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結果

売上や利益などの数字をしっかり計画的に生み出す、という経営の基本作業が不得手なので、経営者という立場が自分には重い。

数年前まで、正直やっててシンドいと思うことばかりで、精神的にいっぱいいっぱいの状態が長いこと続いてた。

自分の小さい器からいろんなものが溢れてしまうのを恐れて、何かに怯えながら、日々更新されていく様々な結果の数字に気を取られていた。

どこかで流れを変えたかった。

自分自身を変えるきっかけが欲しかった。

それで俺は、今から約4年前に、突然訪れた心臓の手術という機会を、自分が待ち望んでいた変身の転機にしたいと思うようになった。

それまでやっていたように、どれだけ忙しくても最後は自分が徹夜でもしてなんとかこなせばいいや、という体当たりスタイルの仕事の仕方が、現実として体が言うことをきかず無理になってしまったので、確かにやむに止まれず方向転換したという側面もあったにせよ、自分としては高校デビューとか大学デビューのような心機一転の感覚を期待していた。

その転機を経て、実際に一番最初に何をしたか。

それは、スタッフ優先という考え方の経営への方針転換だった。

賛否両論いろいろあると思う。

いろいろあっていいと思う。

だって、正解なんてそれぞれの組織の数だけあるのだから。

一つだけ断っておきたいのは、他社や他の組織と比べてうちの店が格段にスタッフの意向を優先している、という話しではない。

あくまで自分の中での意識改革の命題として、ということだ。


うちのお店は開業して10年半以上が経った。

あと1ヶ月で丸11年になる。

そのうちの最初の約7年間は、本当に酷かった。

労働環境も待遇も、今の一般的な基準からは到底考えられないような内容でみんなに働いてもらっていた。

そうなってしまっていた理由は2つあって、1つは自分が勤めていた頃の感覚をまるで常識かのように捉えてしまって、同じようにみんなにも強いてしまっていたこと、そしてもう1つは、とにかく採算が合っていなくて、リアルにお金がなくて改善できる余裕がなかったこと。

どちらもただの言い訳と言われればそれまでだ。

開き直るつもりではないのだけど、その頃の当事者だったスタッフたちが今ほとんどいないからと言って、決してそれらの事実が無かったことにはしない、ということが言いたいのだ。

今の自分というのは、その頃の自分も含めての自分であるから、恥ずかしいし情けないと思うけど、それも全部受け入れなければ堂々と前に進むことはできない。

それは自覚している。

当時、どんどん新しい仕事が入ってきてお店の認知が高まっていってた頃に、ちゃんと並行して内部の環境整備や待遇向上を施していれば、もしかしたらあの頃の優秀だった人材の流出はもう少し防げたのかもしれない。

今でも時折そんなことを思ったりしてる。

今いるメンバーは、年齢も性別も様々だけど、みんな本当に頼もしい。

俺が彼ら彼女らと同じくらいの歳の頃には、こんな仕事はできていなかったから。

今、毎日のように彼らと共にお店を回している中で、時々ふと考えてしまうことがある。

ここに早希がいたらなぁ。

アッコさんがいたらなぁ。

たまに千秋が手伝いに来て、秀樹もいたらどんな感じだったかなぁ。

その上で販売に鵜沼ちゃんがいたら確実にもう1店舗やってただろうな。

古瀬の能力を活かせなかったなぁ。

このお店にとって、欠かすことのできない大きな1ページを刻んでくれたメンバーたちのことを思い出す。

今のこの環境であの子がいたら…。

だけど、それは違うっていうのは自分でも分かってる。

彼ら彼女らを失って初めて気がついたことがたくさんあって、それを払拭したくて自分を変えようとした、っていう流れだったわけだから。

もし彼ら彼女らが辞めずにずっと居てくれてたら、俺は自分の間違いに全く気づきもせず、変わろうとも成長しようともしなかったかもしれない。

もしくは、人としての中身の成長ではなく、数字上の成長ばかりを求めて、無闇に規模を拡大したりしていたかもしれない。

当時実際にそんな展開をしていたら、今頃間違いなく悲惨な目に遭っていただろう。


スタッフ優先の経営方針、と言ったが、これは単に労働環境の改善を図るだけのものではない。

「1人1人の成長がお店の成長に繋がる」を体現させるために、まずは環境がその妨げにならないように、前提として誰からも文句の出ないところまでは最低限ちゃんと整備する、というものだ。

経営者の俺が、ひたすらスタッフに辞めてほしくないから気を遣って金も使って甘やかしてる、というものでは決してない。

環境を整えるからこそ、個々が持っているその能力を就労時間内にいかに最大限発揮して、より短期間でどれだけ職人として、そして社会人として成長を遂げられるか。

一人一人が少しずつでも確実に成長していけば、間違いなくお店も洗練されて成長していくはずたから、と常々話していて、それを言葉だけでなく成果に繋げるために今も語り続けているし、自分も一緒に成長していこうと取り組んでいる。

だけど、俺の言っている成長はあくまで人間性の成長であって、数字や事業規模の成長のことではないから、みんなに対してもっと売上を意識してくれとか、売れるためにどうすればいいか考えてほしいなどとは、今のメンバーにはこれまで一度も言ったことはない。

