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見本にならない匿名の大切さ

片付けのコーチングエッセイをリリースしたいと思った時、
一番のブレーキになったのは、

「私自身は、特にお手本となれるような家庭環境ではないし、
 家も、特段、飛び抜けて自慢できるようなインテリアではない」

ということでした。


私は、誰かの言葉を借りれば

「時代にそぐわないような、苦労をしてきた人」
「しかも、それに気づいていない」らしく、

そんな幼少期を過ごしてきたため、
どこかいつも居場所を求めており、

表現方法が難しいのですが、

どうしても、「自分を安全に置いておける場所」が必要であり、
しかもそれが、私の場合、「家」「家族」ではありませんでした。


そのため、人生を送る上で、生活する上での基本中の基本である土台、

「家」について、
「家庭」について、
「家族」について、

逃れられず、これでもか!と、格闘してきたため、

タイトルは違えど、家に関しての記事、エッセイは、
数年前から構想と内容を何度も練って書き溜めてきました。


元々、本業は、片付けとは関係ない、企画職。

小さな個人事務所に勤務していました。

流産を機に退職、
第2子を妊娠・出産するまでの間は、
小さなショップを開いて一人で運営していたのですが、


デザイン、仕入れ、製作、撮影、画像編集、
商品詳細のライティング、Webサイト登録、在庫管理、

受注メール、問い合わせメール対応、入金確認、
入金催促、梱包、発送業務、

メルマガ発行、毎月の新作のデザインアイデア出し、製作、
テーマ決め、バナー撮影とグラフィックデザイン、

クリスマスの月は、新作リリースではなく、年に一度の個展。
案内DMデザインの制作と入稿と送付、
個展の搬出搬入、ディスプレイ、接客、ワークショップ開催、

集客用ブログ更新(週二回)、美術館へのリサーチ、
撮影用小物の収集、お客様との連絡(随時)。

(意外とブログが人気で、
 書くことを生業にしたいなと思うきっかけでもありました)

ご縁のあった素敵なお客様からの、
ヘアアクセサリーなどの特別オーダーやリメイクなどの
ご依頼をいただき(修理が得意で喜ばれました)、

時には、メニューにはない結婚指輪の特別デザインオーダーをいただき、慌てふためきながらデザインさせていただき、

また時には、本の取材を受けるなど、

本当に全てを一人で対応、切り盛りしていました。


今考えれば、本当にたくさんの素敵なご縁をいただき、
たくさんの素敵なお客様の特別オーダーによって、
大きく成長させていただいたのですが、

(お名前出したら怒られるかな…)

一人で回すのは限界がある、ということと、

そこそこ売り上げがありましたが、
念願の海外への石の買い付けに行けるほどの売り上げまではなく、

(アメリカ合衆国アリゾナ州のツーソンと
 インドのジャイプールは石の聖地です)

