ご近所に弱さを開く実験
大ケガをして、自分の力だけでは日常生活を送ることが困難な状況になってしまって真剣に考えたことがあります。
どこにも頼れる人がいなかったら、誰にも頼ることができなかったら、自分は一体どうなってしまうのだろう?
幸いにして、本当に幸運なことに、僕にはそうした状況を親身になってサポートしてくれる人たちが身の周りにいたのですが、いつ、誰に訪れるともしれない(と言われてきた)大きなケガや病気が自分事になったとき、はじめてこうした思いが現実的な重みを持って我が身に迫ってきました。
沼田君はひとつの答えとして「孤独死……でしょうかね」と言いました。
一瞬たじろぎましたがその通りだと思いました。家族が、友人が、パートナーが、気安く接することができる誰かが傍にいることは決して当たり前ではありません。現に僕自身、放っておけばどんどん内に内に閉じこもってしまって、誰とも、ひと言も言葉を交わすことなく生きてゆきかねない人間です。
それがダメなこと、何かに比して劣ることとも思わないのですが、同時に自分が苦しい時に「助けて」という声を誰かに伝えたい気持ちも捨てられません。
そして身近に力になってくれる人がいるからといって、「その人」ばかりに頼ってしまっていては「その人」も一緒に倒れてしまったり、あるいはその人の方がより辛い状況に陥ってしまうこともままあり、そうした現実は既に多くの人が知るところです。
また、問題を内に閉ざして外に助けを求められないのは「迷惑をかけてはいけない」という今もって意味の分からない、けれど大きな力を持つ呪いや、それと紐づけられるようにして植えつけられた「家族でなんとかしなければいけない」という、根強い「家族主義」が背景にあるように思います。
ケガをして家に戻ったその当日だったか翌日だったか、僕は近所の人たちに「自分がケガをしたこと」を自ら伝えて回ろうと決めました。
問題を内に閉ざさず、外へと開くための試みです。
(以前にも書いたように初期治療が簡単だったゆえに)その時は日常生活を取り戻すまでに40日以上もの療養が必要になるとは全く思っておらず、1、2週間程度である程度回復する気でいたのですが。
現実的には僕の療養生活を主だって支えてくれたパートナーと、そして沼田君がその役割を担ってくれました。
顔見知りの近所の家を一軒一軒回り、僕に起こったことを伝えてくれました。
すると近所の人たちは玄関先の花が枯れないように水をやってくれたり、買い物に不便をしたときに自転車を貸してくれたり急な通院に車を出してくれたり、いろいろと助けの手を差し伸べてくれました。
そうした助けを得ることにも遠慮をせず、なるべく積極的に自ら求めるようにしました。
個(私)を開けば公共になる。
僕が自分自身を生きる上で、スウィングという場を保ち続ける上で、あるいはこの社会に必要不可欠なものとして、ひとつの指針としている言葉です。
個人の喜びや悲しみや問題や大ピンチを「個」に留めている限り、それはその人特有の個人的事象となってしまいます。が、それらを開いて外に向かって表せば、自分以外の人が知るところの、即ち他者と共に考え助け合うことのできる「公共」の事象となり得ます。
一般的にポジティブっぽいこと(=社会的に胸を張れること/強さ)は開きやすく、ネガティブっぽいこと(=社会的に胸を張りにくいこと/弱さ)は閉じやすく開きにくいものです。
でもおかしいと思うのです。
弱さも開いてゆかないと極論、沼田君の言うように孤独死してしまいますし、人は本来強さ(たいてい自慢話)ではなく弱さの理解と共有をこそ求めているのではないでしょうか。そしてこの現代にあっても「お互い様」で助け合って生きてゆくことを望んでいるのではないでしょうか。
その答えは分かりませんが、実際僕は僕の失敗を開き公共化したことで近所の人たちと一層仲良くなれましたし、ケガをする以前よりもこの地でずっと生きやすくなりました。
僕のケースは幸運に見えるかもしれませんし、もちろんこれから先のことは分かりません。そんなに現実は甘くない、この世界は弱肉強食だと言う人もいるでしょう。
けれど遠慮している暇はありません。
僕はますます勝手に弱さを開き、ますます勝手に助け合ってゆこうと思うのです。
もちろんもう大変なケガはしたくありませんが。