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【短編】 マキちゃん、


「大人になると、親友ってなかなかできないものらしいよマキちゃん」
 放課後の音楽室で、柔らかい春の雨を背景にして、グランドピアノと向き合ったマキちゃんを眺めながら、いつものように話しかけた。

 人を指差すのと同じ仕草で鍵盤を弾くマキちゃんが顔を上げないので、集中力すごいな、と感心しながら、
「大人になると、親友ってなかなかできないものらしいよマキちゃん」
 と、同じ言葉をもう一度、さっきよりも少しだけ発音よく口に出した。

「ソ」の音が細く延びて、消えていったところでマキちゃんは顔を上げた。
「なぁに? アコちゃん」
 3回も口に出すほど伝えたいことでもないんだけど、と思いながら、
「親友って、大人になるとなかなかできなくなるんだって」
 ちょっとだけ面倒くさくなりながら言うと、普段から丸い目をさらに丸くしたマキちゃんが、「そうなの!?」と勢いよく返してきた。
「そうみたい」
 頷きながら返事をすると、マキちゃんも目を見開いたまま頷いている。
 あたしたち以外誰も来ない音楽室は、「自由」という言葉が似合う程度に広くて、深呼吸すると、遠くの空気まで体内に取り込める気がした。
 大きくて厚い窓に、耳をくっつけて静かにする。
 すると、雨の音が耳の中まで移って来るみたいで、あたしは急いでマキちゃんを呼んだ。
 さっきからずっと真剣な目でピアノに向き合っているマキちゃんは、予想通り一度では気付いてくれなかったけれど、大きな声でもう一度「マキちゃあん!」と呼ぶと、弾かれたようにこっちを見た。
「ねぇ、ちょっとここ来てみて!」
 大きく2回手招きをする。

「今からあたしの真似してね、いくよ?」
 窓にそっと耳をつける。
「ちょっと冷たいけど、すぐ慣れるから」
 それからぺったり、全部くっつける。
 マキちゃんは真剣な顔で見ていた。そして慎重にあたしを真似る。
「ね、雨が自分のそばに来た感じ、しない?」
尋ねると、マキちゃんは最大限に目を丸めて何度も頷いた。
「ほんとだぁ。アコちゃん、これはすごい発見だよ」
「もっと聴いてみよう」
「うん」

 テスト期間中の放課後は長くて、しんとしている。
 ひと気のない校舎に降る雨が、あたしたちのいるこの場所だけ、世界から切り取ってしまったみたいだった。
 あたしたちは向かい合って窓に耳をくっつけた姿勢で、しばらくじっとしていた。
「ねえ、雨が身体の中にも降っているみたい」
「ほんとだ、身体の中まで入ってきた」
 世界の秘密を手にしたふたり。
 目を合わせてそっと笑い合う。

「そろそろ帰ろうか」
 ピアノを閉じて、鞄を掴んで廊下に出た。
 雨が、まだ体内に残っていた。
 それはきっとマキちゃんの中にも。
 渡り廊下を歩きながら、
「わたしね、渡り廊下は雨の日に歩くのが好きなの」
 マキちゃんが言った。
「わかる。いいよね」
「大人になったら、」
「ん?」
「大人って、どういうものかしら」
「さあ」
 階段を下りながら、ふたりで大人について少し考えた。
「ひとり暮らし」
「徹夜」
「働く」
「納税とか?」
「あ、選挙権」
「親友ができなくなる」
「じゃあ、結婚」
「夢を叶える」
「……他にもある?」
「うーん……」
「どれか1つでも当てはまれば、きっともう大人なんだろうね」というところで話がまとまりかけたとき、
「心は?」
 と、思い出したようにマキちゃんが言った。
「こころ」
「そう」
 そしてまたしても真剣な表情で頷く。
「心は、状況に合わせて変わるんじゃない?」
「そんなに器用にいくかしら」
「どうだろう……」

 下駄箱の手前で一度別れて、靴を履いて再会した。
「アコちゃんの傘、紫陽花に似てるね」
「そうかな」
「うん。大人になっても」
 まだその話するんだマキちゃん、と少し笑いそうになる。
「あんまり変わりたくないなぁ」

 並んで正面玄関を出る頃には、雨は糸のように細くなって、空が晴れる準備をしていた。
 退屈そうな態度になって、マキちゃんがその場にしゃがみ込む。
「止みそうだね」
「ねー」
 大人になったマキちゃんを想像してみようとする。
 赤かピンクの口紅を塗って、丈の短いワンピースを着て、ハイヒールを履いたマキちゃん。
 もう少しで想像できそうな気もしたけれど、
「アコちゃん見て!」
 呼ばれてハッとすると同時に、大人のマキちゃんは煙のように消えていった。
「虹、ほら」
 マキちゃんの指差す方へ目線を送ってみると、大きな虹がかかっている。
「すごいねぇ」
 隣には、制服を着たマキちゃんがいる。










再掲載です。
いつも読んでくださる方、ほんとうにありがとうございます。

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