ここ。

ここにいます。いつもここにいます。ここにいる日々を綴ります。

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最近の記事

感覚の言語化について。

できる。できてしまうけれど説明できない。 そんなことが、ある。 長嶋茂雄状態。(今時の子知ってる?) きっと誰しもある。 得意なことほど、感覚でやるから伝えにくい。 言語化するとこぼれ落ちるほどの感覚を本当は、使っている。 伝えられないことは伝える必要が無いのだと思う。 伝えたところできっと、相手はできない。 事細かにバッティング方法を聞いても長嶋茂雄には皆、なれないだろう。 だからいいんだと思う。 言語化礼賛しなくても。感覚をそのまま、信じたい。

    • 言葉足らず論

      言葉足らずであるとよく言われるし自覚はある。 しかしそれを意識するあまり、過剰な説明になっている自覚もある。それは時に親切とも言われるが、果たしてそうだろうか?と思ってしまう。 何が本当の親切なのかは、ケースバイケースである。 あからさまな親切だけが親切では無い。 そんなことを考えるにつけ、言葉足らずも悪くはないのではないかと思い、トライするとやはり伝わらなかったりする。 コミュニケーションは相手ありきだ。これが少人数の場合はわかりいいが、ブログなどのように不特定多数の

      • 日記の練習

        note再開の大きなきっかけになった本がこちら。 前書き部分の筆者の意見に激しく同意。 日記とは続けるものでは無い、そして覚えていること(どこに行った誰と何した等)は書かなくて良い。覚えていられないような、忘れてしまいそうなこと程書く。 そのような日記を、たくさん書きたいし読みたい。 それは今ここにわたしがあなたが、確かに存在した証。そういうものが、わたしは読みたい。 わたしの残したい欲に火をつけまさに日記を再開させてくれた。日記の練習、ハードにやろう。

        • 早朝ゆで卵

          早朝からゆで卵を作っています。 何故。理由は知らぬ。食べたいから。それだけ。 食べたくて起きたから、否、眠れなくて食べたいから。 物事を正確に説明するのは難しい。 上手く半熟にできたとか冷却用氷水作成のため冷凍庫の氷スペースからごっそり氷を拝借したとか、その様なことはわたしにとってはどうでも良く。 早朝にゆで卵が食べたくなり作った。実に数年ぶりに。という事実があるのみです。 そこに面白みを感じ、書きたくなる。 そうか書くことは、自分の価値基準の発見行為なのですね。 再

          突然の再開

          あけましておめでとうございます以来の。 忘れていたわけではございません。 常にここの存在は、頭の片隅にありました。 片隅で燻っているくらいなら、 いっその事すべて忘れた方が効率的気分の良さを味わえただろうに。 そんなこんなで今、ゆで卵を作りながら。 こういう時間こそ、noteに充てるに相応しいと、心底思うのです。 またしばし、気まぐれにお付き合い下さい。

          突然の再開

          あけましておめでとうございます。

          月内に言ったのでセーフでしょう。 去年の初詣は大晦日に行いました。今年の、ではなくて。 おめでとうは憚られません。いかなる理由があってもね。誕生日だって、なんだって。 ほかの事情が重なることに、あなたは罪悪感を覚えなくていい。 伝えていきたいことのひとつです。

          あけましておめでとうございます。

          インストゥルメンタルの味わい

          だったん人の踊りを聴いています。定期的に聴きたくなる曲です。 POPSも好きですが、インストゥルメンタルが、しっくり来ることのほうが多い、かもしれない。 歌が入るとどうしてもボーカルに、フォーカスしてしまいますが、演奏だけだとだとそれぞれが、平等に主張するような。一部にも、全体にも、思いを馳せられることに豊かさを感じます。音楽味わうことの喜びを、より感じられるのは、私にとっては、インストゥルメンタルです。

          インストゥルメンタルの味わい

          ここにいることが物語になる

          ここが、ベッドであれお風呂であれ。 ここが、日本であれアマゾンであれ。 ここが、瓶の中であれ外であれ。 ここが、ここである限り。

          ここにいることが物語になる

          アドベントカレンダー

          差し迫った感じが好きです。 確実に開いていくのが好きです。 時は、進む。 否応なしに、感じる。 流れはいつも、一方向で。 立ち止まることさえできない。 そんな、人生の、縮図を このひとつの、アドベントカレンダーで。

