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恥ずべき生などひとつもない
◆ 秋の夜長の殴り書き
ときどき思いついたように、詩のような、散文のようなものをノートに書く。たとえば2019年9月19日に書いたのはこんな感じだ。
「カミングアウト」という言葉を聞くたび クソッタレな世の中だな と思う
ただひとりの人が そのただひとつの生を ただ生きているだけなのに
そんな よく意味の分からない勇気を奮い起こして
自分のことを 打ち明けなくちゃならないなんて まったくひどい話だ
自分こそが「マジョリティ」で「ノーマル」だと思い込んでる 卑怯者たちが
でも卑怯だから群れをなして「マジョリティ」や「ノーマル」を
一生懸命にこしらえて守って 守ってはこしらえて
カリソメの安心を得るために そんなひどい話を 生み出し続けているんじゃないか
賢者曰く 「人生は死ぬまでの暇つぶし」らしいぜ
でも そんなくだらない暇つぶしをするくらいなら
早くさ 「わたしは卑怯者です」ってさ カミングアウトしろよ
いやあ、なかなか強い調子で、怒りに満ち溢れている。何かきっかけになる出来事があったのだろうが、それが何だったのかはもはやまったく覚えていないし、夜中に気持ちが昂って殴り書いたものだから、つまり誰かに見せるために書いたものではないから、こうして公にするのも少々勇気がいった(正直に言うと少しだけ手を加えて直した)。でも、この詩(?)の内容が「カミングアウト」に対する僕の基本的な思いであることに違いはない。
◆ ひとつ目の告白
ここに告白する。数日前からなんの前触れもなく突然左肩が痛くなり、最初は「ちょっと寝違えたかな?」くらいだったのが、だんだんひどくなって、現在の左腕の可動域はようやく肘を直角に曲げられる程度、(たとえば服を着脱するとか、顔を洗うとかなんでも……)それを超える動作をすると問答無用の激痛に襲われる。夜は「夜間痛」が生じて眠れないし、遂には心臓の鼓動ひとつにすら痛みを感じるという―その名も「拍動痛」―「痛み」を中心とした今を生きている。これはどうやら噂に聞いた「四十肩」らしく、知ってはいたけど、まさかここまでのことになるとは思ってもいなかった。
すべて事実であるが、どうだろうか。「大変そうだな」と、少しの同情を寄せてくれた人はいるかもしれないが、この告白に「僕という存在そのもの」に迫るような重みを感じた人は、まあ、いないんじゃないだろうか。僕自身、日常生活に多大なる支障をきたしているこの状況はかなり切実なものではあるけれども、じゃあ、ここにこんなふうに書くことに心理的な負担があったかというと、まったくそんなことはない。でも、なぜだろう。こんなにも辛いのに、それを告白することに何らの重みを感じないなんて。
◆ ふたつ目の告白
2006年、僕は主宰するNPO法人「スウィング」を立ち上げたおよそ半年後、積もり積もったプレッシャーやストレスからか突然の「発作」に見舞われ、激しい混乱に陥った。ドクドクと心臓の鼓動が早くなり、手足からとめどもなく汗が吹き出し、何よりいちばん怖かったのは高速道路を運転中だったにも関わらず、絶えず「気が失いそうな感覚」に襲われ続けたことだ。事故る恐怖に怯えながら何とか高速道路を降り、コンビニエンスストアの駐車場に車を停め、大きく息をついて倒れ込んだあの瞬間は、まるで昨日のことのように感じられる。
その後も発作は続いた(いや、「発作」という言葉を知ったのは、しばらく後のことだ)。むしろ状態はどんどん悪くなり、車の運転中のみならず、ひどいときには最もリラックスしているはずの、家のリビングでもそれは起こった。
一体自分の身に何が起こっているのか?
