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何かに秀でたいこの頃
アーティスト、作詞家、作曲家、俳優、脚本家、画家、漫画家、作家、詩人、エッセイスト、演奏家、建築家。
何でもいい。何でもいいから何かに秀でたい。相当な努力が必要なことはわかっているけれど、でもすぐに憧れてしまう。
果たして私は何をしたいのだろうか。社会に貢献したい?何かを発明したい?お金持ちになりたい?
いや、私は私にしか生み出せない何かを創りたい。芸術分野における才能が皆無な私には到底出来そうにないことだが、でもやりたい。
最近私は将来のことをよく考える。そういうお年頃なのだろうか。そして漠然とした不安を抱える。近い未来AIが世界を席巻し、人間の職を奪っていくことを思うと、何かを創造したくなることが多々ある。
そのためにするべきことは一体なんだろうか。
そう思ったときに、私は2つのことが必要なのではないかと考えた。
1つ目は、教養を持つこと。
何においても知識というものはあって損はないものだ。それによりそもそものモノを創造するのは難しくても、深みを出すのはきっと教養だろう。ただただテストのためにではなく、人生を彩り豊かなものにするために勉強をするべきなのだろう。いいか、私よ。このことを心に刻め。今、私は公的に勉強をすることを求められ、そうすることを認められている立場なのだから。
2つ目に、自分を持つこと。
私は少々(いや、多分に)人に流されやすいところがある。結局本当に自分が好きなものは何なのか、いまいち分かっていない。これは良くない。たった一度きりの人生である(これは別に輪廻転生を否定しているわけではない)。そんなのもったいないではないか。現に私の好きな人たちには皆自分という軸がある。そしてその確固たる軸に私は憧れているのだろう。
とここまで考えて、私はいつも満足してしまう。
いや待て、きっとこの先に大事なことがあるはずだ。軸を持つにはどうすればいいのだろう。人の意見に逆らうことはまた違うはずだ。とりあえず同意する癖を直すべきか?自分の世界観を創るべきか?
全く分からない。五里霧中とはこういうことを言うのだろうか。あぁ、いつもこうやって振りだしに戻って終わりだ。
遠回りをするのも大切だというけれど、私はぐるっと回ってスタート地点に戻っているのだから、結局一歩も進んでいないのと同じだ。
まあとりあえず勉強をすることから始めよう。その先に何かがあると信じて。