人を生きる④-育休について
Good morning
予定では、そろそろ東京オリンピックの開会式、といったところだろうか。まだ街に残る「TOKYO 2020」の旗が、寂しく風になびく季節だ。いや、雨に濡れて、泣いているようにも見える。
さて、数日前の冒頭でもふれたが、友達が2人目の子供を産んだ。
めでたい。
その一方で、彼女の仕事への復帰は、また1年ほど延長されたそうだ。
育休制度だ。
この育休制度に関して、男女平等に取得することはできないのだろうか、と思う。それは制度によって変えられることなのだろうか。マインドという根本的なところの浸透によって変えられることなのだろうか。いずれにしても、根深い課題だ。
入社してすぐの研修で、研修担当していた時短勤務の女性社員を見て、同期がこっそり言った。
時短の人がいると、チームとしては仕事振りづらいし、大変だよなあ
彼のキャラクターのせいもあるのか女性を軽んじている印象があって、頼まれてもいないのに先輩社員の代わりに私はムッとした。
大学生の頃は、育休や産休のタイミングで家事を学んで奥さん業も習得しようと思っていた。
だが、院生時代で読んだ書籍から、それは甘ちゃんな考えであることを知り、育休・産休はできる限り短期間でありたいと思うようになった。その考えは入社後、私の中で確信に変わった。
そんなこともあって、生活と仕事、そして生活に必要な給与のバランスが取れるワークスタイルを築きたいと思っていた。
その考えは、男性が育休を取得するという割合は低いだろうから、万が一、育休を取らない・取りたくない相手と生活を共にすることになったら、という仮定によって出た答えだった。
だが、時代は変化していて、男性も育休を取得するように働きかける世の中になった。前の企業でも、男性の育休取得にフォーカスするオウンドメディアが打たれたほどだった。それでも、実態はそんなに変わることはなくて、キャリアを休んで育児に専念したいと、自ら挙手する文化はなかなか浸透しない。多忙すぎると、育休にも関わらず、些細なメールの返答などしなければならず、働いていた李するものだ。そんな状況が、男性の育休取得を妨げているのかもしれない。
まだまだ出産や育児について何も経験していない身の戯言ではあるが、欧州の考え方は好きだ。
いや、欧州だけではないと思う。旅行中に出会ったレバノンの彼女たちも、仕事は大事だけれど家族の時間が最も大事という考え方を持っていた。
スロベニアの友達は、息子や娘たちのことを考えてイギリスでのドクター取得後、他の国で働くという選択肢もある中でスロベニアで生活することを選択していた。そして、友達の知人は日本のワーカホリックについて発狂していた。
風習を変えるために、世の中で試されていることは色々なことがある。
自由と平等という難しい概念は、まだまだ色々な博識人の間で試行錯誤されていくのだろうと思う。
Have a good holiday!
文章にあった絵を書いてくださる方、募集していたり。していなかったり。