きっと、誰しもが思うけれどストレートには言いにくい究極な表現。「人と付き合っていくってことはワーク(作業)なんだと思うよ」
私立の中学校に入学して、数カ月後の担任との面談で「何か悩み事があるか」と問われ、私は何も考えずにこう言った。
人間関係が難しいなと思います。
もし、私が今中学1年生の担任をしていて、生徒からそんなこと言われたらちょっとだけ目を丸くするかもしれない。当時の担任は、真剣にこう答えた。
人間関係っていうのは、俺ら大人でもずっと悩むものだから、気にすることじゃない
自我というものが確定しつつあり、客観的に物事を見始めるそんな時期に、シンプルなアドバイスは的を得ていた。なるほど、人間関係というのは私が子供だから悩んでいるわけではないのだ。(もちろん、子供という要因で生じた問題はあるかかもしれないが。)
その担任の一言で、突然爽やかな風が私の脳に入ってきた気がする。
そんな風に書くと、どんな中学生だったんだと思われるかもしれないが、中学生になっても相変わらず、私は独自の世界観の中で生きていたように思う。一応部活にも参加していたし、友達も居た。
ただ、昔からそうであるように、特定の根強い集団に所属するということを好まなかった。女子の”群れる”という習性が性に合わなかった。
先日、「共感力」という本を読んだのだけれど、どうやら人間は論理よりも共感に敏感だそうだ。
なるほど。人間の脳が「共感」を察知しやすいという。
だとしたら、私は「共感力」という要素を、胎児の頃に羊水に溶かしてしまったのかもしれない。
そんなうやむやしたことを考えながら生きていた最近、「嫌われる勇気」を読んだ。タイトルは知っていたが、その勇気は高校の時に明確に自身に言い聞かせて生きてきたことがあるから自分には要らない内容だろうと読まずにいた。
だけど、読んですっきりした。
何よりも、「この世の中で起きている問題は全て人との「共存」から生まれるものである」といった命題に感動した。
人はみな違う。考え方、景色の見え方、肌の色、おいしいと思うもの、美しいと思うもの、苦手だと思うもの、大切にしているもの…
それでもこの世の中はみな、地球という限られた環境で共に生きていくようにできている。
一方で、人は一人では生きていけないと説く人もいる。
なんてシンプルなようで難しい世界なんだろう。
こんなことを将来の私が口にするなんて知ったら、学生の頃の私は何と思うだろうか。高校生の自分は、納得するかもしれない。大学生の自分は、ちょっと驚くかもしれない。
やっぱり人と付き合っていくってことはワーク(作業)なんだと思うよ
今の私は深く共感できる。でも、生きていくことの核心がこれだと幼い頃に知っていたら、幻滅していたかもしれない。
でも、今の私はエッセイの中に登場した人の言葉に深く共感できる。
共感する能みそがあって安堵した。
ただ、この表現に関してショックを受ける人もいるだろうなと思ったりした。でも、ストレートでシンプル。わかりやすい。無機質かもしれないけれど、わかりやすい。
いや、人付き合いなんて無機質くらいがちょうど良いんじゃないのかな。
え、冷めてるって?
困ったことに、よく言われるんだよね。
情はある方だと思うんだけどさ。
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