京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」(第73回)@過去最多案内! 金閣寺編
なぜか京都市営バスの路線系統を(ほぼ)丸暗記しているQ&XLのヘンタイ記憶を駆使し、観光客やお困りの方にベストな行き方、乗り継ぎをご案内する京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」。
去る3月28日(月)、美馬君(スチール撮影)も含めたフルメンバー4人。我々一行は京都の観光、今どんな感じ? の目安としているゴールデンテンポー、金閣寺(前回と同じ)へと向かった。同行は金聖雄監督、池田さん親子(撮影)の撮影陣だ。
コロナ禍の影響で〈やる(できる)/やらない(できない)〉がすっかり不安定になってしまったこの仕事。昨年11月以来、4ヶ月振りの出動だから、また随分と久しぶりになる。何度目なのかもう忘れてしまった「まん防」(ほんといつまで繰り返すつもり!?)も解除され、桜の季節も重ねってか直前土日の京都市内各地の人波は「コロナ前」を思わすほどにスゴかった。じゃあ、今日は?
すんごい人、人、人。月曜日にも関わらず、政治に対する鬱憤を晴らすかのような、今しかない! という焦燥を感じさせるような人出である。外国人の姿も、大好きな「明らかに時期尚早なのになぜかTシャツ1枚の人」の姿も散見される。
XLは足元への注意を呼びかけたり、親切を発動しやすい降り場付近に立ち、僕は反対に乗車口付近に立つ。Qはその時々で判断。これが最近の基本的陣形だ。
はじめるや否や目まぐるく案内が続き、こちらから助けが必要か聞く人、それっぽい我々に自ら尋ねてくる人が入り乱れ、図らずも過去最高の案内数をこなしたんじゃないだろうか。ここまで活気を取り戻した金閣寺を見るのも本当に久しぶりだ。
案内したのは京都駅(のりば間違いが多い)、二条城(意外に行きにくい)、清水寺(意外に行きにくい)、祇園、伏見稲荷、龍安寺(近いがのりば間違いが多い)、京都御所などなど。
しかし最近しばしば感じるのだが、どれだけ案内が忙しくてもQの落ち着き、安定感がすごい。「街中で大声を出す運動」を長年続けている人とはとても思えない。もう引退したのだろうか?
余裕がある時には無駄話をするようにしていたのだけれど、老若男女を問わず、特に東京、神奈川辺りからの観光客が多かったように思う。いずれも2人~4、5人のグループ。ひとりで、という人は滅多にいない。
時々嘘をつくスマホを信頼しきり、「合ってる」と思い込んでいる人はやはり多い。「どちらへ行かれますか?」「あ、だいじょうぶです」。そんな人たちに「間違ってますよ」と伝える時には微かな快感があり、意地悪だけど仕方ないもん。
複数ある「のりば」を間違える人は尚一層多いが、そこには快感も意地悪な心もなく、「あっちですよ!」と伝えたり、足を使って案内するのに一生懸命になる。だってスマホはのりばまで教えてくれないもん。
運転手たちとのコミュニケーションもなかなか良好、僕たちに声を出して、あるいは手を上げて「ありがとう」を伝えてくれる人たちにたびたび出会う。これも密かな快感、そして喜びだ。長年続けてきてこうなったんだもん。
が、ある運転手の「ここ! ここで降りて。白い髪のおじいちゃん!」という声に心がざわつく。何かしら親切で言ってるんだろうが、もっと言い方があるように思うし、その人の傍まで行ける足もあるだろうに。
すぐさまXLと僕がバスに乗り込み(こういう時にQはまず動かない)、そのおじいさんの降車をサポートする。その際運転手が「次、○○で降ろしてあげて」とXLに伝えている。ま、雑だが割といい人(の部類に入る人)なんだろう。
すぐにやって来たバスに、今度はおじいさんをサポートしながら乗り込む。そして「○○で降りてくださいね」と耳元で伝え、だいじょうかな? と思いつつも発車してしまわないうちに素早く外に出る。扉が閉まる。
すると扉の向こうでこちらの方を向いて立ったままのおじいさんが、ニッコリ笑って左手の親指を立て、グー! をやっている。自分がどう返したのかは忘れてしまったが、あの姿はこれからも胸に焼きついて離れないだろう。
友だち同士数名で横浜から来ていた人たち。案内をし、雑談を交わし、やがてバスに乗り込む際にそのうちのひとりが晴れやかな表情で言う。
「京都はほんっとにいいとこ!」
そうなのかなあ、そうでもないんちゃうかなあ、外から見たらそう見えるんやろなあ……なんて真面目に考えながら、「お気をつけて」と見送った。
この6日後、4月3日。右足に大怪我をおってしまい現在(4月18日)も安静治療中。スウィングも休んでいる。この謎にやりがいある仕事は回復へのモチベーションのひとつだ。4月の出動は無理だが5月は必ずと願っている。