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JEEPを買うと人はこうなる
沼田君が言うには、送迎車(HONDAフリード)の運転途中に新聞配達のバイクに出くわしたそうな。
その路地は狭く入り組んでいて、フリードはとあるお家の花壇(のブロック)をかすってしまったそうな。
車を降りて確認すると花壇に目に見える損傷はなく、その家の主も「気をつけてやー」とだけ言っていたそうな。
おしまい。
……はい???
スウィングには「なんでも相談室」という名のスタッフミーティングが毎夕15〜20分あり、主語を自分からぶらさぬため(自分自身の)「相談室」という体を取っている。まあ、そのへんの理屈はともかく。
沼田君が相談室の時間に、なぜかドヤ顔で語るこの短い物語(?)は一体なんの相談なのだろうか? あるいは何を僕たちに伝えたいのだろうか? 「どうやら起こったらしいこと」だけがミニマムに……いや、宙に放り投げるように語られ、どう受け止めればいいのか、何からつっこんでいいのか皆目分からない。木で例えるならば根とか幹とか大事な部分は根こそぎはしょられ、咲き誇った花びらや青々と茂った葉の先っちょの部分だけが異常にデフォルメされて語られている、そんな感じだ。
……これは僕だけの感覚なのだろうか?
不安になって思わず周りを見渡すと、ああ良かった。
皆、一様に困惑し固まってしまって、その表情からは生気が失われている。
しかし、すごい。
ものの数分の不可思議な語りによって、ええ年こいた大人5〜6人が丸ごと虚無の淵へと追い込まれているのだから、やはり言葉の持つ力を舐めてはいけない。そして言葉の力に加えて僕たちを激しく困惑させるのは、発言の不明瞭さやそんな場の空気とは裏腹に、なぜか背筋をピンと伸ばし、清々しい表情でドン! と構えている彼の姿だ。
なぜだ??
こっちはどこから手をつけていいか分からず虚無を彷徨っているというのに、その、すべて漏れなく言い切りました! 以上!! みたいな態度はなんなのだ??
JEEPだ。
つまるところ、全てはJEEPに行き着く。
コロナ第2波で死ぬと勝手に思いつめ、死ぬ前に好きなことをしておきたいと決意した沼田君は現在、JEEPの購入手続きを進めている。
曰くJEEPは「ルックス以外、デメリット」らしい。
その上、中古でもアホみたいにバカ高いらしい。
予め半日休みを取っていた先週の金曜日、彼は「バタバタしてるので午後も休みます!」という意味不明な伝言を残し、結局丸1日休んだ。理由を言わないので多くはお子さんの具合でも悪いのだろうか……と心配したようだが、事の真相はつまりこうだ。
必要書類の準備とかJEEP購入手続きを午前中で終わらせるつもりが、思ったほど(自分が)動けなかったので午後からも休みます!
人ひとり欠けることが大きく物言う日々の中で、彼のこのような振る舞いが笑って済まされるスウィングを僕は誇りに思う。こういう休み方をされると、つまりはどんな休み方も許される。いいのだ。それでいいのだ。寝起きに鼻クソをほじったらちょっと鼻血が出たので休みます、それくらいでちょうどいいのだ。
しかしJEEP購入のためにヤケクソみたいなローンを組んだその挙げ句に、どうやらとあるお家の花壇に送迎車を当て、「何かを傷つけた」恐れがある以上は「はい、そうですか」と放っておくわけにはいかない。なんとか虚無から這い出そうと、起こったらしい事態や彼の語り口を総合的に咀嚼し解釈し、彼が一体何を伝えたいのか? を推し量り、恐る恐る尋ねてみる。
「……え〜っと、あそこの路地は狭いからみんなも気をつけてくださいという話なのかな?」
すると彼は背筋を伸ばしたまま、こう言う。
「そういうことです」
やった。当たった。
しかしながらJEEPという魔物は、こんなにも人を無意味に、大きくするものなのか。
「そういうことです」て、どの口が言うとんねん。
新聞配達のバイクを避ける。
まあしかたない。
人のうちの花壇にぶつける。
よくない。
送迎車に傷をつける。
よくない。
反省の言葉も謝罪の言葉も一切なく、「皆も気をつけて欲しい」となぜか上から言う。
最悪だ。
自分がやったことと態度の不一致がひどすぎる。
学ぶとことかいいとこがひとつもなく、なさすぎて笑ってしまうのがとてつもなく悔しい。
でも皆、そのお陰で虚無の淵からは無事に脱し、それぞれに人間味を取り戻してホッとしている様子だ。
「フリードで無理ってことは、その路地、JEEPでは絶対に無理やんな?」
経験したことのない敗北感を感じながら、でもなんとか笑いを生み出そうと苦し紛れに問うと、変わらず背筋をピンと伸ばし、晴れやかな顔をした男は言う。
「絶対に無理です」
沼田亮平は間もなくオレンジ色っぽいJEEPで京の街を駆け抜ける所存です。
高級車ゆえ、これまで以上に慎重な運転を心しますが、万が一花壇をこすられた際にはスウィングまでご連絡ください。
どうぞよろしくお願いいたします。