面もあります。
ひらく理由(2)
その漢字が持つ“意味の印象”が強いから
漢字の「音」のみを使っている場合、そもそも漢字が持つ意味とかけ離れてしまうことがあります。ひらくことで余計なニュアンスを感じさせずに済みます。
色々 → いろいろ(カラーの意味はない)
分かる → わかる(「分ける」の印象が強い)
通り → とおり(「道」のニュアンス)
不味い → まずい/マズい(「味」以外の場面で)
良く → よく(Goodの意味はない)
頂く→いただく(頂上?)
「一字一句、文字を読んでいくタイプの人」ほど、ニュアンスのひっかかりを感じます。
「奇麗」→「キレイ」
(「奇怪」の奇のニュアンスを避けたい → 「綺麗」)「素早い」→「すばやい」「スピーディに」
(「素」という字面が速そうでない)「繋ぐ」→ 「つなぐ」
(「繁」と紛らわしい、文字サイズ、フォントによって文字がつぶれがち)
「繋ぐ」をひらく対象にしている人は少ないのですが、私の感覚では圧倒的にひらきたいです。
ひらく理由(3)
音/意味のミックス(やニュアンス)
「楽に」の「楽」は「たのしい」という読みを連想させます。しかし、「楽しい」という意味はありません。かと言って「らくに」では間が抜けた感じですし、“ひらきすぎて読みにくい”…
そこで「ラクに」とすれば、軽快さのニュアンスも伝わります。
「〜がキモです」(肝)、「イヤだった」(嫌)なども同様、漢字の持つニュアンスよりよりも、カタカナの方がおさまりがよさそう。
カタカナの扱いについては、益子 貴寛さんが次のように語っています。
物理的な形状を持たない場合には「形」でなく「〜のカタチ」、身体の一部でなく「最初」の意味合いでは「頭」でなく「アタマ」とする、という判断もあります。
カタカナの多様は、どこか昭和っぽいというか、「軽さ」や「ポップさ」も度をすぎると、くどくなってしまうことがあります。
ひらく理由(4)
必要以上にカタい印象を与えてしまう
次に挙げるような語句を漢字で書くのは、不自然にカタい印象を与えます。
“威圧的”と感じる人も出てきます。
為に → ために
沢山 → たくさん
出来る → できる
纏める → まとめる
因みに → ちなみに
勿体ない → もったいない
塗り潰す → 塗りつぶす
拘り → こだわり
弄る → いじる
且つ → かつ
有難う御座います → ありがとうございます
宜しくお願い致します。 → よろしくお願いいたします。
一方、あえて「漢字を多めにする」という場面もあります。
「手書きするとき、漢字で書くか?」をひとつの基準として持っておくとよいでしょう。
カトウキョウスケさんが「字画の多い漢字はなるべく用いない」と書かれていますが、フレンドリーな世界観やカルチャーに画数の多い漢字は馴染みません。
ひらく理由(5) 使い分けに迷う
「この漢字で正しかったっけ?」と考えさせてしまう漢字があります。
人によっては、内容そっちのけで辞書やGoogle検索をはじめてしまったり… それでは本末転倒です。
始め、初め → はじめ
固い、堅い、硬い → かたい
他、外 → ほか
却って、反って → かえって
薦める、勧める → すすめる(“オススメ”する)
「つらい/からい」両方の読みを持つ「辛い」。書いた人はわかっていますが、読み手は必ず一瞬迷います。
ひらく理由(6) 形式名詞
「事・物・時」などを形式名詞として使う場合にはひらきます。
ひらく目安
目安としては文章全体で「漢字3割/ひらがな7割」。
漢字を多くするほどにカタくなる
ひらがなを多くするとやわらかくなる
ひらがなを多くしすぎると幼稚な印象になる(単純に読みにくい)
パソコンで文字入力を行うと漢字が少し多めになりますので、「漢字の割合を若干、少なめにする」ことを意識するとよいでしょう。
デザインでは「紙面が、ほどよくグレーであること」を考えますが、漢字が多いほどに紙面の濃さが増します。
まとめ:文字の表現は「3つのレイヤー」で考える
「ことば」の扱いを『ライティング』と定義し、デザインとは別のジャンルと考える方もいます。しかし、「ことば」の扱い、つまり、表記や言葉の使い方こそ、デザインの“核”といえます。
