<障害者×アート美化運動>の途中経過
たまたまが重なってXLが目の前で絵を描いている。
眺めているとふと気になって軽い調子で尋ねてみる。
「描き終わった後ってどんな気持ちになるの?」
「どんな気持ちて……」
XLはあまり喋るのが得意ではない。
特に質問されると焦ってしまって、「まったく思ってもいないこと」をその場しのぎで答えたりする。
だからゆっくり丁寧に、答えやすいように聴く必要がある。
「喜怒哀楽で言えば?」
「うれしい。楽しい」
おお、即答。
どうやら描き終わって「いい感じ」になるのは間違いないようだが、こんな竹を割ったような単純明快ポジティブで終わらせたくはない。もっと、もう少し深く知りたい。
「達成感みたいなのはある? できたー! みたいな」
「ある」
んー? 「ある」とは言っているが、表情に迷いのようなものも見て取れる。こういう場合は冗談っぽくしてしつこく聴くんだもん!
「本当に? 本当に?」
「キャンバスのときだけや!」
???
彼は最近ひさしぶりにキャンバス画に取り組んでいるのだが、これまではどちらかと言えば苦手意識が強く、敬遠しがちだった。
でも今回は「ムリ」とか「難しい」とか言わないなあとなんとなく感じてはいた。単純に慣れてきたのかなあ、と。
しかしこの答えが意味するのは「キャンバスに描いているときだけが楽しく、達成感もある」ということだろうか。
ウソ~ん、まさかまさか~。
「え? 紙のときは?」
「ない」
「ない? 楽しくない? 達成感もない?」
「ない」
ウソやん! ウソやん! こいつは驚きだ。
驚きとともにビシッとした断言に思わず笑ってしまう。
「じゃあ、どんな気持ちになるの?」
「終わったって」
「終わった。それだけ? 無感動?」
「それだけ」
マジか……。
これはなかなか、衝撃的なインタビューだ(ちなみに確認のため、このくだりを3回は繰り返している)。
アートする障害者はいつも楽しそうで、いつだって無我夢中。
昨今こんな感じの偏った胡散臭い見方が多いように思う。
たとえばスウィングではアッキーもかなえさんも京一さんもあふる君もQちゃんも全然そんな感じじゃなく、露骨にさぼってたり、明らかにイヤイヤやってたり、全然集中できなかったりする人間らしい姿が当たり前。
だから「それは障害者を美化した偏見じゃないですか?」と、積極的に<障害者×アート美化運動>の火消しに努めてきた。
けれど、ことXLに関しては彼の高い集中力と完成する絵の素敵さを見続けているうちに「XLは絵を描くのがいつもいつも、ずっとずっと楽しいんだなあ」なんて、深く考えずにうっとり思い込んでしまっていたらしい。つまりは僕自身が<障害者×アート美化運動>の一員だったというわけだ。ワオ! ワオ!
僕の頭は2013年秋、新しい自分に出会ったかのように突然生き生きと、楽しくってたまらないといった様子で描きはじめたあの姿を全く更新できていなかったのだと思う。
思いもよらず絵を描くことが「仕事」になり、それは彼の人生に起こった一大事には違いないけれど、やがて仕事は義務となり習慣となり、2023年の今は(紙に描くのは)楽しくもないし、達成感もまるでない……。
そりゃあ、いくら目覚めが強烈でも、それから10年もほとんど毎日描き続けていれば、むしろ飽きて当然というものだろう。
そもそも何人たりとも仕事が、そして人生が「楽しい」オンリーで済むわけがない。
基本めっちゃしんどかったり苦しかったりするのが生きるということで、だからこそ日々の小さな楽しみや喜びに希望や幸せを感じられるのだと思う。でも、大事なそこんところをゴニョゴニョごまかす風潮もなぜか強い。ゴニョゴニョごまかして自分を美化するのもよろしくないと思うが、他の誰かを勝手に美化するのはもっと良くないと思う。
一方でかつては失敗や周囲からとやかく言われるのを恐れて、何かをやる前から「ムリ」「できん」を連発していたXLが、今ではキャンバスという新たなチャレンジが「うまくいかないこと」を楽しみ、達成感を感じているというのも「まさか」の展開である。
ごめん、XL。
でも楽しそうに見えて、実はぜんぜん楽しくなかったってメチャ面白かった。
いつからそうなったのかは分からないけれど、これからしばらくはキャンバス画で走ってみようぜ。
人はSwingし続ける。
XLも。僕もアナタも。