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女性画家たちの大阪
大阪中之島美術館へ行き、「決定版!女性画家たちの大阪」後期展示を見ました。前期展示はこちらの記事に書いています。↓
前後期でかなりの作品が入れ替わっていました。
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島成園の「上海娘」は、大阪市立美術館で見たことがあって大好きな作品なのですが、今日はこれが引っ込んで、「燈籠祭之夜」が出ていました。図録からですが、下記の図版を見ると2枚の絵は同構図であることが分かります。図録の解説によると、同じ粉本から描いたもので、画題に応じて女性の描写を描き分けているということです。
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島成園の作品で他に気になったのは「紫式部之図」です。これはタイトルを見る前は「もしかしたら女三宮かな?」と思ったくらい線が細く頼りなげな表情をしていて、よく見ると右手に筆を持ち左手に冊子のようなものを持ち、どこを見ているのか分からない目をして立っているものです。紫式部のイメージは、才女でしっかりとした女房と思っていましたが、島成園は彼女の(たぶん物語を書く時の)迷いのある姿を描いたのだと思います。
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撮影可能な第5章を見ていて今回気付いたのは、島成園の弟子(女性)がとても大勢いたのだということです。彼女は結婚をしてからスランプに陥り、時代が進むと作品の数も少なくなってしまいながらも、彼女を慕って指導を受けたいと願う女性たちは本当に大勢いて、特に上の作品を描いた岡本成薫は内弟子として住み込みで修業をしながら家事一切を引き受け、島成園の没後は成園の夫である森本氏の養女となった人だそうです。
雅号に「成」のつく女性画家は殆どが成園の弟子で、数えながら見ていこうとしたけど途中で諦めるくらい数が多かったです。
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上の作品は木谷千草一門の画家の三露千萩で、この方は娘の千鈴と一緒に入門をして絵を学んだ方だそうです(千鈴は22歳で早逝してしまいました…)。この作品のように、針仕事や手仕事をしている女性の絵が結構多くて、特にこれは棒針で編み物をしていて、題材としては当時かなり目新しかったのではないかと思いました。
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そして展覧会の最後に島成園の「自画像」があり、結婚してから「描き続けること」に苦しみ悩んだ彼女が、多くの女性たちから憧れを抱かれ、弟子をたくさん育て、素晴らしい作品が多く生み出されたということが面白いですし、フロンティアとして後継を育てる仕事をちゃんとやり遂げたんだなと思いました。
島成園のことばかり書いてしまいましたが、私は生田花朝も大好きで、彼女のほのぼのと明るい色彩に心惹かれます。
(生田花朝を「先生」と呼びながら、「なつかしい」と言いながら見て歩いているご高齢の方を今日は拝見しました。もしかしたら、生前の花朝をご存知の方なのかもしれません。昭和50年代までご存命であった方ですもんね。)
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