「裕福」への道筋より、「貧困」の回避に必死になっていた昔話
裕福になりたいのでは無く、貧困から逃れたい
このnoteは大河内薫マネリテ戦略室の企画応募記事です(https://note.com/monelite/n/n6c872adb7463 )
投資と浪費の区別がつかない病
以前の私は漠然と貧困になる自分の姿を想像していました。
幼少のころ、以下のような経験があって未だに貧困になるのが未だに怖かったりします。
・家に食べるものがなくて、いつもお腹空いてた
・家にくる集金の人に、親が平身低頭でなんとか帰ってもらってた
・または居留守を使う(親への電話は、今は居ないと言わされる)
・お菓子は30円握り締めて駄菓子屋で買う(質より量のものを買う)
・友達が100円ジュースを買う中、自分だけ買えなくて惨めな気持ち
・家のガスや電気を停められてる
・風呂や洗濯が少なく、学校で匂いを気にして友達と距離を取って過ごしてた
貧乏エピソードはあげればキリが無いのでここらへんで...
おそらく上記を経験したことある人は、福祉制度の整った現代でもトラウマになってると思います。
貧乏生活は大人になって独り身の時は乗り切れるけど、何も分からない子供のころは自分ではどうしようもないし、時間の流れも遅く感じるのでそれが一生続くと思っていました。
収入がある大人になった今でも、必要な自己投資も浪費と思ってしまい、躊躇してしまいます。
このように貧困を恐れてお金を使うことに不安を感じることを、ここでは「貧乏恐怖症」ということにしました。
貧乏恐怖症の弊害1:会社の理不尽を受け入れる
もし仕事をクビになったら、特別なスキルも無く業務経験が浅い自分はワーキングプアになるしか無いと思ってました。そうなると、幼少の頃の惨めな気持ちが蘇ってきます。
そのため当時は会社にしがみ付くために、どんな理不尽な待遇でパワハラで違法なサービス出勤にも文句を言わず続けてました。
貧乏恐怖症の弊害2:自己投資ができない
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