そして、そのテキストにどんなフォントを適用するのか、どのような文字サイズや行間、詰めで表現するのかは密接な関係にあり、いずれかだけに注力すればよいというわけではありません。
テキスト(文字原稿)、フォント、タイポグラフィ(組版)それぞれを変更することで、与える世界観のニュアンスが変わり、受ける印象が変化します。
つまり、文字の表現では、テキスト、フォント、タイポグラフィの3つのレイヤーを切り離せません。
書籍『なるほどデザイン』では、次のような説明がなされています。
「書体」を「声色」に例えてみる
「組み」を「話し方」に例えてみる
テキストは「言葉づかい」といえますが、言葉づかいこそ、その人のパーソナリティ、伝える主体の世界観やカルチャーを表現するものです。
フォントやタイポグラフィだけでなく、テキストや表記もデザイナーが気を配る領域であると考えます。
変化している「デザイナーがコントロールできる領域」
グラフィックデザインでは、テキスト、フォント、タイポグラフィすべてをデザイナーがコントロールできました。
ウェブデザインの初期は使えるフォントやタイポグラフィの自由度が低く、デザイナーは画像化してきました(画像化するとテキストとして選択できないし、検索もされず、利用者の利便性が犠牲になります)。その後、ウェブフォントを含むCSS3をブラウザがサポートすることで自由度が増しています。
EPUBなどの(中身がHTML/CSSの)電子書籍は、表現力がウェブコンテンツと同様ですが、利用者が気分や状況でフォント、文字サイズ、カラー、行間、段組、余白などをチョイスできるようになっています。
このようにコンテンツはデザイナーのこだわりから自由になろうとしていますが、いずれの場合でも揺らがないのが「テキスト」です。
おまけ
日本語版刊行から23年、いまも増版を繰り返しているデザイン書の定番『ノンデザイナーズ・デザインブック』のキャンペーンの一環で《ノンデザイナーでも役立つフォント・タイポグラフィ 》というコンテンツを(2020年に)制作する機会を得れました。
そちらにて掲載している「ひらく漢字一覧」(正確には「ひらくことを検討したい語句」)を転載しておきます。
PDF版のダウンロード(自由にお使いください!)
暗記したりするものではなく、ひらく理由について考えてみた上で「自分のキャラに合っているか?」「自社(やサービス)のカルチャーに合致しているか」「伝えたい人に与えたい印象に適しているか」を検討してみてください。
そういう意味では、テキスト(ライティング)は、ライターやデザイナーなどの職種関係なく、関係者全員が関与すべきトピックと言えます。
ライティングのルールを作り、折りに触れて整備していくとよいですよね。
追記(1)
たくさんの方にお読みいただき、嬉しいです。ありがとうございます!
ちょっと誤解があるようですので補足させてください。
パソコンで入力すると漢字が多めになるため、意識して“ひらく”ことを考えてみるとよさそう、と思いますが、ひらがなが多すぎると逆に読みにくくなってしまいます。
たとえば、カバー画像の「開くのは、何故?」ですが、「ひらくのはなぜ?」とすべてひらがなにしてしまうと読みにくいため、「“ひらく”のは、なぜ?」としています。
「ひらく」を太字にして「ひらくのはなぜ?」としたり、「なぜ、ひらくのか?」とリライトするアプローチもあります。
一方、「自分はコレが読みやすい」という好みはよいのですが、文章は読み手あってのもの。伝えたい相手が好ましく思うスタイルが正義です。そのとき、ひらく理由は忘れてしまってよいでしょう。
あれこれ心を砕いても、読み手は、さほど読んでくれない、という事実。だからこそ、瞬間的にインプットされるような配慮としての「閉じ開き」だと考えます。
追記(2)
運営しているDTP Transitのアカウントでのツイートが250万インプレッションを超えました。
たくさんの反響をいただきました(Togetter)。
欠けていた視点や興味深いご指摘などをいただきましたので紹介します。
実は、「ひらく」について最初に手ほどきを受けたとき「ひらがなにする」 → 「ひら-く」と教わりました(真偽の程は不明)。
逆に、今のmacOSの標準入力メソッドの方が漢字になってしまうのですね。「ATOKを使い、文節でなく、文章で入力する」ことで、多くの問題は解決します。