とある中高教員が日々感じていることとか2 学びの個別化と授業の反省について
■ 忙しい時こそ時間を見つけて立ち止まる
新年度が始まりました。新年度が来ても来なくても、常に忙しいのがこの職業の恐ろしいところよね。いや年度更新のタイミングはやっぱり忙しいけどさ…。♯教師のバトン がtwitterで大炎上していて「あ、うん。本当それ。昔直面した。」みたいな投稿を沢山見かけるたびに、なーんかもうちょっと上手くいかないもんかねと思ったりする。やっぱり構造的な欠陥があるよ。現実的にね。
それはそれとして、学校でも家でも余裕のない生活を送っていると、間違いなく道に迷うという(か病む)のが僕の持論。週に1時間くらいはぼーっと考える時間が欲しいのです。コーヒーと、チョコレートチャンクスコーンがあれば最高。
何を考えるわけでもないけど、いつの間にかアイデアが浮かんできては消えて、その中からパーツを集めることで整理されていくような感覚。あれがしたい、これがしたいと、未来完了形の満足感でも良いから、希望を持てることが大事なのかな。
さて、今日は自分へのメモのような形の記事になります。
■ 毎学期やってきたことを振り返る
前任校の上司がそれはまた学級経営も授業も恐ろしい実力者で、しばらく修行していた形になったのだけど、よく言われていたのが「自分で大丈夫だと言えるくらい、考えて授業を作っているか?」だった。大丈夫というのは、成績をあげるとか、自分が付けさせたい力を涵養できるとか、そう言った目的をちゃんと達成できる授業なのか?というものだった。
先生、今も毎学期考えて、少しずつ完成形の一つには近づいていますが、やっぱり授業毎、学期舞の終わりに反省しています。でもきっと、常に変化させて、進化していくことが大事なんだということなのかなと、今は思ってます。
同僚にも恐ろしい実力者がいて…僕をADEの世界に引き摺り込んで下さった方ですが、ちょっと前に会話の中で僕に刺さった言葉があって
・子どもにとっての「本質」は、大人が考えるそれと異なる場合が多い
・子どもにとっての「本質」は、一人一人違う。
モヤモヤしていたものが言葉になった瞬間だった。もっと、自分の授業を改善していかないとなぁと思った。
■ 授業内反転の改善
少し前に書いた記事で、僕の取り組みである授業内反転授業について書きました。学びの個別化を進めることと、自分で勉強・目標に向かう力(を戦略的学習力と呼んでいます)をつけさせるために実践してました。もちろん数学の力も。
でも、全員に動画を先に見せることが、後者の目標を達成させる手段になるのだろうか。一斉授業との明らかな違いは、何?
って思ったわけです。この方法で「学力の到達度と勉強法」に関しては個別化は達成しつつあるのかもしれないけど、戦略的学習力をつけることがについては疑問が残りました。え、どうやってエビデンスとるのこれ。わからないけど、なんか違う気がする。何か。
だって、生徒にとっての本質は一人一人違うから。というわけで、今後の自分へのメモも含めてキーとなる物を列挙。多分夏休みだな…授業法として詰めていくのは。
・単元ごとに目的を明確化すること。PBL・CBLではない場合、生徒は新たに学ぶ単元の目標を想像することができない。
・学習教材の自由化と提供。自分にあった物を探す体験は、多くの子がしていない。新しいスキルを取得する際に、状況に応じて自分で選択する経験を積ませる。
・学びを生徒間で共有する体験を積み上げる。学校という場を上手く使おう。講義なら動画で充分。コミュニケーションと多様性を通して、自分の選択肢を広げる。
・形成的評価とアドバイスを細かく行う。教える学ぶコンテンツがありふれている今日、教員の役割が教えるだけで止まってはいけない。ファシリテーターの意識をもつ、視点を豊富にもつ。
ここら辺が大事になってくるんじゃないかな。
■ 先生は「学びのドクター」
個別化を進める上で最近よく思うのは、先生って「学びのドクター」なんだなって感じています。医者は、最新の治療法を常に学んで成長し続ける見本であると同時に、個々の患者に対して適切な治療を選んでます。ときには違う科に回したり、処方箋出したり、その場で処置したり。
学校の先生は「治療する」が「成長させる」に変わっただけ。一人一人に適切な成長を、とでも言いますか。
やっと、ここ最近の頭の中身が整理された。ではまた。
あ、見出し画像は記事とは全く関係ありませんが、この言葉と、志村けんさん大好きなので載せました。