また、注文が来れば来るほど、
制作と発送とで苦しくなるという経験があったため、

商品はジュエリーから
読み物(エッセイ、コンテンツ)に変わるものの、

しっかりと1から、
ビジネス、売り方を学ぼうと、

子供が幼児の頃は、図書館で絵本と一緒に、
ビジネス書や心理本、料理本、憧れの方のスタイルブックを読み漁り、

子供が小学生に上がったのと同時に、
予算と時間が許す限り、
いろいろなビジネス講座やセミナーを受けました。


本には載っていない、
言語での説明が難しい実践の売り方、ビジネスの成功方法がわからず、
受講したはずだったのですが、

なぜか、

「誰が、書いているか」
「誰が、売るか」

を重要視する風潮が強く、

「自分」を高めないと商品が売れない。

だからまず、成功しよう。

「自分みたいに成功した〇〇が、売れる」
「自分は〇〇で、成功しました」

というキャッチコピーのテンプレートとともに、
教えられるがまま、受講生同士が

「何者か」
「成功者」

になろうともがいて、

売り上げ金額を競い、
集客を競い、

サムネで煽り、
いいねで競い、

仲間だけど、わかりやすくマウントを取り合い、

SNSではキラキラしていても、
実際に会うと、ちょっと違う人のようで、

「本当にこれが『売り方』で、
 『ビジネス』なのかな?」

と、心の奥底でずっと疑問に思っていました。


「情報を提供するけれど、
 これで成功した人はいることは伝えるけれど、
 
 情報の中に、成功した方法やテンプレートを含むけれど、
 成果を約束しない(自分でやるもの)」


「伝えた成功者は、
 販売した内容以外にもたくさん学んでおり、

 便宜上、簡単なようにわかりやすく説明したけれど、
 実際は、手法を駆使しているが、
 その件については、個人に委ねている」



ショップオーナー時代、
どうかすると商品よりもブログが好評だったがために、

ブログのための休日を企画することが多くなり、
その経験から、

撮影主体で日常を送るのも、
映えるようなインテリアの中で日常を送るのも、

私にとってはNOでした。

ですが、
ビジネス相談をしても、

例えば、カリスマ?(マーサスチュワートとか??)
のような存在でなければ、

家事に関する記事は夥しいほどあるから、やめた方がいいなど、
(レッドオーシャン、つまり競合相手が多すぎる)


本の帯に書けるような、
インスタのフォロワーやフェイスブックの仲間?が○万以上じゃないと、

というより、やんわり、無理だし、やめておいた方がいいという忠告もたくさん受けました。

もちろん、私自身、そんなフォロワーを得られるほどの身分では、
ありませんので、

本当に何年もリリースすることなく、
威厳のある心を重くする助言を振り切るように、
現場現場で、知識と経験を積み重ねてきました。


ある時、現場数と経験値が
マーケターの格言の重みを超えた瞬間を迎え、

ビジネス的に、どんなに「正解」「成功方法」と言われようとも、
フォロワーを増やすのが私の最終目的ではないし、
ハリボテのカリスマになんてなれない(ならない)し、

どんなに、レッドオーシャン(市場が飽和状態)でも、
書きたい、届けたい気持ちがあるなら、大切に届けたい。

そう思えるようになりました。


どんな有名なマーケターや、
どんな高価な再現性のあるビジネスの常識を言われようとも、

私の目の前にいるお客様の悩みと幸せとは関係がない。

そのことに、気付いたことも大きかったです。

有名さが、誰かのアイデアを潰す権利なんてどこにもない。

そう、思うようにもなりました。



そもそも、自分が完璧ではないのに、

「ほら、完璧よ!完璧なキッチンに、収納に完璧な家!」

とアピールするのは、自分を偽ることに他ならず、


そもそも、他人の求める完璧とは何か?