発作そのものよりもきつかったのは「自分の置かれている状態が分からない」という恐怖だ。精神科などでは診断名をもらうと安心する人も多いと聞くが、その気持ちが僕にはよく分かる。最初は脳の病気を疑ったが、「病院へ行く」という選択肢は怖くて選べず、ひたすら自分自身で調べまくった結果、遂に「パニック障害」という言葉に行き着いた……そのときの安堵感といったら! そうか、僕はパニック障害という病気になってしまっていたのか。つまり脳の深刻な病気とかではなかったのか。発作は相変わらずだったので、すぐに精神科を受診し服薬治療を開始(最初は副作用が強く辛かった)、それと同時に近しい人たちや発作が起こりやすい場所(たとえば美容室)にいる人にも自身の状況を予め伝えておくようにした。すると、少し楽になった。
最も怖い、車の運転時には「発作、来い来~い♪」といった、いい加減な歌を大声で歌いまくることにした。怖がるのではなく、積極的に発作を呼び込むモードに切り替えることにしたのだ。すると、さらにまた少し楽になった。パニック発作は電車など社会的な空間で起こってしまう人も多いと聞くが、僕にそれはなかった。さすがに電車内でこんな歌を歌う根性はなかったから、不幸中の幸いだったのだと思う。
そして、およそ5年後には発作はまったく起こらなくなり、強い薬は徐々に終了。でも未だに「発作が起こるかもしれない」というザワザワとした不安はなくならないので、ザワザワ用に変わらず頓服は持ち歩き服薬し続けている。それが今の僕だ。
このふたつ目の告白は、こうした状況に現在進行形で苦しみ、またそれを周囲になかなか言えない、理解されないという苦しみの渦中にいる人にとっては少しの救いになったかもしれない。いや、厚かましくも救いになって欲しいと願う。僕の心中も少しばかり複雑だ。人に話すことにも、こうして書くことにもほとんど抵抗感はないのだが、胸の奥の奥の、チクリとくる痛みに嘘はつけない。理屈ではなく心のどこかに、何か「いけないこと」を言っているかのような感覚が、まだほんの少し残っているのだと思う。
◆ なぜ、「言いにくい」のか?
「四十肩」は誰もがなるかもしれない、めっちゃ痛いけれどもネーミングもちょっと可愛らしい、身体の病気、症状だ。つまり冒頭の詩に書いた「マジョリティ」で「ノーマル」な人たちも等しくなり得るもの、また現にそうなったとしても「マジョリティ」「ノーマル」というポジションが揺るがされることはない。言い換えれば四十肩そのものがマジョリティでノーマルなものだからこそ簡単に言えてしまうのだろうし、したがって言葉としての重みもないし、それを発する心理的な負担もほとんど生じ得ない。
でも精神的な病気や苦しみって、なぜ、なかなか人や社会に対して言いにくいのだろうか?
精神疾患がこの国の「五大疾病」になって、もう随分になる(はずだ)。つまり四十肩同様、精神疾患はいつ誰が罹患してもおかしくないもの、その良し悪しは別として、つまりとってもポピュラーな病気なんである。……にも関わらず、世の雰囲気は相変わらず精神疾患に対して差別的だし他人事だし、「マイノリティ」あるいは「アブノーマル」の烙印を押し続けているように見える。
もちろん精神疾患だけではなく少数派としての出自、障害、セクシャリティを持つ人たちなどを取り巻く状況も基本的には同様だと思う。「マジョリティ」というくだらない傘に守られた、「ノーマル」ぶった分からず屋たちの有形無形の圧力によって緊張を強いられ、「ただ自分を生きてきた」という単純な、でもかけがえのない、誰も否定なんてできない事実を「言いにくい」ことにされ、「カミングアウト」なんて言葉を迫られている。「言いにくい」って本当に本当に辛いことだ。少数派として人の世を生きることは、それだけで痛みが伴う。そしてその痛みを言えないことは、輪をかけてその人を苦しめる二次的な痛みとなる。誰かを裏切ったわけでもない。誰かを傷つけたわけでもない。繰り返すが「ただ自分を生きてきた」だけなのだ。それが堂々と言えないなんて、いや、言わせないなんて、どう考えたってひどすぎるんじゃないか。
◆ 憑き物が落ちた瞬間