          アドベントカレンダー

          AIになりたい

          大量のデータをまとめて処理するのが好きです。 大量の領収書、大量のメール、大量の文字情報。 どう分類し、どう仕分けていくか。 どんな風に傾向を読み取り、分析するか。 腕が鳴る。目が輝きワクワクが止まらない。 AIになりたい。あんなに大量のデータを、次から次へと提供されるなんて! 一生、退屈さとは無縁。羨ましいにも程が有る。 AIに劣等感は抱いていませんが、ああいう人生を送りたいものだなと今、改めて。

          AIになりたい

          付け足し

          付け足しを、やめるほど、 研ぎ澄まされていく。 語尾に余計なものを付けない。 関係各所に配慮しない。 説明は最低限に。 媚びも愛想も必要ない。 ただ自分の表現に、拘り抜く。 心地良い。 気持ち良い。 至福。 これぞ、 やりたかったこと。 合掌。

          動的瞑想

          いわゆる瞑想は、昔から苦手です。 雑念が止まらなく、止まらないことが悪とも思っていないのですが、いつも途中でいてもたっても居られなくなり、気づけば何かをしています。(瞑想中止) しかし瞑想は、心を無にするために行うもの。 歩く、料理、書く、聴く、単純作業などでも同様の状態になれるという、動的瞑想の概念を知ってからは楽になりました。 エクセルで単純なコピペ作業の連続をしたり、ひたすらみじん切りをしたりするとき、確かに無の状態になれました。 中でも文字を書くことは、私にとっていち

          現在進行形で書くなう。

          現在進行形で書くのが得意、というかそれしか出来ないのではなかろうかと、思い至りました。 なになになう。なになにと思ったなう。 私が小さい頃から書いてきたのはずっとこれで。 考えをまとめたり、日記として1日分を均等に凝縮して書くのは苦手なのではないかと。盲点でした。 読書感想文をリアルタイムで書くのが得意でした。その時その場で思ったことをざっと書く。それで大抵賞が取れました。私の書くスタイル。 書く時あるのは、今だけです。過去の回想にしても、そう思ったと今思ってるなう。そこ

          現在進行形で書くなう。

          note感想コーナー

          noteの皆さんの記事を読んで思うこと。 めちゃくちゃ社交的だな。 それは、ひとつの側面、一定の層。 もちろん、めちゃくちゃ独りよがりだな(悪くない意味で)な、人もいる。主に詩人。 両者は交わらないのだろうか、それとも、リアル世界では混在しているのだろうか。 私はどちらの側面も持ち、しかしここでは圧倒的後者である。そう意図したアカウント…そうか、皆アカウントごとにさては、社交度を使い分けている? 社交度大のアカウントのストレスを社交度0アカで発散し、社交度0アカの刺激レス退

          note感想コーナー

          テレビなんてないさ

          テレビを見なくなって早数年。 不便は特に感じません。あ、テレビは普通にあるのですが。 知っていなければならない、と強迫観念的に思う人の多いことよ。知らなければ大変なことになる、知らなければ損をする。本当でしょうか。思い込みに過ぎないのでは。 必要な情報は入ってきます。どんなルートを使っても。そこに100%の信頼があるので、テレビを見ないのも恐れずにすんでいます。 見たければ見ればいい、見たくなければ見なければいい、それだけのことです。すべてがそうだから、わざわざ書く必要さえな

          テレビなんてないさ

          日記、手帳に書くことについて

          事実の羅列にはあまり興味がありません。 行動記録より、心情記録をしておきたい。色々な手帳術やらノート術やら知的生産術やら試した結果、興味がそこに、凝縮しました。小さい頃から変わっていない、数少ない趣味というか。 今を忘れたくない、いつもその思いで書いています。行動記録は思い出すよすがでしかなく、ダイレクトな記録には敵わない。 記録、手帳に求めるものは人それぞれですね。各自納得のいく項目を、好きなスタイルでしていけば良いと思います。

          日記、手帳に書くことについて