高野山奥の院 ~ おそらく怖い体験 ~
先ほどの高野山奥の院を再訪した話題の続きだが、ここは場所が場所だけに見える人には簡単に「見えて」しまうようだ。
そして、中には行かない方が良い場所も存在する。
高野山出身の友人からはその場所の話を聞いていた。しかし、そういうスポットに好んで行くほど悪趣味でもないし、そんな場所はどうせ辺鄙な所にあるんだろうとそれ以上気に留めることはなかった。
実際、観光案内所で配られる地図なんかにも載っていない。それはおそらく、聖地・高野山の汚点とも言える場所であるからとも言えるだろう。
そんな感じで、何気なく宿にある高野山の地図を眺めていた。そしたら、何と!あるではないか。その場所の名前が。しかも奥の院の中腹で国道沿いに面している。
要は、観光地のど真ん中にあるということだ。
訪れた人なら分かると思うが、いわゆる高野山界隈は意外に小さく、端から端まで意外にすんなり歩けてしまう。
そう思うと、普段はそんな趣味はないものの、何故か気になりだした。
空海が入定、つまりみまかった日ということで特別なライトアップを観た後、仲間と酒を飲む。そのまま酔いにまかせて眠りについても良いのだが、それでは何か物足りない。
とりあえず、涼みに外へ出よう。
高地なので5月といえど夜はかなり肌寒い。有数の観光地にもかかわらず夜遊び出来るような場所がないので、人っ子一人として見かけない(一応スナックはあるようだけど)。
お約束的に例の場所のことが頭をよぎる。別に引き返したっていいんだしと歩き始めると、あっという間に奥の院の入り口まで辿り着いてしまった。
うーん、まいった。こんなに早くついてしまうなんて。
深夜0時を回っていたか。しばらく行ったり来たりを繰り返すが、気づけばまるで吸い寄せられるように国道沿いを歩み始めていた。
ただ夜道を無心に歩く。ごく稀に車が通る。左側に奥の院、右側に一応人家。左側を歩いていたのが、怖気付いていつのまにか右側を歩いていた。
緊張の面持ちで歩みを進めると、あるポイントで音という音が一切しなくなった。それまでは微かではあるものの水の流れる音など何かしらの音がしていたのだ。
どこかで鳥か何かが鳴いたのを最後にあとは完全な静寂。そして漆黒の闇。右側を見ると人家はいつのまにか途絶え、目印としていたある建物があった。
間違いない。例の場所はこの向かいか、あるいはかなり近い。。
建物を背に向かいを見る。変わらず漆黒の闇がある。しかしそれはあるだけではなかった。その闇がクワッと迫ってきたのだ!!
膝が崩れそうになり、思わず顔を背ける。
見たらアカン。見たら何に対してかよくわからんが責任が取れなくなる。
思わずそんなことを考えていた。
実は友人に生首が並んでたとか飛んできたとかいう目撃談があると聞いていたのだ。そんなもの見せられたらたまったもんじゃない。
火事場の対応か、一呼吸置いて目を閉じ手を合わせ、ひたすら般若心経を一心に唱える。後にも先にもあれほど真剣にお経を唱えたのはおそらく真冬の滝に入った時くらいだろう。しかしこれは滝とはワケが違う。それしか防衛策がないのだ。
唱え終わり、ただひたすら深々と頭を垂れ合掌。一呼吸置いて、前方を見つめないままクルリと背をひるがえし元来た道を戻り始めた。落ち着かないのでもう一度くらいは歩きながらお経を唱えただろうか。
やがて水がチョロチョロ流れる音が聞こえ始めた。幸い何も見ることはなかった(寝床や夢にも特に何も出なかった)。
翌日、今度は日中に再びその場所を訪れた。暗闇でわからなかったが、目印としていた建物との位置関係からすると、どうも真正面で相対していたようだ。
本職(僧侶)の友人と、くどいようだが改めて般若心経をその墓前で唱える。ユニゾンは心地いいと同時により神妙な気持ちにさせる。その墓所に眠る魂の無念を思う。
自分なりに敬意は十分示したつもり。その後、護摩法要にも参加したので何かに憑かれていたとしてももう離れていると願いたい。
何か恐ろしいものを見たわけではないんだけど、あの暗闇が迫ってくるような感覚、あれは黄泉への入り口だったのでは。進めば絡め取られていたのか。。。
何にせよ、行かん方が良い、とか行ってはいけないと言われる場所の空気がどんなか皮膚感覚でわかった。
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