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〈利用者〉〈職員〉をやめる
京都に住んでもう25年以上(!)になるが、ここまで降り積もったのははじめてじゃないだろうか。
5年ぶりの積雪10センチ超、観測史上10位の記録となったそうだ。
滑って転ばないように注意を払いながら通勤しつつ、それでもこんな感じの(京都っぽい? 映えそうな?)写真を撮ってしまう僕も間違いなく<撮りたい人>なんだろう。
<シリーズ:撮りたい人を撮りたい>
しかし毎度のことながら警報が出るタイミングがどうかしている。
じぇんじぇん降らないときに出る大雨警報や大雪警報にはある意味慣れっこになってしまっているが、もう誰がどう見たってさんざん降り積もった後に出す大雪警報ってどうなんだろう? 気象庁の夜勤の人がうっかり居眠りしてる間に大変なことになって、慌ててボタンを押したんだろうか? ボタン??
よりにもよって午前7時42分発令って通勤通学ド真ん中。
コロナ感染拡大に汲汲とする世相とは全く関係ないのだろうか?
徒歩や自転車や原付での移動を諦めた人は当然ながら公共交通機関を使う。いつも以上に混む。
いつも通りに学校に来たけれど、警報が出たから「おはよう」だけを言い合って家路につかされた子どもたちもいるという。
こんなんで、まん防とか緊急事態宣言とか言われても……ね!!
ちなみにスウィングには以下のようなルールがあり、午前6時半の時点では警報の「け」の字も出てなかったので、通常どおりの営業とした。
<午前6時30分の時点で暴風警報・大雨警報・大雪警報が発令されている場合は、臨時休業日とする。ただし、活動の安全を確保することができる場合はこの限りではなく、通常どおりの営業を行う。>
もちろんどうするかは自由なので休んだり出退勤の時間調整をした人もいたけれど、ちょっと危ないな……と思わざる得ない地域に住む人も無理をして来てしまっていた。事故もケガもなくてよかったがルールに縛られない柔軟な対応をすべきだったと反省している。
僕自身もスウィングよりもっと北、京都市内でもとりわけ寒く、また雪も積もりやすい地域に住んでいるのだが、家を出る直前にあふる君からかかってきた電話がとても嬉しかった。
てっきり休みの連絡かと思ったのが「僕のところも積もってたので木ノ戸さん、だいじょうぶかなと思って。気をつけて来てね」という心配の電話だったの!
2014.09.29 Monday:ブログ『Swingy days』
★法の下の“我ら一市民・我らNPO・我らスウィング”
〈利用者/職員〉〈被支援者/支援者〉〈障害者/健常者〉。
こうした分断、二分化された構造をほどき、当たり前に助け合い、支え合う関係性を回復すべく日々の営みを続けるスウィングだが、まだまだ「おかしいなあ」と感じることはままある。
そこで新年早々、本来は「本当にどうでもいいこと」を言い合うはずの朝礼で「マジでどうでもよくないこと」皆に相談し、概ねいい感じっぽかったので以下のような方針を持つことになった。
●〈利用者〉〈職員〉といった言葉を使わない。やめる。
●言葉にこだわるのもよくないが、言葉によって言動が縛られたり、関係性が分断されることはままある。
●まだまだスウィングにおいてもお互い様の気持ちが育っておらず、〈利用者は他者に無関心で助けられる側の人〉〈職員は何かに気づいたり助ける側の人〉といった雰囲気が強い。
●それは属性(言葉や制度的な役割)に縛られ、ロールプレイをし過ぎることに大きな要因があると考えられる。
●当たり前の、ただの人間同士として、公平に在ることが理想。理想はいつまでも理想かもしれないが、理想に近づけるように日々をメンテナンスし続けることが大切。
●言葉の分からない人も、分かりやすくお互い様を発揮できない人もスウィングには数多くいるが、言葉に頼らず、個々の振る舞いを分かる人から意識的に変え続けることによって、分かりにくい人にも知らず知らず影響が及んでゆくもの。
●制度を活用し運営資金としている以上、便宜上こうした言葉を使わなければいけないことはあるが、それはやはり便宜上のもの。
あふる君からの電話はまさに、人が人を互いに気遣うという当たり前の、でもなかなか当たり前にならない公平性の表れだったように思う。だからこそ、小さな小さな出来事ではあったけれど「心配してもらえたあ。それを伝えてくれたあ」と嬉しくなっちゃったの!
制度は制度。法は法。
守りながらも、自らの在り方や身近な社会を更新し続けることはできるはずだ。
正解は分からないけれど。
正解が分からないからこそ。