おそらく貞子には必要ないが私たちには必要な安心
2004年に亡くなった父ですが、30代後半、電動工具の扱いに失敗して指を複雑骨折してしまいます。
(おそらく生まれて間もない)僕は全く覚えていないのですが、家族で病院にお見舞いに行ったらすぐに追い返されたそうで、理由は「痛すぎたから」のようです。また、そうした普通ではない自分の姿を見られるのを嫌がる人でもありました。
後年、その曲がってしまった指についていろいろと説明されたことは記憶してしていますが、今の僕にとっては「あの真面目な父でさえうっかり大ケガをしたのだ」という妙な安心感に繋がっています。
隠れてしていた個人的アルバイト中の事故だったそうで、それもまたとてもいい。
この話をいまだにヒソヒソ声でする母は、僕に似て(?)ケガの多い人生を送ってきた人です。先日経過報告のために電話をした際あらためて数々のエピソードを聞き、「おっちょこちょいDNAはここからか」と笑ってしまいました。
僕も小学生にはなっていたと思うのですが、バレーボールの最中に足首あたりの骨をひどく折ってしまった時には入院をせず、自宅で長い療養生活を送りました。これは父の強い意向だったらしく、その間家の何もかもを父がしていたそうです(いや、そこまで入院憎まなくても)。
母は基本寝たきりでトイレに行くのにも這っていったそう。不思議とほとんど覚えていないんですが、ひどい時の僕とまるで同じ状況です。しかし狭い家でも足を引きずり這って向かうトイレのなんと遠いこと……。
井戸から、テレビから這い出て来た貞子はものスゴく頑張ってたんだな!! とようやく気づきました。
それにケガをした時の和式トイレって使いようがなくって地獄なはず。(過去の僕自身も含めて)皆どうしていたのでしょうか?
母は当時の記憶をたぐりよせて「リハビリも自分でしたと思う」と言っており、なるほど、医療的なリハビリテーションが本格的にはじまったのはそれほど前のことではないのかもしれません。知らんけど。
先ほど外来リハビリにはじめて行ってきました。しばらく週1回のペースで続きます。
家でもできる範囲のリハビリをしていますが今のところ足の状態は一進一退というところです。
よく曲がる日もあれば、重たい棒みたいに感じる日もある。動きすぎると熱が出たりするし、動かさなければ固まってしまう。加減がなかなか難しい。
貞子もそうだったんでしょうか。身体が足を治すことにたくさんエネルギーを使っているのでしょう。調子をみて花をやり替えたり散歩に出かけたりもしていますが何よりとても疲れやすくなっていて、動くとすぐに息切れしてしまうというのは人生初です。
ところでこの機にようやく考えたことがあります。突然見舞われるケガや病気によって仕事が困難になった時、健康保険の傷病手当金が保障するのはおよそ6割。
ありがたいと思える制度である一方、通常以上に出費もかさむ治療、療養期間に6割保障では何とも心もとない。
たとえ有給休暇がたくさんある人でも、それはケガや病気のために使うものではないと思います。それにたくさんあるということは、それだけ休めていないということですから。
そこで貞子には必要ないでしょうが、健康保険の不足分を補うような、スウィング独自の傷病手当を設けることにしました。
コロナ関連の全てのお休みは既に独自ルール(有休の「コロ休」)でカバーしていますが、誰しもできればそうはなりたくないケガや病気の辛い時だからこそ、むしろ通常時よりも収入が多くなるように手当したい。
これまでもオーバールールで似たようなことはしてきましたが、働く皆(ここでいう皆とは〈職員〉ということになりますが)の、自分自身の安心のために制度設計を急ぎたいと思います。限られた財源の中で。スウィングのお互い様精神が更に成熟することも期待しつつ。
人間万事塞翁が馬。
やはり自分自身がこうなってみてはじめて見えるものがたくさんあります。この機をしっかりと掴まえ逃すまいとあらためて思います。