という終わりのないテーマを延々と探求することに、
貴重な自分の時間と労力とを使い果たしてしまう中で、

さらには、その完璧具合の優劣を競い合う、
謎の競争に巻き込まれ、私を含め
苦しんでしまうケースも多々見てきました。


もちろん、世間には様々な考え方があり、

私にはジャッジする権利も、
そもそもジャッジするつもりがありませんので、

これ以上、何も言えませんが、

そういった生活は、一見華やかなようでいて、
実のところ、苦しいのではないかな、と思います。


フォロワーを増やすことばかりに気を取られ、
完璧な自分を演じ続け、

フォロワーの数値は増えても、
実のところ、本当に欲しい売り上げの数字は、
一向に上がらないケースも少なくないようです。


今思えば、

「完璧に、幸せそうに思われること」

が、なぜフォロワーを増やすことにつながり、
マーケティングの基本なのか不明ですが、

それが本当に幸せな方もいらっしゃるかもしれませんし、

ただ単に、
私のマーケティングの理解が浅すぎる(これもよく言われました)、からかもしれません。



私が誰かの幸せの定義を決定することはできませんし、
マーケティングの専門家でもありませんので、

これ以上、言葉がありませんが、

それでも、私が実践して通して得た答えは、

「〇〇すれば、△△になる」という方程式は、そもそも成立しない。
「△△」になる、絶対的な「〇〇」は、最初からそもそも存在していない。

ということでした。


そして、そもそも
成功法則、売り方がどうこういう以前に、

一番大切なことは、

私の願うこと、片付けを通して実現したいことが何か、
ということを知ることでした。

つまり、「ミッション(使命)」は、

「片付けから解放され、買い物以外の休日の過ごし方が充実していること」

「住む人が心から幸せを感じる場所になること、
 それを持続するのが簡単なこと」

「お母さんや女性など、家族の中の誰か一人が、
 全ての家事やそれに関わる全てを負担していないこと」

「誰がなんと言おうと、心から寛げる空間であること」

「住む人のプライバシーが守られ、
 お子さんがいらっしゃる場合は、
 特に子供にとって安全で快適な空間であること」

「そして、それらを叶えるために大金は必須ではない」


「大金」とは、情報教材やセミナー、コンサルなどのことではなく、

作家モノの高価な陶器や、デザイナーズ家具などのことでもありません。

例えば、

偶然、蚤の市に遭遇して、何気なく見つけたいい感じのお皿を、
手持ちの現金が足りなくて、

勇気を出して、ちょっとだけ安くしてもらえるよう声をかけたとか、

思っていたより、一桁安かったとか、

似た感じの、少し小さめのお皿があるからそっちならいい、といって、
そっちのお皿の方が好みだったとか、

思いがけない、何気ないやりとりをして、手に入れた楽しさで
自然と幸せを感じたとか、そんなことです。

その器を使うたびに、
店主とのやりとりを思い出して食卓が楽しくなるとか、

まるで、
黒柳徹子さんが、野際陽子さんが「徹子の部屋」にゲスト出演されるたびに、せがんだ空き巣とのやりとり(ググってみてください)のように、

「あのお話しして」

と頼むようなお決まりの話として、

お皿を使うたびに、毎回、家族にせがまれるか、

「またその話!」と、毎回、疎ましく思われるとか、

一人でこっそり思い出して、にんまりするとか、

そんなことです。



住む人の職歴や職業、結婚の有無、離婚の有無、
子供の有無、人数、子供の性別や学歴、職歴や家系、
住む場所や立地、家具のブランド、配偶者の職業…

書き上げるとキリがないほど、
ジャッジする基準がいろいろありますが、

どれも、「幸せな家」「幸せを感じられる家」とは、全く関係がありません。


これからご紹介する記事を読んでいただければ、
わかっていただけると思います。


もちろん、たくさんある考え方の中での、
あくまで一つの考え方にすぎません。

また、私の考え・記事が絶対的に正しい、正解とも思っていません。


既に、公開している「目次」の記事を見ていただければ
わかるかと思いますが、

重複しているタイトルがチラホラあること、

また、一つ一つは、筋が通っている内容でも、
記事同士は矛盾している場合も可能性も十分にあります。


ですが、それは、どちらが正しいのか、という問題ではなく、

「異なる家では、それぞれが正しかった」

ことを記事にしているからです。


それぞれの記事の関係が、矛盾しているかどうかは、問題ではありません。


これからご紹介する記事の前提は、

「幸せは変化していい」
「幸せの正解はない」

「それでも快適な暮らしはある」
「そのためにはどうすればいいか」

「その舞台、場所としての『家』がある」

と設定しています。


そして、『「〇〇」すれば、すっきり片付く!』
というようなコツや技やポイントではなく、

「実際の現場で、お客様の顔色が変わった」
「実際の現場で、家の雰囲気が変わった」

その瞬間を、できるだけ再現するように心がけました。

なぜなら、読みながらその場所にいたかのように、
その瞬間を体感していただくことで、

「変化の瞬間の感覚」を、
いつの間にか楽しんで一緒に味わっていただくことで、

自然と「変化」する=自然と「片付く」

が起こりやすいように意図したからです。


そうです、これからご紹介する記事は、

「読むだけで、自然と変化する」

ことを目的とした文章です。


これが、「心を癒す優しい片付け」の本質です。


決して、何文字以上のという条件のライティング記事ではなく、
(私のときは1記事3000円でした)

紹介する商品がある「プロモーション(宣伝)記事」でもなく、

会社やサービスの認知度を高める記事でもなく、

これ知ってる?という個人の口コミを装った記事でも、

心理的に読ませるよう、ギャップを利用し、
推敲したタイトル・キャッチコピーを使用した記事でもありません。



好きな時に、好きなだけ、
気になる内容の記事を読むことができて、

無理に片付けなくても、
やる気スイッチを無理やり押さなくても、家がきれいになっていく、

心が癒やされていくように、
優しく寄り添うサポーターとしての記事、エッセイです。



たくさん失敗して、
ときには泣きながら捨てた経験を経て、

「あれ、私、何しよう??!」

と思うほど、家も家事も片付けてしまったお話を
ぜひご紹介したいと思います。


どうぞ、お楽しみいただければ幸いです。

家が、部屋が、心の中が、片付いていてもいなくても、
少しでも心が癒され、軽くなって、ラクになっていただけますように。




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