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「庭」稽古日誌全集

ぷろじぇくと⭐︎ぷらねっと 詩人と役者の朗読劇「庭」2024
アリス役そにっくなーす(稽古場でのコードネームは「そにス」)が個人的な趣味で書いていたX(旧Twitter)の稽古日誌の全記録です。
時が経つとポストはどっかに消えてしまうのと、わたしが自分の文章に対して異常にナルシストなので読み返したいためにここに転載します。


8/23
いろんなわたしになりたい。いろんなわたしでありたい。おもしろい。ばかでくだらない。若者が失敗しやすいように誰よりも華麗に失敗をして誰よりも誠実にケアする。いろんなわたしになりたい。すぐにちからをためしたくなる。いつもおなかがすいている。汗だくの生え際。終バスに体育座り。

8/24
昼間の稽古と夜の稽古やっぱり少し違って感じる。昼は元気があり、夜は感情がねっとりしている。人の声を聞くとシャキッとする。どんどんこどもにかえってゆく。知らない虫、知らない生き物、知らない味、知らない風、知らない文化、知らない心、穏やかなきみの声がとてもすきだ、試行錯誤。

8/25
テンションが無限に上がる可能性を見出されてしまう午後、はしゃぐことを覚えたのは24歳を超えてからの遅咲きのキッズわたし。ここなら思いっきり無責任にはしゃいでも騒いでもいいのがこわごわ嬉しい。可愛い女の子は同じ空間にいるとついついチラチラみてしまう、シャイなのでまだ喋れぬ

8/26
あの子が/身体に入っている/だんだん解像度を上げて/あの子が/いつからいた?/産んだのは誰だろう/あの子が/私の仕事中の声の表情までも変え/わくわくして/私に陽のエネルギーを注ぐ/自らの傷から血を飲むように/それは栄養ではないかもしれないのに/豊かになるみずべ/きみは触媒?「化学みたい!」

9/4
①あの子は素直だ。能力のある子は褒められたいのだと思っていた。褒められたら嬉しいから大人の反応を見ていると思っていた。でもあの子はそうではなかった。あの子はわたしの幼少期にはいない子。好奇心のみに突き動かされている。相対評価なんて、見えてない

②近づこうと思えば思うほどあの子は遠ざかる、わたしとあの子はちがう、食事をとる理由も、世界への想いも。ひらひらと躱すあの子をウサギのように追いかける。子どもの足ではそう遠くまで行くまい?とんでもない、あの子はどこまでも行ける子だ

9/28
①キミの笑顔にみんながムチュウ❤️そうあれたら良いなあと思う。わたしのなかのあの子のイメージが、さまざまな対話を重ねることで固まってゆく。プレッシャーに負けちゃうと子供は隠れてしまう。この枯れ果てた大地でひらけ。ことばがとめどなく心を潤すまで。

②hisuiちゃんと一緒にななチキたべたから喉の調子良かったな

10/1
一緒に音楽をやるということは性的接触以上に肌と肌と重ね合わせるものである、20代の頃の私はこれを持論としていた。演劇のかたちも感情的で情緒的で深くて、傷に触れたり触れられたりすることがある。思ったことをそのまま言葉にしてみても受け入れてもらえる。dialogueを感じる

10/2
ひらく動作がおこなわれなければ、締める動作は起こり得ない。一旦ひらかされたものを締めるのは大変、でも役を演じるとき、感情表現において「締める」が求められるんだって。わたしまだ実は多分開けっぱなし。ここからもっと素敵になるために、ちゃんと締めてゆく

10/4
わたし、こんな顔でわらうこともできるんだ、おそるおそる指を這わせるとまだ空間が先にのびている。飛び込むことが怖くなくなった。庭が見える、鬱蒼と繁る緑。きっとトンボとか飛んでるかもしれない。ローズチームはとても仲良しで嬉しい。

10/6
因果を意識する時間。「やってみて」で、ポロっと出てしまう本来の私、私の一部、恥ずかしいくらいに漏れ出る感情がそこに埋もれていたとは!集まって声が響いて少し涙が出そうになった。稽古中何度か鳥肌が立つ。塚川さんはぬいぐるみと仲良しで信頼しあっている感じが良かった  

10/11
私とアリスはふたりきりだった。アリスは自分の好きな方向にかろやかに逃げ、わたしは目隠しをされた鬼のようにその影を追った。いまはふたりきりではない。もう怯えなくていい。たからものができたの。私こんなのずっと夢見てたの。食べ頃になるのはまだ少し先だけれど

10/13
中身を読まないで言葉だけ追ってると気づかれる。相手との関係性をどう認識しているかも簡単に気づかれる。演出家・日疋士郎さんの感受性というのかアンテナの力、すごいなぁと思う。パワーの出し方はわかった。あとはメリハリ。緻密になりたい。一挙手一投足も無駄なく

10/16
作品中の登場人物に関する性格や気持ちの考察をするのが好き。でもこれリアルの対人でやると独りよがりのお人形遊びになってしまう。気持ちを考えすぎて、相手が不在になる。自分が演じる「誰か」の中に入って考える時、私はどこにいるんだろう。どこから何を見てるんだろう

10/17
私にはまだ想像力が残っていたのか!と驚く。イメージを膨らませながら、台本に隠された問いに自分らなりの答えを出していく。「答えはきっとひとつじゃない」、それは輝かしい福音か、ボロボロの重たい十字架か。マリオカートよりこっちの方が刺激的!? 稽古日誌 (自主練編)

10/19
愛は能動。受け身じゃだめだなぁ

10/21
過ぎ去ったこととか離れていった人や物に思いを馳せる時間は私にはない。私は私の唯一無二をやっていくしかない。しかもそれが求められていて輝いているので、わたしを嫌う人には用はありません。泣き喚いても一緒にいてくれる仲間がいる。稽古場では自分で居られる。

10/24
シャワー入ったぞ褒めてくれ。今日は稽古場でアリス役メイク褒められまくって照れてしまった、なぜ稽古場を出ると溶けたアイスクリームになってしまうんだろう、寂しくて怖くて溶けたアイスクリーム。寂しくてひとりだと、日疋士郎さんの「発作」が口をついて出る。

10/25
役に成り、演じることでしか得られない「境地」みたいなものがあるみたいだ。しかもそれは役者ひとりひとりが悩みながらちみちみと編んでいくべき課題に取り組んで結果表現の深みとして得られるみたいだ。苦しんだのは私だけではないし、苦しんだのは間違いじゃなかった。

10/26
本番です!
泣きそうになりながら「恋のマイアヒ」聴いてなんとかアゲてる

10/27深夜
さっきおうちかえってきて歯を磨いた、なんか明日も明後日もこんな感じで毎日続くような気がしていた、だから笑っていられたのかな、きゃのんちゃんがハナとして「友達がいた」と口にする時、なんか泣いてしまう。皆んな庭に行ってしまったんだなあ

10/28
活力を失った大地にもう一度息をさせる秘密のひとつ、核となりそうなやつ、わかっちゃったかもしんない
温度だよ
さわろうとする、知ろうとする誰かがいることだよ。その関心の眼と、その手の温度だよ
(考察;個人の感想です)

以上です。
楽しかったねー!

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