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ワクチン接種は正しくも正しくなくもない
「大阪でやってるヒロアカの展覧会に行きたい(ちなみに2回目!)、でもコロナ怖い」でこんなんなってたQ氏。
気の毒だがそのモヤモヤを人や物にぶつけるのはそりゃマズい。
そういうときには「今日は帰って休んでね」とハッキリ伝える。
これ以上傷つけられる人(やモノ)を生まないため、さらに綺麗に言えば彼自身を守るために。
これはひとつのルールだ。
一方展覧会はやっているわけだし、誰も、彼が近い将来決めなければいけないことに対してとやかく言う資格はない。
恐らくほとんどの人が、こうした正解のないモヤモヤの中を生き、そして何らかの選択をし続けているのがこのコロナ禍なのだろう。
僕は今日、1回目のワクチン接種を受けた。
ワクチンについても様々な情報が飛び交い、それゆえ多くの人が今も混乱している。
少し前、やはり混乱し迷っていたXLに僕は接種を薦めた。
彼がかかっている病院の医師や看護師さんたち皆が皆、彼の身を案じて接種を薦めているんだから、何を信じていいのか分からないのならば、そうした身の周りの、信頼できる人たちの言葉を信じたらいいんじゃない? そんなふうに話したと思う。
そして彼はワクチン接種を決めた。
その延長線上で僕自身のことについても考え、結論を出した。
「政治や政治家の言うことは信用ならん」といったコロナ禍周辺事情に対してくすぶる不信感とワクチン接種は分けて考えよう、そしてどんなワクチンも基本的には感染リスクや重症化リスクを軽減するためのものというシンプルな原則に立ち返ろうと決めて。
自分の選択の正当性を主張したいわけではない。
外出を楽しむ人もいれば、家にこもりきりの人もいる。
ワクチンを接種する人もいれば、しない人もいる。
正解の分からない、ゆえに不安の程度や入ってくる情報や知識にも個々の違いが著しいこの社会情勢の中で、それぞれの判断や決断を批判したり敵対したりしないこと。自分の正しさが絶対不変の正しさだなんて勘違いを起こさないこと。
それがこのコロナ禍を、心を失わずに生きるために大切なことなんじゃないかと思う。