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趣味は妻

「俺は生きとかんでよかっちゃん」
前立腺がんで受診中の80歳の男性。診察室に入ってからの第一声がこれでした。
「どうされたのですか?」
「かみさんが、咳が出るって言うてから病院行って、
 そしたら入院になって、そんで、帰ってこんちゃん。
 死んだげな。
 もう、帰ってこんげな。
 かみさんがおらんなら、俺は、もう生きとかんでよか!」
涙ながらに説明してくれました。
いつも奥様と一緒に受診され5年が経っていました。
ご主人の経過が良好であることをお伝えすると、
「まぁ嬉しい!良かったぁ〜」と満面の笑みで喜んでおられた奥様。
ご主人は、口数すくなく、ずっとニコニコしておられ、
奥様の「良かったね、お父さん」との問いかけに、
ゆっくり優しくうなずかれる。
診察室に入るとき、椅子に座るとき、診察室から出るとき、常に奥様を気遣われているご主人。
いつも穏やかで暖かい雰囲気のお二人でした。
その日は、奥様ではなく娘さんと来院されていました。
娘さん曰く、
「本当に仲の良い夫婦でした。
 父は母のことが大好きだったんです。
 突然母が亡くなって、そのこともとても悲しいのですが、
 それ以上にもう、父の落ち込みようを見るのがつらくてたまりません」と。
「俺は、もう生きとかんでよかっちゃん。
 全部かみさんやった。ゴルフも釣りも何もしとらん。
 趣味はかみさんやもん。だけん、もう俺は生きとかんでよか」


心臓の動きを教えてくれるモニターの音だけが、ポーン、ポーンと鳴っています。
78歳の女性。膀胱癌末期で入院中。病室の中には、旦那さんと医師と看護師。
旦那さんは毎日お見舞いに来られていました。
いつも、「タオルが...」、「着替えが...」、「雨が...」などと理由をつけ、病院の面会時間よりも何時間も早くお見舞いに来ていました。病室でのお二人は何を話すでもなく、穏やかに静かに一緒に居られました。
病室に響く心臓のモニター音の間隔がだんだん長くなってきました。
脈拍を示す数字はだんだんと少なくなってきていました。
旦那さんが、突然尋ねられました。
「もうすぐ死ぬとでしょう?」
「はい」
「まだ生きとうとでしょう?」
「はい」
と答えると、ベッドの上の奥様にかけられている布団を一気にはぎとり、寝ている奥様に身体ごと覆い被さり、ぐっと抱きしめ、
「ありがとう~、美子ありがとう。ありがとう~」
と大声で何度も何度も叫ばれるのです。
「美子、ありがとう~。ありがとう~」
ぐっと抱きしめたまま、病棟中に響くくらいの大声で何度も何度も。
後日、旦那様がご挨拶に来られて言われました。
「これといって何の取り柄もない私を妻はずっと応援してくれました。
 そんな妻と一緒に居るのが心地よくていつも一緒に居たんです。
 私の趣味は妻でした」

”趣味は妻”
なんだか幸せそう。
奥さんは重たくないのかな?
でも、なんか羨ましい。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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