北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより
大阪の中之島にある中之島香雪美術館で「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより」が始まっています。香雪美術館は神戸の御影にあるのですが、今は長期休館中で中之島香雪美術館のみで展覧会を行っています。
今回は江戸東京博物館のコレクションから北斎と広重の風景版画を中心とした展示です。前期と後期で大幅に入れ替えがあるということで、前期後期共通券も販売されていて私はそれを購入し、始まるのを楽しみに待っていました。
展示室に入ると、まず広重が絵師になる前、まだ安藤徳太郎だった頃(9歳頃)に描いた「三保松原図」や、安藤家の由緒書、親類書などの資料が並んでいました。広重は江戸の定火消しの家に生まれ、長男だったので家督を継ぎ、その後歌川豊広の弟子になり絵師への道を歩き始めました。
広重と北斎は同時代に活躍したと言っても40歳近く年齢が違っており、広重が絵師になった頃には既に浮世絵師として活躍していました。その北斎が「富嶽三十六景」シリーズを描くまでの版本や摺物、錦絵を見て行きました。版本の挿絵の波の描き方などに後の「神奈川沖浪裏」へ繋がっていく片鱗が見られました。
上の写真のような模型は前にすみだ北斎美術館に行った時に大きなサイズのものを見ましたが、これは門人の露木為一の描いた「北斎仮宅之図」というものがあり、それをもとにしているのですね。左側の女性が北斎の娘の阿栄(葛飾応為)で、右側が83歳頃の北斎です。北斎がゴミ屋敷のような部屋で名作を描いていたとか、引っ越しを何度もした話なども解説として書かれていました。
そして北斎の「富嶽三十六景」です。北斎のこのような風景画は、彼が見た風景をそのまま描いたものというよりは、絵として面白い構図にしたり、舞台が夏なのに雪を冠した富士山が描いてあったりで、北斎の頭の中で理想の風景として描かれているような感じです。私の好きな上の「尾州不二見原」も、面白い構図として練りに練ったものなのかなと思います。実際にはこの場所からは富士が見えないと言われているそうです。
この構図も好きなもののひとつです。火の見櫓と凧が見えているところに、お江戸らしさがあります。
そして広重の東海道五十三次です。広重は、北斎とは違った自分だけの風景画を描こうと、実際の風景をそのまま描くことに注力したそうです。
広重の五十三次は彼の代表作となり、それと入れ替わるように北斎は錦絵を描くことがなくなり肉筆画の方に力を入れるようになりました。
今回の展覧会では、北斎と広重という浮世絵師2人が互いに意識し合い、影響を受けた関係性に着目したものになっていて、とてもドラマティックなものを感じました。
最後のコーナーには広重の書いた遺言状や脇差や煙草入れなどの小物、そして広重が亡くなった後に3代目豊国が描いた死絵が展示されていました。3代目豊国と広重は仲が良かったようで、「在りし日を思いながら涙を流しながら」描いたそうです。90歳近くまで生きた北斎と違い、広重は62歳で亡くなりました。
大阪での北斎の展覧会は人気が高く、何年か前のあべのハルカス美術館での北斎展は入口は長蛇の列、展示室もぎっしり大勢の人…でした。今回の展覧会も普段の中之島香雪美術館の展覧会よりは人が多く、それでも今日はまだ快適に見て歩ける程度ではありましたが、会期後半は混雑するかもしれませんので早い時期に見に行くことをおすすめします。