(9)女子高生が同級生に将棋の駒の動かし方を教えたら、半年後に近畿3位になった話
(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) (25) (26) (27)
※記憶に基づいた実話だが、個人情報特定を避けてストーリーに影響がないところは改変するかもしれない。
※正確には8ヶ月後である。
4ヶ月後なう
7月。いよいよ高校選手権(全国大会)まであと1ヶ月になった。
この頃の将棋部は我ら4人と1年生女子E、それにいつ入部したか思い出せない3年生男子1人で構成されていた。
3年生男子はあまり活動に参加せず、対局した記憶もほとんどないが、私よりは弱く、他の女子とは手合違いに強いという感じだった。
女子勢は相変わらず私による3面指し。
高校選手権欠場が決まったBも、近畿大会があるので将棋は続けていた。
4人になっていたので4面指しのこともあったし、2面指し+2人が対局ということもあったし、私が棋譜を取って4人が指したこともあったし、ひとり欠席でやっぱり3面指しということもあった。
とにかくひたすら実戦を指した。週に2回くらいだけど。
詰将棋は(この時代はハンドブックシリーズがないので)1手詰の問題が世の中になく、3手詰に無理やり挑戦してもらったり、3手詰を2手進めた局面で考えてもらったりしていた。
私個人としては、野間先生の教室に行く頻度を少し上げて、月1回だったのが3週間に1回くらいになっていた。
関西将棋会館道場では全敗まっくろくろすけから五分の星を残すこともあり、もしかしたら推定5級自称3級から、実力3級になっていたのかもしれない。
さらに、いよいよ緊張感が高まる出来事があった。
全国大会の組み合わせが発表されたのだ。
実際のトーナメント表を見ると、全国大会に行く実感が高まってくる。
団体戦に出るA・C・Eも、わからないなりに楽しんでいた。
女子団体戦は25校が参加。初戦は岩手県の高校が相手だった。
まだインターネットがダイヤルアップだった時代、京都の高校生が岩手県の人と会う機会なんてそうそうない。全国大会の良さである。
その横で私は、血の気が引いていた。
いただいたサポートは、教室・道場探訪の交通費として活用させていただきます。皆さんのサポートで、より多くの教室を紹介させてください!