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#05 佐藤 将一さん 障がい福祉系NPO法人ディレクター(前編)

就労移行支援事業所の管理者をしながら、制度外で障害者の住宅支援、大人の引きこもり支援、最近では婚活支援やオンラインサロンの運営をしている佐藤さん。支援者であれば誰でも「できたらいいな」と考えるソーシャルアクションをどんどん実現されています。その原動力やアイデアはどこから??お話を伺ってみました。

ー佐藤さんは、元々福祉の学校に行かれていたんですか?

いえいえ、全く。商業高校、商業大学に行ってました(笑)

通っていた大学に家庭の事情で行けなくなり、このあとどうしようかな、と考えた時に子どもの頃から参加していた子ども会でボランティアをしていたのが楽しかったので、子どもにかかわる仕事がいいかなと。それで食べていく道を探ろうと思ったのが最初でしたね。

ちょうど、バブルがはじけて、就職氷河期という言葉が生まれた時期で、大学を中退してどこかに就職することはできたと思うけど、その後僕の人生何が楽しいんだろう?と思って。

どうせなら自分がしたいことしていこうって思ったんです。

最初は、昼間はフリーターをしながら、子どもの居場所事業でボランティアからスタートしました。

それで保育士の資格を取ろうと思ったんですが、勉強してみると保育計画云々って出てきて、自然の中で色々体験するのが子どもだろうって考えがあったので、保育計画に沿って育てるという発想に疑問を持ちました。

でも、そこで自分で理想の関わり方をしたいと思って認可外保育園みたいなところを探したり自分で立ちあげることも考えたんですが、運営をしたとしてもコストが預ける側にかかるし、資金もないのでこれは今は無理だなと思いました。

ボランティアする中で、かかわる人が元気になったり前に進んだりするのが達成感があったので、自分が支援することで困りごとが解消するのであれば何でもいいと思い始めて、ちょうど「仕事しませんか?」と誘われて介護を始めたのが仕事としての最初の福祉でした。

ー介護してみてどうでしたか?

介護自体はあまり大変とは思いませんでしたね。

ただ、人が足りないからできることが制限されるとか、事務的なことをしないといけないとか、支援者は一日中利用者さんとかかわっているわけではなく、記録や書類などの仕事が多くて大変でした。

今思えば無茶なこともしましたね(笑)

いわゆる介護保険が使える有料老人ホームだったんですが、特養ほど施設施設していないし、利用者さん1人1人の尊厳を守るために入所じゃなくて入居だって言われていたような場所でした。

「施設から出て買い物に行きたいんだ」という軽度認知症のある利用者さんがいて、しっかりしている時と少し癇癪が出るときがある方だったけど、何度も訴えられるので、一回行かなきゃ気がすまないんじゃないかなって思って一緒に外に出ました。

といっても、僕は後ろからそっとついていく感じで。町から気持ち離れたところに施設があったけど、その利用者さんは、時刻表を見てバスに乗ってお金も払って降りて、ウインドーショッピングして、買い物して3時間くらいで帰ってきました。

別にいけるじゃん、出たらいいんじゃないの?と思いました。急に居なくなって、脱走補助したみたいな感じですごい叱られましたけど(笑)怒られてばっかりでしたね。

でも、2年目くらいから管理者をすることになって、利用者さんが入らないと飯を食っていけない仕組みを学んで、その中でもサービスの自由度を上げていきたいと思いました。人員配置の濃淡をつけたら、やりたいことができるんじゃないか、ということを探り探りやってましたね。

その法人には3年いたんですが、すごいブラックで、3年やるとさすがにバランスを崩して辞めました。一度違う仕事をしてみて、また福祉の仕事がしたいか考えようと思って2年間営業の仕事をしていました。

福祉に戻るときも、高齢者介護しかやったことなかったので、知り合いに相談して入ったのが介護系の株式会社です。

通所型の事業がメインの会社で、1年目は現場に居ましたがその後はずっと管理者、マネジメントをしていました。

1年ごとに異動しながら、サービスの質と人材育成をしてくれと言われて、施設立て直しのために、どうやったら集客ができるのか?とか人を育てていくにはどうしたらいいのかを考えさせられました。

会社の理念があって、どうやってそれをサービスに反映させていくのか、価値になる部分の作り方もそこで考えさせられたのかなと思います。

経営的な感覚やマネジメントのことを、勉強会や課題図書など自分なりに勉強し始めました。

福祉的な経営を勉強した

営業してた時に福祉じゃないとできないなって思ったのが、自分がすごく納得していないものも販売してお客さんに買ってもらうっていうのが満足感がなかったっていうのがあるんですね。

集客にしても、営業して利用者さん一人でも紹介してくださいって得た集客って嫌だと思ったので、とにかく利用者さんと仲良くなって一番利用者さんに好感も感じてもらえて、関係性を作って、それがケアマネージャーさんに伝わって、紹介してもらうのが一番自分の中でしっくりくると思っていました。

何か新しい事業を始めた時に、目的やコンセプト、こんな人を受け入れられますっていうのをお知らせするのはいいけど、それ以外の営業活動はするのは辞めようと思って今もそれは徹底しています。

そこから同じ法人内で異動して、始めて障害分野(就労継続支援A型・就労継続支援B型)に入りました。

そのB型が、法人内でよく事例のあった脳卒中を経験した方の社会参加の入口として法人が立ち上げたはずのB型だったんですが、利用者が少なく、しかも法人内から利用に繋がった方もいなかったんです。

一般の障害を持つ方の受け入れはもちろんするけど、そもそものコンセプトだった脳卒中の方の受け入れを進めるために内部に声をかけて受け入れを増やして行きました。

大きな組織になると、同じ組織でも他のところが何をやっているか見えづらくなるんですよね。僕はすごく異動して顔を知っている人が多かったので、法人内に改めてB型の周知をして、必要そうな人がいたら会いに行って繋いで、というのをやっていました。

ただ、人が人を支援するという場なんだけど、管理側にいると社内政治とか派閥的な話も出てきて、そこにエネルギーを費やすのは嫌だなと思って転職を考えた時に、いくつか紹介してもらった中で一番経営が下手そうな法人に入りました(笑)

後編ではいよいよ佐藤さんのアクションがはじまります・・!

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