「カミングアウト」がマジョリティによって強いられる行為であることを自覚し、また非難しつつも、同時にそれによって人が(程度の差こそあれ)救われることも知っている。それは有名無名を問わず、勇気ある人たちから今も学び続けていることでもあるし、自分自身の経験則でもある。
僕は四十肩のこともパニック障害のことも、多少のストレスは感じつつも現在進行形で友人知人、そして世間に向かって打ち明けることができた。けれど、どうにも、誰にも打ち明けることができなかった、まさに死線をさまよった十代という過去を持つ。小学校からはじまる学校時代、勉強やスポーツやリーダーシップを持つことなど、社会や教師から要請されるほとんどのことが「たまたま上手くできてしまった」僕は、やがてそれらを失うことを恐れるようになる。10歳の頃のことだ。つまり褒められたり評価される自分でいられなくなったら何の価値もない、誰にも相手にされない人間になってしまうんじゃないかと、ほとんど無意識のうちに思い込むようになってしまったのだ。そうしてはじまった「失うことへの恐怖」に支配された日々は地獄だった。
地獄の底は15歳。遂に心が限界を迎えたある夜、発作的に舌を噛み切ろうとする。でも、生きようとする力が勝ったのか試みは失敗に終わり、僕は生き延びた。この苦しみを誰かに打ち明けたい、分かって欲しいとおよそ10年間、毎日毎日思い続けたが、遂にそれはできなかった。言えば楽になるかもしれない、でも、もし受け入れなかったときには今以上に取り返しのつかないことになるんじゃないか……そんな強い恐怖と不安が常に心の内にあったのだと思う。
大学生になり二十歳を過ぎた頃、たまたま新聞で見かけた「大学生の不登校を考えるシンポジウム」という文字に強く惹かれた僕は、ひとりその会場へと足を向ける。そこで話をしていたのは不登校や引きこもりの若者を支援するNPO法人、「ニュースタート事務局」の二神能基氏。彼は100名ほどの参加者に向けてこう語っていた。「自立なんかしなくてもいい、目的なんか持たなくてもいい、人は迷惑をかけ合いながら生きてゆくものです」。……まさに、憑き物が落ちた瞬間だった。ああ、そうだったのか。僕の「失うことへの恐怖」は、「ちゃんと自立すること」「ちゃんと目標を持つこと」「ちゃんとして人には迷惑をかけない」、そんな「ちゃんとしなければいけない」シリーズができなくなることへの恐怖とイコールだったのか。でも、そんなシリーズなんかできなくっても生きてゆけるんだって! これまでの人生がはじめて全力で肯定されたようで、いても立ってもいられず、僕は家族や友人たちに10年間の苦しみをぶちまけた。そして考えられないくらいに、まるで翼が生えたかのように心が軽くなった。
◆ 「カミングアウト」の自由
最近、ふと思った。時間の流れは決して一直線に一方向にだけ流れているんじゃないのだ、と。一応、今僕たちは「時は金なり」とか「時間だけは平等」なんて言われる、物理的に等しく流れる時間を1秒1秒生きている。でも時間というのは、実際はもっと前後左右にグニャグニャグニャグニャしていて、もう数えることなんて不可能なくらいに枝分かれを繰り返しながら流れゆくものなんじゃないだろうか。
たとえば激しい心の葛藤に舌を噛み切らんとした15歳のあの夜、僕は幸運にも生き延びて、あのときを乗り越えた今を生きている……ことになっている。それは嘘ではないし、一番はっきりと目に見える時間の流れだ。けれど、同時にずっと生き続けているのだ。あのとき、苦しみの底にいた自分はそのまま、今も僕の中で。
「カミングアウトなんていらない」とか「いや、するべきだ」とか。人が傍からどうこう言うことではない。だっていずれにしたって僕たちは懸命に「ただ自分を生きてきた」のだし、それはこれからも死ぬまで続いてゆく。
苦しみを抱えたままの自分。苦しみを乗り越え前へと進んでいる自分。乗り越えたはずが後戻りしている自分。そのどれかが唯一の自分だなんて決める必要はなく、良いも悪いも酸いも甘いも過去も未来も全部ひっくるめて自分、それでいいのだ。
恥ずべき生などひとつもない。
※ このテキストは『統合失調のひろば 2020年春号』(日本評論社/2020)より転載しました。