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20年ほど前、僕はろくでもない福祉施設で働いていて、でも、そのろくでもなさを少しでも何とかしようと、自分のできることを全てやってみようと、真夏の暑さを感じる余裕すらなくフルパワーで戦っていた。露骨かつバラエティに富んだパワハラにあいまくる日々の最中、僕はとある場所で、(本当に偶然に)自分好みの洒落乙なポストカードに出会う。maru? 工房まる? くぉんな、くゎっちょええ、ぷぉすとぉくゎああどをぉ~? 「福祉施設」が!? 作ってるっていうの!?? 家に帰ってmaruのWEBサイトを見てさらに動揺した。なんて素敵なんだ! なんていいことを書いているんだ! 信じられない! もうイヤ! 

というわけで、僕はそれ以後maruのサイトをなるべく見ないようにした。なぜなら僕がその日感じたのは、こんな場所が同じ日本に存在するんだ……というとてつもない感動や希望と同時に、自分が置かれた現実に対する失望や悔しさ、そして哀しさだったからだ。その日から数年間、僕はmaruのポストカードを、ベッドに横たわったら「ちょうど目の前にある」位置に飾り続けた。自分のこれからを照らしてくれる、か細い、けれど眩いばかりの道標として。

かつて大切な友人がこう言っていた。maruに行くと空気が違うと。空気の粒が輝いているように見えると。激しく同意した。そんな風な場所だからこそ、そんな風な日々だからこそ、あんな風に素敵な作品や商品やプロジェクトが生まれるのだ。そしてそれは偶然なんかではなく、楽しいことばかりじゃない、正に悲喜こもごもの日々を、真剣に、丁寧に、生き続けていることの「証」のようなものだと思う。maruが歩んできた26年。一体いかほどの迷いと葛藤と苦しみの日々だったのだろうか。輝く空気の粒を生み出す根幹にあるもの、その根幹を支え続けることに費やす膨大な熱意と試行錯誤とエネルギー。今の僕にはその重さが少し分かる。

そんなmaruをこれからも続けてゆくことは当然たやすいことではない。さすがに今回の大ピンチ(と言って全く差し支えないと思う)にあたっては、「やめてしまう」という選択肢だってあったはずだ。でも彼らは続けることを選んだ。今よりもっと良くなる必要なんてないと僕は思う。むしろスピードやパワーを緩めてゆっくりしてほしい。そして空気の粒が輝く稀有な場所が自ずと発する希望の光を、少しでも長く世に放ち続けてほしいと願う。

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