七夕で思い出すこと
恋人たちの夜
七夕。
織姫と彦星が1年に1度会うことができる日だ。恋人たちにしてみれば、愛する人と1年に1度しか会えないというのは、ずいぶん酷な状況なのだろうなあと思う。
まともに恋愛をしたことなどなく、もしかすると今後そういう機会に恵まれない可能性が大きい僕には想像もつかない辛さだ。
と考えると同時に、こんなことも思う。織姫と彦星は、いくつくらいなんだろうか。2人が引き裂かれてから、1年に1度の機会は何回めぐったのだろうか。もしかすると、もう2人は1年に1度しか会えない環境にすっかり適応してしまって、1年に1度くらいの頻度がちょうどいいかな、とか思っているかもしれない。
たとえば、実家に頻繁に帰らなくなると、それはそれでその生活に慣れてしまう。気をつけないと電話もしなくなる。「じゃあ近いうちにまた会おうね」と友だちと最後に別れてから、気がついたら2年くらい経っていたとか、働き始めるとざらにあるだろう。
それは、いつでも連絡がとりあえる、会おうと思えばいつでも会える、と安心しているからかもしれない。織姫と彦星は恒星だ。滅多なことではなくならない。意外と、安心して七夕以外の日々を過ごしているかもしれないなあと思う。
ところで、織姫と彦星には忘れてはならないお仲間がいる。今回の記事で僕が書きたいのは、このお仲間のことだ。
はくちょう座のデネブである。
川の中のデネブ
デネブといえば、夏の大三角形を構成する星のひとつだ。あとの2つの星は、ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)。デネブははくちょう座の中心をなす星として、川の中からベガとアルタイルを見上げている。
川の中から、恋人たちを、見上げているのだ。
おわかりになるだろうか。『アラジン』のジャファーにさえ勝手にシンパシーを感じることができる僕が、ここでどんなことを考えているか。
僕はデネブを勝手に擬人化して、勝手に同情したり自身と重ねたりしてしまうのである。
昔書いた小説
ずいぶん前に、僕は『デネブ』というタイトルの掌編小説を書いたことがある。
文芸仲間でやっていた合評会にかけて、「お前にしては珍しく良い」とお褒めの言葉をもらった。
あらすじは以下の通りだ。
主人公の男には幼馴染みが2人いる。1人は男で、もう1人は女だ。主人公は幼馴染み(男)と電話をしていて、彼が幼馴染み(女)に惹かれていることを知る。電話を切ると今度は幼馴染み(女)から電話がかかってきて、彼女が幼馴染み(男)に惹かれていることを知る。相談に乗る形になり、2人の幼馴染みを激励して電話を終えた主人公は、やりきれなくなり、吸ったことのない煙草を衝動的に吸い、むせながら七夕の近づく夜空を見上げる。
自分たちは夏の大三角形だったのに、いつの間にか他の2人が織姫と彦星とか言われて恋人という感じになっていて、やり場のない寂しさや疎外感を感じてしまう主人公。僕がどれだけ孤独感をこじらせていたかがわかると思う。
ずっと3人でやってきたのに、そりゃないぜ。なんで2対1の構図にするんだ。せめて織姫は織姫、彦星は彦星が所属する別のコミュニティで相手を見つけてほしかった。
デネブのはくちょう座の翼は天の川の両岸にかかり、ベガとアルタイルははくちょうの背を渡って会えるようになる。小説のなかでも、デネブを2人の橋渡し役にしている。
デネブくんが可哀想すぎて居たたまれない。
神話の想像力
神話や伝説というのは、意外とこんなふうに、何かに勝手にシンパシーを感じるような人々が作り上げていったのかもしれない。
世界各地の神話がときどき似通うことがあるが、神話を作ったり語ったりするようなタイプの人々は似たような心性を持っていたのだ、と考えると、なんだか親近感が湧いてくる。
今夜はとりあえず、ぼんやりとしながら、川の中のデネブに想いを馳せることにしよう。