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根深き呪い、ガンバリズム

コロナ禍にあって、こんなことが立て続いた。

まずはゆみさんが熱を出して仕事を休み「熱以外はなんともないので申し訳ないです」と、同じようなことを数日間言い続けた。

実際、熱以外は元気そうだったが、お医者さんのお墨付きが得られるまではお休みをしてもらった。

ゆみさんが復帰してしばらく経ったある日、深町さんがちょっとしんどそうにしていた。

気になって具合を聞くと、彼女は「偏頭痛だと思います。それ以外はどうもないので大丈夫です」と言った。

確かに頭痛以外には何もなさそうだったが、午後から早退することになった。

次は田中さん。ゆみさんと同じように熱を出して仕事を休み「熱以外はなんともないので申し訳ないです」と、同じようなことを同じように数日間言い続けた。

同じように熱以外は元気そうだったが、同じようにお医者さんのお墨付きが得られるまではお休みをしてもらった。

……が、ええ加減「これはちょっとおかしいんじゃないか!??」と気づいたのである。

発熱している時点で、頭が痛い時点で、その1点だけでもう十分な「休め」のサインなのに。そしてそのサインに従い、「堂々と回復するまで休む」のが本来のはずなのに。

でも3人は一様に「熱だけだから」「頭痛だけだから」と謎の除外規定を適用して自分を大丈夫な人にしたがり、おまけに休むことに対して申し訳なさまで感じていたのだ。そしてこの気持ち、僕にもよくよく分かってしまう……。


ああ、この「ガンバリズム」という名の根深すぎる病よ。。。

ガンバリズムなのか体育会系なのか同調圧力なのか軍国主義なのか知らないが、我々の奥深くにアホみたいに染みつけられた呪いよ。。。

スウィングという自由度の高い環境で、そしていい大人になっても発動するこの呪いは深いというか、相当に強い。

なんでこうなっちゃうんだろうか……と考えると、やっぱり「学校教育」に思いが至る。それも小学校の頃からの。

あの狂った場所に求められた様々な良い子像のひとつ、「休まずに元気に登校する子」。

これは「勉強ができる」とか「運動ができる」といった他の良い子像と違ってあまり能力を問わず、「無理して頑張ればいける」やつなので、とりわけ人気(?)や普及率(?)が高かったのかもしれない。

健康で元気なのはそりゃいいことだ。

でも僕たちは休むべきときにすら休みにくく、休んで尚申し訳ない気持ちになるように、来る日も来る日も、繰り返し繰り返し教育され続けたのだと思う。

これは一体なんのためだったんだろうか。ひと言で言うと「異常」じゃないか。

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ちょっと前の話になる。

「あれ? 今日はQさん来てないな」とほんの少しだけ、魚でたとえるならば「ちりめん山椒」くらい心配していると、ほどなくQさんからの電話が鳴る。そして彼はうめくような冴えない声色でこう言うのだ。


「なんとなく休んでええか?」


まさに「ブレイクスルー」の瞬間だった。

具体的な理由ははっきりしないんだけど、でもなんか調子悪くって「なんとなく休みたい」ってこと、誰にでもあるあるある。でも休むためのそれらしい理由が必要で、理由があってもガンバリズムを発動しがちな僕たちにとって、この本当の声をそのまんまに発することは至難の技だ。本当の声なのにね。。。

一方、発熱や頭痛なんて真っ当でありきたりな理由はとっくの昔にクリアして、近年は「嫌な夢を見た」だの「足が腐った」だのワケの分からない理由をこしらえては休んでいた達人は、また次の段階へと歩を進めたらしい。

そしてQさんはその日、「なんとなく」仕事を休んだ。

ガンバリズムという呪いから綺麗さっぱり解放されるには、これくらいのダイナミズムが欲しいところだが、なかなか彼のようにはなれない(なりたくない?)のが、多くの人にとっての現実だろう。

スウィングではかつて生理休暇の取得率を上げるため、「性別を問わず生理的に無理な日に取ることができる休暇」と規定し直したことがあったが、「今日ちょっと無理なんで」と休んだ人はひとりもいなかった。

やっぱり皆、呪いのほうに引っ張られてしまったんだと思う。

しかしながらこのコロナ禍においては「不調を感じたら休むこと」がセオリーの1つになっているようだ。

現に3人は呪いの残り香をプンプンさせながらも「休む」という選択をし、そして実行に移した。

このセオリーは今後、いや未来永劫語り継ぎ、実践してゆくべきものだろう。

そしていつの日か、仕事や学校を休む理由ナンバーワンが「なんとなく」になったら愉快っちゅーか、イイ感じだろうなあ。。。

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