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ごく抹茶、そして不知火①
すごく久しぶりになってしまったけれど、新作が販売開始になったのでそのケーキについて書いておく。
おそらくここ1年半〜2年くらい、季節の新商品の開発は全部雅貴と正昂に任せて、自分はイベント商品や以前出した商品の微調整くらいしかしてこなかった。
仕事の中でも特に楽しい部分でもあるから、スタッフの人数が増えたら作業はみんなに任せて、自分はひたすら商品開発、というやり方もアリだとは思う。
うちのお店でも以前は、ほぼ100%自分で創作して、ごくたまに雅貴のアイディアも商品にする、くらいの感じだった。
でも、商品開発は時間を空けて1回2回やらせただけでははっきり言って得るものは少ない。
あまり間隔を空けずに次から次と頭を使って神経を尖らせて、必死に季節を追って取り組んで初めて身についていくものだと思う。
うちのお店は本当にありがたいことに、どのスタッフも将来有望なパティシエたちばかりなので、個性のない労働力としてただ作業を充てがっておくというのは自分の意に反する部分が大きい。
どれだけ目をかけて彼ら彼女らに尽くしても、いずれは自分のタイミングで出て行ってしまうんだから、あんまり親身になりすぎない方がいいよ、とは何度かいろんな方に言われてきた。
もちろん、それもわかる。
わかってはいるんだけど、テクニカルな経営のノウハウや、精神安定のための保険の話しはもうあまり興味がなくて、一つの生き方としてやれるとこまで自分のやりたいようにやってみてる、今はそんな感じだ。
ただ、しばらく任せていたからと言って、全然自分では考えてこなかったかというと、当然そんなことはない。
次はこういうのが食べたいな、次の季節はこういうのがあったらラインナップの彩りがいいな、そういうことは常に考えている。
考えていて、一緒に仕事をしながら雅貴や正昂にそういう話しをしていると、彼らなりの解釈で懸命にアウトプットしてきてくれるのだ。
出してくれたアイディアをそのまま商品として出すことはほとんどなく、雅貴でいえば1割くらい、正昂のは3割くらい修正して、よりその時のお店の文脈に生きるように仕立ててからショーケースに並べている。
「美味しい」は大前提として、今の自分はこの「お店の文脈」というところにかなり意識を傾けている。
おかげ様で12年目に突入したお店だが、これまで本当にたくさんの商品を創作してきた。
個人的な感覚としては、納得してるヒット作3%、なんとか定番として好評いただいている17%、残り80%の駄作。
だが、駄作とは言いつつも、もちろんどれも思い入れはある。
自分自身の技術もセンスも味覚も稚拙だったゆえに、完成度がイマイチという点で納得がいっていないだけだ。
そして、それらの数多くの不満足をたくさん経験してきたからこそ、今やっと「自分が今作るべき商品」というのが語れるようになってきた、とも言えるので、無駄なことなどなかったと思っている。
また、季節に丁寧に合わせていくことにも、ここ数年で意識が強く変わった。
それは菓子店として当然の部分ではありつつも、個人的にはフローリストの山田さんとのコミュニケーション、そこから派生した「シキオリノニハ」の存在も大きい。
菓子屋は、特に洋菓子は通年で安定供給されている材料が多く、イベントごとがないと季節商品を頻繁に出さないお店でもそれなりにやっていけたりする。
だが、花屋はそうはいかない。
常にその時季の生命と向き合い、その命の彩りを、また時には枯れゆく様を切り取り、我々の心に様々なシーンを与えてくれる。
日々移りゆく季節を当たり前に受け流すのではなく、自分の培った感覚で形に表し、いろんな人のシーンを彩っていく。
九二四四という洋菓子店が出すべき商品か?
今出すべき商品か?
多くの創作者が存在する中で、この店が提供すべきものであること、そして季節が変わりゆく様に意識を合わせること、そういった流れとして追って見ていく。
今の自分の商品開発はそんな感じだ。
他のお店が出しそうにもない、うちのお店だからこそ出てきた商品。
今の季節にしかない、ここのお店にしかない、その文脈を大事にしている。
だから、自分のアウトプットはそんなに頻繁には出せない。
なんかちょっとカッコつけた感じにはなったが、今回はこのケーキの開発にどういう意識で取り組んだかをざっくりと書いた。
次は完成に至るまでの組み立てのプロセスを書いておきたい。