上から言われてノルマ化してしまった昨対目標や達成率ほど、仕事をつまらなくしてしまうものはないと思っているからだ。

最初のうちは目標の水準として数字の把握は必要だけど、大抵の組織はいつの間にかその増減に対する抵抗と一喜一憂が仕事だと思い込んでしまう。

全く見るべきではないとはさすがに思わないが、「あくまで目安」くらいに留めておいた方がいい。

売れた、という結果の実感は大切だが、もっと大切なのは「やりきった!」という充実感の後に出た結果が最高のものだった、という形を目指すことだと思っている。

単なる理想だと言われるかもしれないが、俺にはこれがすごく重要なのだ。

スタッフたちには、よくフィギアスケートのトップ選手たちのコメントを取り上げて話している。

フィギアスケートはスポーツであるけれど、全員が同じ内容の演技を行なってそれぞれの技術の正確性や芸術性を競うというものではないところが、実は菓子屋と似ているところだと思っている。

同じ曲で、決められたジャンプ・ステップ、同じ振り付けで同じ衣装を身につけた状態で点数を競うのであれば、全く違う感じの競技になっていただろう。

スケート選手たちは、大会までにまず自分オリジナルのプログラムを考え、それを完全に成功させるためにフィジカルとスキルを鍛え、より良く評価されるための工夫と努力を振り付けに入念に組み込み、衣装や音楽にもこだわって完成を目指す。

どこのケーキ屋に言ってもフルーツを使ったショートケーキがあって、モンブランがあってシュークリームがあって、マドレーヌがあって…というのが一般的だが、例えばどのお店も絶対にこのレシピでこの材料でこの大きさでこの形でこの値段で、と全てが同一に決められていて、その中でどこが一番売れるか、なんていう競争だったとしたら、差別化なんて激安か超絶な利便性か、もしくは笑っちゃうくらい過剰な接客応対くらいしか思い浮かばない。

そうではなくて、自分オリジナルの味や見た目や名前や値段などのプログラムを考え、それを形にして販売(試合)という表現を行い、「買っていただいた」「食べていただいた」が評価(採点)であり、残った報酬(順位)が結果だ。

また、フィギアスケートのオリジナルのプログラムは、全てがノーミスでパーフェクトに演技できた場合の得られる点数がほぼわかっている、という点で、小規模の菓子屋の商売に通じる部分があると感じている。

お店の立地、製造工場のキャパ、人員、競合の影響など、様々なことを総合して、ある程度の年数を本気でやってきたお店には、そのタイミングでのプログラムの最高得点(得られる売上の上限)はだいたい分かっている。

それは、決して悲観などすべきものではなく、もっと商売の規模を広げたいと考えるのであれば迷わずさらに店舗を増やしたり、大きな製造工場を構えるなりすればよいのであって、俺にとって肝心なのは、どの規模であれ、現時点で自分が組み立てたプログラムに関して、常にどれくらいの完成度で結果を出せているか、という点なのだ。

突き詰めて本気で練習に練習を重ねてきたトップ選手たちは、最終的に「順位」という決着を見なければならないが、試合に挑んでいる最中はとにかくそのプログラムに対していかにノーミスで、パーフェクトな演技ができるかに集中している。

いわば自分との戦いであり、得点や順位は、必死でやった「後からついてきた結果」なのだ。

フィギアスケートに限らずだが、様々な競技のトップアスリートたちのインタビューから「あとはここまでやってきたことをしっかり出し切るだけです」というニュアンスの言葉をよく聞く。

いかに周りの競合を気にせず、自分の演技やプレイに集中して、積み重ねてきた練習の成果を出し切れるか。

菓子屋もかくあるべきだと思っている。

背伸びすることも、逆に怠惰になることもなく、自分のできることをしっかり表現していく。

新しいことに積極的にチャレンジして、やれることを増やしていって、より自分がやってみたい、そしてお客様に喜んでもらえるプログラムに取り組めるように努力する。

例え負けた(思い通りの結果にならなかった)としても、「順位はちょっと残念でしたけど、とりあえず今回クリアしたかった課題はできたので、また次に繋がると思います」で終われれば、未来はまだまだ明るい。

周りとの戦いではあるのだけど、突き詰めた先にあるのは徹底的な自分との戦いだ。

次第に体力は衰え、全盛期のような勢いで作業をこなせない場面も増えてくる。

それでも、自己の人間性を鍛えることに必死で向き合って戦ってきた人には、それを経験してきたからこそ、次の世代に伝えられるものがある。

一線で活躍してきた人が華麗に指導者に転身できるかどうかは、技術やセンスも大事だが、それ以上に苦境を乗り切る思考力と人間性だというのは、様々な世界で自明なことだと思う。

「仕事」に合理的な考えと工夫が必要なのは当然だ。

だけど、それを至上命題とする生き方はするべきではない。

「仕事」には結果が求められる宿命がある。

でも、仕事も含めた、人の「生き方」は、決して結果だけを追い求めるべきものではない。

仕事で人間性を磨きながらも、仕事でいい結果を出すことの奴隷になってはいけない。

俺は菓子屋しか知らないから、こういう言い方になってしまうけど、これからの菓子屋に必要なのは、求める「結果」のベクトルを変えていくことだと思う。

あくまで持論だが、結果で示してみたい。

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