大人たちが泣ける場所
昨晩『Swing, 布と紙と絵で遊ぶ』展の設営を終えました。
作品みたいなモノ、作品と商品の間のようなモノ、インスタレーション(タダで持ち帰っていただくモノ)、写真、映像。
プロフェッショナルな強力助っ人たちのお陰で、本当に素晴らしい空間が生まれました。
自ら企画した展示は設営が終わったらもうお腹いっぱい! 勝手に満足してしまいがちなんですが、今回はトモダハツネ企画、そしてスウィングに新たに生まれたモノづくりのアトリエ<coco de emo nu>(通称:ココちゃん)によるはじめての展覧会です。
だからかえっていつも以上に緊張しましたし、場ができあがったときの安堵も大きかった。
現場での作業も展示企画も、両方中心になって進めてきたトモダさんの心中は猶更だったと思います。
この間ココちゃんから生まれるモノたち、そして本展広報(フライヤーとか)を見てくれた方々から「スウィングっぽくないね!/らしくないね!」といった言葉をたくさんもらって驚きました。
なぜなら僕たちは「スウィングっぽさ」にこだわってきたことなんて一度もないし、それが何を指すのかほとんど分からないからです。ほんとにほんとに。
全てを伝えることなんてもちろん無理だから無理なんですが、スウィングでは日々、新たな物事がときに静かに、ときに賑やかに生まれ続けています。良い悪いとか事の大小は別として。
だからこそ新たな場での新たな試みに賛否両論なんて巻き起こらなくって……いや賛も否もクソもなく、何がいつどうはじまっても不思議じゃないスウィングだから、それはむしろごくごく自然な出来事だったように思います。少々大きなはじまりだったしある程度の投資も必要としましたが、ただそれだけの違い。
イッツ・ア・諸行無常。
でも展覧会にせよこのブログにせよ、これまで多くのアウトプットを僕が担ってきたのはこりゃもう確かですし、それが「スウィングっぽさ」 に繋がってきたのだとしたら、やはりこりゃもう仕方ないことです。
でもそんなのただの一部。
大手メディアが伝えることもSNSが伝えることも、世界の、社会の、組織の、個人のごくごく一部分に過ぎないように。
そして僕がこだわってきたのはスウィングっぽさではなく、それが僕自身の表現であることです。それがどの程度のものであるのかは到底分かりませんが、何かを世に出す以上、(固い言葉で嫌なんですが)やはり何らかの「責任」が伴うものだと考えておりますです。
ともあれ今回の展覧会が、スウィングの新たな側面を見ていただける機会になることは間違いなさそうです。
間違いない! って昨日何度も思いました(*'ω'*)
僕はココちゃんにある小さなリジチョー室で、悲喜こもごものドラマを携えながら地道に進んでゆくモノづくりを背中で感じてきました(さびしい!)。
ときどきチームを引っ張るトモダさんをはじめとして、溢れ過ぎて手に負えなくなった苦しみや悲しみが部屋を訪れます。
そしてただ話を聴いたり何らか手を打ったり一時しのぎのアドバイスをしたり。
思えばこの2年間、何度その部屋で<大の大人たち>が流す涙を見てきたことか。
問題解決なんかしなくっていいから(できないから)、せめてただただ平気で泣ければいい、いつもそう思っています。
もちろん持ちつ持たれつ、僕もしょっちゅう愚痴や苦しみや悲しみや喜びをココちゃんのみんなに聞いてもらってきました。
ああ、そんな場所にココちゃんはなっていたのか。
やはり昨日着々と進んでゆく設営作業を見つめながら、ふと感じ入ってしまいました。
(できることが無さ過ぎて、ただ突っ立っている時間が多かったのです。。。)
楽しいだけじゃなくって、ココちゃんが泣ける場所であることを誇らしく思います。
そんなココちゃんから生まれたモノだから素晴らしい!! ……かどうかは分かりません。
ぜひぜひ会場に確かめに来ていただきたいと思っております。
堀井ヒロツグさん(写真・映像)によるトレイラーが届きましたので是非ご覧ください。
会場で流れる本編はおよそ10分。
<coco de emo nu>で生まれた大きな和紙のスクリーンに映し出されます。
明日17日(火)から京都・同時代ギャラリーBisにて。
どうぞよろしくお願いいたします!
★2021.08.06 Friday ブログ『Swingy days』