死なずに生きていくための心構え
生活していて、突然
「自分は何をしているのだろう。何のために生きているのだろう。」
「ああ、フッと消えてしまいたい。」そして、「死んでしまいたい。」
こんな感情が脳裏をよぎることはないでしょうか。
もちろん、そんなのはないことに越したことはありません。しかし、世の中には一定数このような感情を常に抱えて、それでも何とか生きている人が多分たくさんいます。
私もその一人です。
今となっては随分その頻度は減ってきましたが、ふとした時に思い出します。
それこそ、きっかけさえあれば一歩踏み出すのも躊躇しないぐらいの領域まで足を踏み入れていましたが、今回は「死なない」ための心構えをシェアできればと思いました。
以下では、私が「死なない」ために気をつけている心構えを3つご紹介いたします。
その1.「意味」を求めすぎない
「生まれてきたことの意味」こういう言葉を使う人たちがいます。私はこれに否定的で、何なら今は全人類が生まれたことに意味なんかないんじゃないかと思うほどです。
極論を言ってしまえば、今生きている人間は、100年後にはほぼ間違いなく死んでいます。
必死の思いで後世にバトンを託したとしても、何百年後、天変地異や、あるいは新型の伝染病などで、人類自体が滅びてしまうでしょう。
それでも生き残ったとして、いずれ太陽は活動を停止します。エントロピーは増大し続け、やがて全てが停止する、無の世界になります。
その時、あなたや私に、順風満帆なあの人、路上生活者に、首相や大統領に、果たして「生きていたことに意味があった」と言えるでしょうか?
みんな等しく無意味なんじゃないでしょうか。
自分はこのように全ての生が無意味という前提で考えるようになったので、もうあんまり「生きる価値」とか「生きる意味」という言葉には耳を貸さないことにしています。それを考えて苦しい気持ちになるより、「まあ元から意味なんてないしな」って思っていた方が、気が楽じゃないですか?
「意味のないことで苦しんだり、悲しんだりするより、今自分が楽しいと感じることに注力する」
これが、私なりの処世術です。
勘違いしてほしくないのが、「誰もが無意味。つまり無意味で無価値な他人を貶めてよい。傷つけてよい。ないがしろにしてよい」というわけではないということ。
また、自分が無意味だからと言って、命をないがしろにすることがないようにしてほしいです。私も「これがどうしてもやりたい」とか、「絶対ああなりたい」とかいうポジティブな気持ちを持ち合わせていませんが、きっと楽しいと思えることがこの先生きてれば1つくらいあるんじゃないかな、と期待して生きていますので。
まあ暇つぶしだと思ってこの先も生きてみませんか?
言うまでもないですが、今生きている世界には、ルールやマナー、法律・規則があります。これを守らないと、たとえ無意味だとしても、この時代に生きている限りは罰せられます。
他人に迷惑をかけるのはやめましょうね。
その2.他人と比較しない
「同級生は自分より年収の高いホワイト企業に就職したのに、自分は…」
「同い年なのに、あの子は結婚してもう子供がいる。それなのに私は…」
「先輩は同じ時間で2倍もアウトプットを出しているのに、自分は…」
他人と自分を比べる。これをしているうちは、何があってもすぐ死にたくなると思うので、今すぐやめるべきです。
他人との比較は、上を見だせばキリがありません。自分よりお金持ちの人は必ずいるし、自分より仕事ができる人、スポーツができる人、幸せそうに生きている人…。そんなのは無限に存在します。
ちきりんさんの「ゆるく考えよう」にも書かれていることですが、どこかで自分がその他人の生活を手に入れられるかもしれない、と考えているうちは、どうしても比較してしまうのを止められません。
ですから、諦めましょう。
どこまでも競争して上を目指す。それをやっているうちは多分ずっと苦しい毎日を強いられます。「自分はこれくらいでいい」と、どんどん妥協するのがこれから楽に生きる上でのポイントになります。
自分は、この考えを聞いた時、「その手があったか!」と感心しました。
当然ながら、私も豊かで幸せな生活がしたいと思っていました。でも、他人と比較することで自分の幸せを確認するような生き方って本当に幸せかな?と疑問が浮かんだのです。
あの人より幸せになった!なんていうのが幸せの形なんでしょうか?
今、自分は「あー、楽しかったなぁ」って言って死ねるような生活が送れればいいかな、なんて思ってます。
その3.「死ねない」を利用する
すごく単純なことですが、未来に楽しいと思える予定がある時、人間は死に立ち向かうことができます。
ちょっと言い方が大袈裟でしたが、例えば明日がボーナス日で、可処分所得として50万円の収入がポンと入ってくるタイミングだとします。
さらに、その上1週間の休暇があったらどうでしょうか。
大抵の人は死ぬ気が失せるのではないでしょうか。
これは極端な例ですが、要するに「楽しみ」があれば、人間死ななくて済みます。
私はいつもこれを利用しています。
例えば、私はゲームの音楽を聴いて、当時の感傷に浸るのが「好き」なのですが、3ヶ月後の来年2月には「ファイアーエムブレム 風花雪月」のサントラが発売されるため、それまで生きなくてはいけません。死ぬことができません。
こんな具合に、利用してみるのがいいと思います。
あんまり心が疲弊すると、「楽しい」や「嬉しい」、「好き」「ワクワクする」というのがどういうものか、自分で分からなくなったりしますが、楽しい予定をあらかじめ立てておくことで、この心の疲弊現象にも対策が打てますので、心の弱い方には一石二鳥の方法だと自負しています。
さて、ここまで「死なない」ための3つの心構えを書いてみましたが、お役に立ちそうでしょうか。
自分のように、一度絶望して、何もかもが嫌になって、死んでしまいたいくらいに苦しくて、そんな暗い闇の中でもがいている人に届いたらいいな。なんて思っています。
次回は、心が疲弊した時の、「好き」の思い出し方について、書いていこうと思います。
1つずつ、変えていきましょう