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「近頃の若モンは…」論争はもうやめよう

「近頃の若モンは〜」と語るコメンテーターは、どの時代にも必ずいる。昔から繰り返されているこの論調だが、個人的にはまったく無意味だと思っている。

理由1:世代間の対立はナンセンス

年齢に差はあれど、私たちは同じ時代に生きる日本人である。だから、本質的な社会の問題は変わらないはずだ。

そもそも、あなたたちが若かった頃と今とでは時代背景がまるで違う。経済状況も、価値観も、働き方も、テクノロジーも、あらゆる要素が変化しているのに、「俺たちの若い頃はこうだった」と比較するのは無理がある。今の若者が直面している課題を、過去の基準で評価すること自体がナンセンス。

理由2:「昔はみんな立派だった」説の嘘

「昔の若者はもっとしっかりしていた」「今の若者はダメだ」——こういう発言をよく聞くが、本当にそうだろうか?

個人的には、単にSNSなどの普及によって、今まで見えなかったものが可視化されただけだと思っている。昔だってしょうもない行動をする人はいたはずだ。ただ、それが拡散されず、表沙汰にならなかっただけの話ではないか。

そもそも、人間の記憶は都合よくできている。誰しも、自分の過去のやらかしは忘れ、美化された「良かった思い出」だけを語りたがるものだ。今の若者が特別ダメなのではなく、時代の変化によって「ダメな部分」が見えやすくなっただけだろう。

理由3:「成功した人」だけが語っているバイアス

「俺たちの若い頃はもっと頑張っていた」と語る人たちは、そもそも社会的に成功したり、それなりの地位を得た人たちが多い。だが、その人たちが若い頃にいた全員が成功したわけではないし、むしろ見えなくなった「当時の落ちこぼれ」や「うまくいかなかった人たち」の存在は無視されがちだ。

成功した側の人間だけが「昔はよかった」と語ることで、当時の時代背景や運の要素を無視した「再現性のない成功論」になってしまう。すべての若者がその通りに生きられるわけではないのに、あたかも「昔の若者は立派だった」かのように語られるのはおかしい。

似たようなコメントを見つけたときは、「昔の若者」を「私」に読み変えると彼らが本当に言いたいことがよく分かるでしょう。

理由4:「今の若者」の定義が雑すぎる

「最近の若者は〜」という言葉は、まるで 若者全体が同じ価値観・行動をしている かのような雑なひとまとめをしている。

実際には、若者にも多種多様な価値観があり、真面目な人もいればいい加減な人もいる。SNSで目立つ一部の言動を「若者の特徴」と決めつけるのは、あまりにも乱暴だ。

例えば、「若者は働きたがらない」と言われるが、実際には多くの若者が厳しい環境の中で働いている。「今の若者はすぐ辞める」と言われるが、昔の人だって合わない仕事を辞めた人はいただろうし、今の時代は転職がしやすくなっただけの話だ。

結論:「最近の若者は」より「最近の社会は」に目を向けるべき

世代間の違いを語るとき、肝心なのは「若者が変わったか」ではなく「社会がどう変わったか」だ。昔の若者も、今の若者も、本質的な人間性は変わらない。変わっているのは、取り巻く環境や価値観のアップデートだ。

「最近の若者は」と批判する前に、「最近の社会はどのように変化したのか?」と考えることが、本当に意味のある議論ではないだろうか。

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さくら餅
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