身体が変われば考えもかわる

もう、随分前の話なんですけどね。

Aさん(仮に)が企画したとある集団にさんかしました。

その中でその企画のために動いていると、いくつか質問をして、疑問を解決してから先に進みたいと思う場面がいつくかありました。

あ、そうそう、今でこそ、肯定文で書いていますが、当時の表現のママで書くと、その疑問はこうなります。

「いみわかんねーなにやりたいんだこれ、出来るわけ無いじゃん」

です。汗。m(._.)m

さて、一つ一つ、その疑問点に関してAさんに尋ねると、その都度、この企画をはじめた熱い想いをひたすら語ってくれるのですが、質問への答えは一向に出てきません。

その、今の質問に関してはどうですか?

と、聞くと、Aさんはもう一回想いを熱弁してくれます。

こちらは、あきれて、イライラしてしまいました。

この話をアレクサンダーテクニークの先生に投げかけてみると、「あーそーなの、じゃあさ、これで今の話もう一回してみて!」
と、先生はふわっと、私の首の辺りに手を触れました。

その手は、自分の身体全体を思い出させてくれる手といえば良いですかねぇ。

そのまま、同じ内容を話しているつもりが、段々もっと幅が広くなってきました。

Aさんのその熱弁には困った物なんだけど、ああ、そう言うって事は、Aさんにも答えが無い可能性もあるし、そのままタダやり過ごしていってもよいし、私自身が、こうしたいからこうしますって、勝手に判断しちゃっても、なんでもありかなぁ。そうしたら、どれを選んでも自由だからイライラしなくてすみますねー。

なんて、言い出して自分でビックリ。

頭も身体も固めて、どーすりゃ良いんだよって考えているときよりも、身体全体が自由になっているときは、選択肢が増えるって事なんですね。

そして、後日、自分がAさんに質問することすら無くなったら、他の参加者さんたちがイライラしはじめました。

率先して質問していた私はどうやら他の皆さんのイライラの防波堤になっていたようです。

でもいいの、僕もうらくになっちゃったから、粛々と自分の役割を果たすのみなの。笑

一つのことに捕らわれているって事は、自分自身も無くしてるって事なのかもしれないですねぇ

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